自責の念

しばらく、呆然としたまま電話を眺めた。

彼が死んでから、同情もせずに、彼がいかに素晴らしい人だったか、そして、なぜ、とも聞かずに死んだ人を悪くいうような人は誰一人としていなかった。この電話はなんだったんだろう。。。

遺族としては、失礼だと怒るべきなのか、どう反応していいかわからず頭の中の回線がジリジリ切れているような耳鳴りがした。頭が痛くなってきたので、そのまま、お風呂に入った。

お風呂から出ると、心が少し軽くなっていることに気づいた。

彼が死んでからの数日間、警察や家族、弔問客と話すたびに心が重くなっていた。

「何か気づいたことはなかったの?」「兆候があっただろうに。」「もっと早く気づいていれば、、」「最近ストレスが多かったの?」「彼ももっと生きたかっただろうに。」「なんであんなに素晴らしい人が、、」

何気ない言葉の一つ一つが私の心にダーツのように激しく刺さって抜けないまま、ズタズタになっていた。

それらの言葉の中に私は

「どうして気づかなかったの?」

「死ぬくらいなんだから兆候があったでしょう?どうして見えなかったの?」

「なんでもっと早く起きてあげなかったの?」

「ストレス多い仕事なのにケアしてあげてなかったの?」

「彼は生きたかったのに、あなたが気づかなかったから死んだんだよ。」

「なんであなたじゃなくて彼なの?」

という意味合いを感じ取っていた。なんで自分が生きているのだろう。私が死ねば良かったのに。私のせいで彼は死んだのだ。そうやって自分を責めることでしか生きていられなかった。

でも、Nちゃんは違った。突然往復ビンタをされたような気持ちだった。不意に叩かれて痛かったけど、どこか心が軽くなっていた。


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