うるさい、うるさい、うるさい、うるさい

太陽が上ったので、私はなんとなく立ち上がった。

彼の布団に行き、顔を触った。ここに彼の身体があるのは今日が最後なんだ。彼はもうそこにいないと分かっていても、身体には執着があった。大きなクマみたいな身体。汗っかきの彼。豪快に笑う彼。子供達を最も簡単に抱き上げた彼。一生懸命になんでも平らげてくれる彼。いてくれるだけで大きな安心感を与えてくれていた彼。全て、彼の身体を通じて彼がしていたことだ。その身体が、焼かれてしまう。姿形がなくなって、灰になってしまう。少しでもこの身体を目に焼き付けておきたい。彼の髪の毛を触った。前日にシャンプーをしてサラサラとしている。髭を触った。もじゃもじゃした髭は彼のトレードマークだった。顔を細く見せるためのシェーディングとか言って、いつも髭を生やしていた。私は髭が生えた彼の顔が好きだった。たまに剃った時はなんだか物足りなくて違う人のようだった。髭と髪の毛は生きていても死んでいても変わらないんだな。そう思って、私は彼の髪の毛を一本抜いて、髭をハサミで一本切って、標本のように手帳に貼り付けた。

そのままずっと彼の身体と会話をしていたかった。

でも、子供たちは起き、両親や義理の両親や兄弟が続々と到着した。色々と慌ただしく朝が過ぎていった。続々と方々からお花が届き、聞きつけた近所の友人たちが挨拶に訪れてくれた。

前日にお願いした彼の後輩のNさんも短時間だったにも関わらず本当にたくさんの仕事仲間からの手紙を届けてくれた。

母も義母も何かしていないと落ち着かないらしく、お茶を出したり、お昼の用意をしたり、忙しない。みんながみんな沈黙を埋めるために、何かを言っている。そして、私に承認を求めてくる。

「お香典はとりあえずはお供えしておくのよね。」と母。

「お香典はしまっておくわね、昔はよく出しておくと泥棒が入ったものよ。」と義母。

「お香典やお花はちゃんと記帳しておかないと。リストは作り始めたか?お返しを考えないといけない。」と義父。

「おい、この届いた花はどこに置くんだ?」と父。

私は人が死んだ時のことなんて知らないし、本当にしきたりなんてどうでもいい。話しかけないでほしい。

私はただ彼の身体のそばにいたいだけなのに。

私に色々聞かないで。放っておいて。

心の声を殺しながら、適当に答え続けた。

そうこうしているうちに、お昼の時間になった。みんながわーわー言いながらお昼の準備をする。お腹も空いてないし、いちいちご飯なんていらない。

「ほら、あなたもちゃんと座って食べて。」と母に言われるがまま席に着く。

テーブルに出された食べ物をみながら、ドロドロとした怒りが奇妙な産声を上げながら生まれた。よくもこんな時にみんな呑気に食べられるな。憎悪と軽蔑の眼差しで食事を見つめた。

「ほら、食べないと力が出ないわよ。喪主なんだから、しっかりしないと。」と義母。

怒りは大きくうねり、渦を巻きながら心を占領していく。それでもいい嫁、いい娘の仮面を被って必死に怒りを抑え込んだ。夏のコンクリートに干からびたミミズを突くように、食べ物を突く。こんな時に食べられる方がおかしい。

「ほら、食べて。」

しつこく言われるので、なんらかの食べ物を口に運んだ。とりあえず一口食べればこの場から逃げられるか。食べるのがこんなに苦しいと思ったことはなかった。ようやく一口飲み込む。

「良かった、食欲あるみたいで。」と義母が言った。

その途端、私の中で何かが音をたてて切れてしまった。

「あんたが食べろとしつこいから食べたんだろ!うるさい!!!!!うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!!!!全員うるさい!黙れ!!黙れ!黙れ!!!!ほんっとうるさい!!!!ほっといて!!!!!!」

泣き叫びながら、走って子供部屋に閉じこもった。

妹と弟が後を追って入ってきた。

私は彼らをサンドバッグのように喰らい付いた。一度火のついた怒りはもう抑え込めるものではなかった。

「なんであの人たちあんなにうるさいの?なんで放っておいてもらえないの?あと2時間で出棺なんだよ。なんで静かに彼の身体と過ごしていてはダメなの?

食事なんてどうでもいいじゃん!なんで食べないといけないの?お香典のお返しとか事務的なことなんてどうでもいい!!!今そんなこと本当にどうでもいい!!!そんなの100年後でいい!

こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないって馬鹿じゃないの!!本当にアホらしい。うるっさい!!!!!!!!

もうすぐ出棺の時間なんだよ?なんで呑気にお昼なんて食べないと行けないの?全員バカ!!!全員黙れ!!!!黙れ、黙れ、黙れ!!!!」

私はリビングにいる両親と義理の両親に聞こえるように叫び続けた。目に入ったものを手に取っては力一杯部屋の向こう側に投げ飛ばし、狂乱した。

妹と弟は、ひたすら話を聞き、私を落ち着かせようとした。

一通り物を投げ終わると、ぼろぼろと涙が出てきた。

「私はただ彼の身体と静かに最後の時を過ごしたいだけなの。」






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