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音の在り方

「もっと自由でいい加減なものだと思うんだよね

なんでも欲求ってさ
一番がそりゃ一番いい
それはそう
じゃあ二番のものだと欲求はなにも満たされないわけじゃないじゃん

音楽なんか中途半端の積み重ねの際たるものだと思うけども
満足感とかさ
結果じゃん

本番音外そうと、ズレようと
満足感を覚えるのは必ずしも音楽そのものの出来ではないでしょ
満足感は音楽したい欲求を積み重ねて続けてきた過程やろ」

私が敬愛し、そばにいたいと思った人に言われた言葉だ。
長い……長いよね?
LINEで送られてきたんだけども!

聞いたタイミングでは正直ちんぷんかんぷんだった。

彼は私のことを
「きっとゆづの中でこうしなきゃいけない、私はこうでなければみたいなのがあるんだよね」
と評した。
それ自体は間違っていないのだと思う。
私は、夢中になりすぎるとこうでなければ!と思いがちだ。

私は人の役に立たなければ!
私はこうやって生きていかねば!
私はこの役割を全うしなければ!

「キャラ」を演じすぎるところがあると言えばいいのだろうか。
いつの間にか、自分を苦しめてしまう。
このことに気づけることだけでも、かなり成長したのだと思う。

ゆっくりゆっくり咀嚼をしながら。
私は私なりの想いに行き着いた。

や、全然私と違うわ!!!

笑えてきた。

二番、三番のもので欲求を満たす
満たしても喉渇かない?
満足しなくない?
そんなの無理なんですけど!!

――満足感を覚えるのは必ずしも音楽そのものの出来ではないでしょ

それはそう。
自分の中で完璧な演奏があったとしても、
誰もが認める完璧な演奏はない。
技術的なところは特に。
満足しないから次がある。
次の演奏はもっと素敵に。
そう思える。

でもね、
演奏前の静寂。集中力。
指揮者の挙動。
息を吸う感覚。
声が出る瞬間。
すべてがヒリヒリとして美しい。
それを感じるだけでワクワクする。
今、この空間を支配しているのは私たちだって!

音を奏でること。
歌詞を語ること。
フレーズを紡ぐこと。
すべてが表現であり、感情の表出。
曲に携わった方々の想いを乗せて、空間を震わせていく。
そのすべてが尊いのだと思う。

妥協はない。
すべてはこの瞬間のために。
プライドをもってステージに立っている。

それが私が音楽に携わり続ける理由なのだと思う。



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