いつでもどこでもできる「ゆる禅」
2021年、あらゆるところで坐禅をしました。それは室内だけではなく、キャンプ場、農園、岬などの野外まで。この一年は、本当にたくさんの坐禅体験をしました。坐禅の場所に、決まりはありません。どこでもできます。それを体感した一年でした。
「坐禅」と「座禅」の違い
みなと坐禅の漢字表記を「座禅」ではなく「坐禅」としているのは、実は今更ながらとても大事にしているところ。「座」は、坐る場所を意味し、「坐」は、坐る動作を指す。そして、この場で行う坐禅は、坐る場所を自ら選ぶことも含む。
坐る「座」を選ぶということ
もし「座席」を選ぶことに慣れていないと思うひとがいたら、それは環境によるものだと思う。
たいてい高校生までは「あいうえお順」や「くじ引き」などで「座席」が決まるし(わたしの場合)、職場だって、今ではフリーアドレスになってきた会社も増えてきたけど、いまだに決められた場所で仕事をするのが多いように思うから。
たとえ自分の「座席」が暑くても寒くても、移動することが許されないときは、衣類の調整をするなどして、自分なりの心地良さを作ってきた。もし近くに苦手な人がいたとしても、城壁を作るなどして折り合いをつけてきた。与えられた環境で、自分なりに居場所を作り、決めてきた。
他人の「座席」を決める側にもそれなりの理由や背景があることは想像できる。ただもし信頼関係が前提にあったとしたら....。決める側も決められる側もなく「あなたはあなたのお好きな場所に」「わたしはわたしの好きな場所に」が生まれ、最適な配置で調和が取れるんじゃないかと思う。
そのひとの坐禅は、そのひとの世界だから、そのひと以外の誰かが調整することはできない。それが成り立つのは「自分」も「相手」も「場」も信頼しているから。
自分で決めたことを肯定する
自分で決めたことを自分で肯定するのが難しいと感じるひとは、相手に合わせる柔軟性があるように思う。空気を読む力もある。生き抜く処世術もあるかもしれない。それは紛れもない長所と捉えていいし、大事にしてもいい。そして、それ自体「肯定」に値する。そして「自分で決めたことを肯定できないことを肯定する」としてみる。
語尾に「肯定する」を付ける遊び。
この遊びを身につければ、最強ではないですか?
決まりごとはいつでも変えられる
世界にすでに存在しているだいたいの決まりごとは、これまで人類に都度書き換えられている。だから人類によって作られたものは、いつでも書き換えが可能。自分がしっくりこないなら、自分で書き換えてしまえばよい。自分は自分の宇宙を生きたらよい。なんたって宇宙は果てしなく自由で広いから。
坐禅は、いつでも、どこでもできる
みなと坐禅は、信頼と尊重の土台から始まる。
開催場所は、そのときどきで変わるし、参加者さんに坐る場所の誘導もしない。そして坐禅という動作の案内はしても、場所については問わない。
坐禅後のシェアも、誰が何を感じ、誰が何をシェアしてもよいことになっている。自分が受け取ることも(受け取らないことも)、自分が発言することも(発信しないことも)、全て自分で決めていく。決めていると自覚していく。
最後に...
もしかしたら坐禅はどこまでも自分は何なのか?自分はどうなのか?を問い続け、それに対し肯定し続ける旅でもあるのかもしれません。みなと坐禅は、あなたの旅の隣人として存在できるとよいなと思っています。
2022年もゆるっと坐禅しましょう。
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