証拠

四十九日が迫っていた。

私は夫を感じたくて、夫の部屋の、夫の机に座ってみた。

夫はなぜ死んでしまったのだろうか。
本当は幸せじゃなかったのだろうか。
私といるのがもう嫌だったのだろうか。

いつも一杯一杯で、疲れていて、夫のことを大切にしていなかった私から逃げたかったのだろうか。

彼が消えてしまった何かしらの糸口が見つかるのではないかと、探偵のように夫の机を物色し出した。

夫の机の後ろの棚に、いくつか黒い収納ボックスが収められていた。

私はその一つ一つを開けて、取り憑かれたように、何かを探し続けた。

夫は、内側で何を感じ、日々どう過ごしていたのだろうか。
第二子が生まれてからお互いが一杯一杯になって深めて行ってしまった溝はやがて深い谷になっていた。

夫は仕事が佳境に入ると家にほとんどおらず、二人の幼児の面倒は私が全て引き受けた。出口もゴールもない日々に私は辟易としていた。特に、週末の夕暮れ時が一番嫌いだった。一人を抱っこ、一人をバギーに入れて公園に行っても家族揃ってか、お父さんと子供たちが一緒に来ている家族ばかりで、目の当たりにすると、辛かった。この家族は公園の帰りにみんなでスーパーに行って、みんなで食卓を囲むのだろうか、この家族はお母さんが今頃一人で夕飯の支度をしているのだろうか、、、いっぱい遊んで疲れてぐずぐずする二人を連れて帰る頃には夕食を作る体力も気力もなかったが、そんなのは無視し続けた。

「私さえ頑張れば、なんとかなるんだから、頑張らなくちゃ。頑張らなくちゃ。」

呪文のように唱え続けた。

そんな日々の積み重ねの中、第二子が生まれて一年ほど経ったお頃、私は久しぶりにみた鏡の中の自分が恐ろしい顔をしていることに気づいた。頬は痩けて、両方の瞼が腫れ上がり、さらに片目だけ瞼がつり上がって、上の白目がむき出しになっていた。目を動かしても片方は動かず、自撮りをすると目はそれぞれ別の方向を向いていた。

常軌を逸した顔を見て、私は恐れ慄き病院へ行くと、バセドウ病眼症と診断された。

診断されてから、夫は過酷な時間が当たり前の業界の中では最善を尽くしてくれていたが、彼は彼の仕事のペースを変えられるわけでもなく、私も小さな命ふたつを目の前にして、自分より二人を優先せざるを得なかった。

夫に子供の面倒をお願いしても土壇場で仕事に行かなくてはいけなくなったり、結局約束した時間に帰って来れずに私が自分の仕事を調整するしかない状態がずっと続いていた。彼が仕事に行く時は何も考えずに私に任せられるのに、私は自分が仕事に行くときには夫の予定を確認したり、両親や義理の両親、ご近所さんにお願いしないといけないいことを段々と理不尽に感じていた。

たまに夫が習い事の送り迎えや皿洗いを担当したとしても、やってるアピールをしてくる彼に対して、「それくらい当然でしょ。」と私は心底苛立っていた。

小さな苛立ちの積み重ねはやがて怒りの火の玉となり、たまに家にいる彼を見るとどうしようもなく火の玉をぶつけざるを得なかった。

「じゃあ、奈美が俺と同じくらい稼いでみなよ。」

言い合いになると出てくるこのセリフを前に何も言えなくなる自分が情けなく、悔しかった。

そのうち言い合いもなくなり、私はいつもはぐらかされたり、いなくなる夫に絶望し、いつしか怒りさえも覚えなくなっていた。

夫はいないものとしてワンオペを処理するようになり、「あなたがいなくても私と子供たちはやっていける。」というオーラを常に纏っていた。

期待を裏切られる絶望、一緒に子育てできない苦しみ、夫婦として分かち合えない哀しみを覆い隠すためにまとったオーラはいつしか刺々しい、硬く、冷たいものになっていた。

私はそんなトゲを飛ばして彼を殺してしまった自負があった。

ふと、自分が血眼になって探しているものがわかった。私のトゲが彼を殺したという証拠を見つけたかったのだ。


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