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宿題。それは本当に「やるべき」ことですか?



やりたくないもんはやりたくない。


誰もが通る宿命の言葉。
宿題。
漢字ドリルに計算ドリル、音読……。

宿題……日常的に発生する学校からの(ある意味不必要な)プレゼントだ。

放課後、おうちに帰ったら宿題なんかせずに友だちの家に向かう。
できる限り、宿題とは向き合いたくない。
家に響く怒号。

「宿題やりなさい!」

やりなさいって言われるとやりたくなくなる。
あー、またか。って。

ただ……この人ですね。
言われたことないんですよ。
「宿題をやりなさい」
と。

そもそも、宿題をやりたくないと思ったことはあんまりない。
言われたから、やる。くらいの頭でっかち思考。
なんなら、やったら褒めてくれるんだろ??という甘々な認識。
やってくるのが当たり前?
そんなぁ……。

そして、我が家はこうなる。



「やりたくないなら、やらなくてもいいんでない」



この家族、かなりの不真面目である。


「別に、宿題なんてやらねぇよ、先公!」

母は、その時代の流れにふさわしい不良?だったようで、我が家の学校への嫌悪感はすさまじいものだった。
(発言は個人のイメージです。)

音読なんかはさせてももらえず。
母が超適当に◎、〇、△を音読カードに記入してました。
聞くのがめんどくさいから。
毎日同じ文章なんて聞きたくねぇや!
子も思わず突っ込みたくなるような我が家。


ここで補足しておくと
音読するだけで国語の成績、上がると思うんですよねぇ。
ソースは私。
現代文はいつも単元の文章を3回音読して終わりでした。

物語文にしても、説明文にしても、話の構造さえわかれば簡単。
あとは、問に合わせて語尾と単語を整えて答えるだけ!
声に出すことで前後の流れを把握しやすいし、
個人的におすすめ勉強法。
多分、聴覚優位のせいもあるけれど。


ただ、性格的には私はそうともいかず。
むしろ、宿題を毎日やってこなかったら、学校でめちゃくちゃ目立つんじゃないか。
目立ちたくない、人の目に留まりたくない。
先生に何か言われたくない。
クラスメイトの噂のタネになりたくない。
と率先して宿題に取り組んでいた。

とはいえ、私も親に甘えられるような環境にいたら
「宿題やりたくないっ」
と言えたのでは?

もし、自分が「宿題やりたくない」と言われたら、どう返事をするだろうか。

それはやっぱり


「やりたくないならやらなくていーんでない?」


に尽きる。

家風じゃないです。
だって、その人が宿題やってなくて怒られても。
クラスメイトの視線を集めても。
私には、なーんにも関係ないじゃない?
好き勝手すればいいと思うのですよ、うん。

なんで、
「やりなさいっっ」
なんて、絶叫しないといけないのだろう。

全部、自己責任です。

子どもは人形じゃないのです。
ひとりの人間なのです。
「しなさい」と言って、行動をコントロールするものでもないのです。

私だっていまだに
「○○した?どうなってんの?」
と訊かれたら、正直いらっとします。

わかっとるわい!
今からやろうとおもったのに。
あー、やる気なくなったわ……。
やらなきゃ駄目なの~~????

ってなります。
心が狭いかもしれません。
でも、やる気ゲージは急降下。

だって、他人に押し付けられるのではなく、自分で選びたいから。

まったくやらないのも
ついつい先延ばしにしてしまうのも
その人の課題なのですよねー。

無自覚にその人が成長する機会を奪うのはよいのでしょうか?

ちなみに。
あれヤダ!これヤダ!全部イヤ!
通称「イヤイヤ期」。
私も未だに「全部イヤーーーー」となりますが、
それは心のサインかもしれません。




もっと、私にかまって。

ねぇ、もっと私を見てよ。




自分が自分のことをかまえるように。
心の余裕、もちたいものです。


あ、これが今の私への宿題なのかも。


(宿題やりたくないと言われたら)


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