映画”Viceroy's House”を見て転げまわる
「インドはイギリスの植民地だったからインドの移民も多くて、ロンドンでは本格的なインドカレーが食べられるんだよ!」
と、初めて聞いた時はなるほどと思ったし、私も何度もしたり顔で話してきた。
ロンドン最古のインド料理屋さんと言われている「パンジャブ」。
大学からも近くてよく行ったし、家族や友達が遊びに来ると連れて行った、個人的に1番おすすめのインドカレー。
不思議とイギリス人の友達はこのレストランのことを知らなくて、もしかすると観光客人気がメインなのかもしれないが、かなりの有名店なはず。
ダウントンアビーのお父さんVSダンブルドア校長
Viceroy's House(英国総督 最後の家)は、世界史レベル最下層の私が理解できるちょっと説明的大河ドラマのような、ボリウッドってこんな感じなのかな?とインドの雰囲気を感じられるような、愛のところは奇跡が起きるのね!と救われるような、盛りだくさんな映画だった。
俳優さんのイメージに引っ張られ過ぎて、
「さすがダウントンアビーのお父さん(でありパディントンのお父さん)!」
「うそ!ダンブルドア校長がこんなこと言うなんて!」
という気持ちになる映画初心者なのだが。
それにしても、薄っすら知った気になっていた大英帝国支配の残酷さの具体例を見せつけられる。
これはもう絶対イギリス嫌いになるでしょう?
という描写が畳みかけてくる中で、ここぞとばかりに良心的な主人公イギリス人家族。
現在の価値観でしてもお手本レベルのインド人への理解、寄り添い、献身。
冒頭、「歴史というのは勝者によって語られる」というテキストから始まったが、
イギリス側にも良心はあったんだよ?
という、勝者側の言い分を主人公たちに全て託したのだろうか。
それにしても、インド独立・分裂のことをほぼ理解していなかった私にとっては学ぶことが多い映画だった。
日本人としてこの映画をどう見るか
「ロシアのために、ドイツやジャップ(日本)に勝ったわけじゃない!」
というセリフで、ハッとさせられた。
アメリカの映画ヘアスプレーを見る時も、毎回「黒人、中国人、デブ、自分たちと違う人を排除しようとしてるんだ!」というセリフで、そうだったと気づかされる。
アジア人は欧米と同じくくりではないという、当たり前のこと。
なのに、(主人公視点で見てしまうのもあり)イギリス側の気持ちになってしまい、「インドに申し訳ない」という気持ちになっていた。
日本人の私は、完全なる第三者なのである。
そして、第三者がしたり顔で「インドはイギリスの植民地だったからね」と言っていたことがすごく恥ずかしくなり、転げまわりたくなるような気持ちになった。
そこで起きていたことを何一つ知らなかったくせに。
そして、ロンドンで1番好きなカレー屋さん「パンジャブ」を思い出す。
インド分裂の時に虐殺や難民発生の中心地となったパンジャブ地方。
インド料理レストランとして、1946年にロンドンにオープンしたパンジャブ。混乱の時期と重なる年代。
色々考えてしまうが、パンジャブのカレーが好きだったのは本当で、聞かれたらこれからもオススメすると思う。
日本で食べるのに近いナン(ロンドンのナンは意外と薄い率高い)、スパイスが効いたカレー(種類がすごく多い)、タンドリーチキンとは違うんだよと教えてくれたチキンティッカ。
そして、高級感がある服装を身につけつつも、フランクでたまに気だるげな店員さんたち。笑
映画を見たあとも、私の1番好きなインドカレー屋さんとして健在である。
が、したり顔をするのは金輪際やめようと思う。
考え始めると止まらない
ちなみに、パンジャブと同じく、虐殺が激しかった地方として描かれていたベンガル地方。
祖父母の代にベンガル地方から移住してきたというイギリス人の友達のことを思い出した。
直接混乱に巻き込まれたかは別にしても、ちょうど私たちの祖父母の代は、インド周辺で人の移動が多かったのだろうと想像する。
友達は生まれた時からイギリスで育ち、イギリスで教育を受け英語しか喋れないし、自分はイギリス人だと思っていると話していた。
そして家族のことを語るとき「お祖母ちゃん、お母さんは、カレーのせいで英語が話せないんだよ。」と教えてくれた。
友達曰く、故郷の風習でカレーを毎食数種類手作りしなければならないらしい。
つまり、朝昼晩、カレー作りで1日が終わってしまうと。
インド人の店でスパイスやら材料の買い出し、家にこもって1から手作りのカレーを数種類。
とにかくカレーに多大な時間が割かれて、教育を受けるどころか、英語を話す機会もなく、何十年もイギリスにいるのに英語が全くわからないそう。
もちろん風習といっても家庭にもよるだろうし、イギリスで英語を話せるインド&周辺国女性ももちろんいると思う。
そして友達のようにイギリスで教育を受けた人たちは「イギリス人」となり、カレーの作り方も詳しくないし、自分が母親になっても作る気はないと話していた。
世代が代わり、カレー作りから解放されたということか。
先進的になって良かった、なのか?文化が失われてしまった、なのか?
300年も続いた植民地支配というのは、「解放」して数十年で無かったことにはならない・・・?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?