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【エッセイ】初めての一人旅は、西表島でした(#わたしの旅行記)

  私が初めて一人旅をした先は、西表島だった。

 当時、まだ23歳だった私は、20歳から働き始めた会社で過呼吸を起こし、「パニック障害」という病名がついて休職している最中で、治療や外出訓練を続けてもうすぐ復職……となった頃、ふと「今のうちにどこかに行っておきたい」と思いついた。

 旅をするなら、絶対に一人旅。なぜだかそれだけは譲れなかった。

 最初は「ヨーロッパに一人で行く」と言い出したのだが、母に「何言ってんの!」と猛烈に叱られた(それはそうだ。まだ「病み上がり」でさえなかったのだ。)。
「じゃあ、アジア」、「そしたら、タイ」、「韓国は?」とだんだんと自国から近い国へと交渉を続け、最終的に合意にいたったのが沖縄の西表島(日本)だった。

 沖縄本島へは中学生の時に家族旅行で訪れたことがあったが、その他の島には行ったことがない。
 中でも、島の大半をジャングルが占める西表島は全く未知の世界。日本だけれど、知っている日本ではないような……。
 私の行きたい「どこか」にぴったりと当てはまる気がした。


 旅の予算は10万円。当時の私としては、結構勇気を出したと思う。
 西表島にあるゆったりとしたリゾートホテルを二泊三日で予約し、合わせて飛行機のチケットも取った。

 西表島に行くには、羽田から那覇、那覇から石垣島へと飛行機で移動し、石垣島の空港からはタクシーでフェリー乗り場まで向かう。フェリー乗り場から海の上を40分進めば西表島に到着だ。

 自宅を出てホテルに到着するまで、飛行機等の乗り換え待ち時間を含め7時間ほどかかった。
 外に出ることが怖かった人間が、なぜ一人でこんな長時間かかる旅をしようとしたのか今となっては謎だが、なぜか足取りは不思議なほど軽く、どんなものを食べても美味しくて、全く苦ではなかった。

 中でも、那覇空港で待ち時間に食べたソーキそばは、澄んだカツオと豚骨だしの中に放り込まれたソーキ(スペアリブ)の甘辛い旨味と、箸で簡単に崩れる柔らかさに感動した。
 石垣島に渡った後も、フェリーの待ち時間に近くの飲食店に入り(おそらくターミナル通りであったと思う。)、八重山そばを頼んで汁まで飲み干した。

 沖縄に着くと、空港でも飲食店でも、タクシーやバスの中でも、どこにいても沖縄の民謡が聞こえてくる。
 三線や口笛に合わせて沖縄の方言で唄われる軽快な音楽は、意味を理解できない言葉ばかりなのに、どこか親近感が湧いた。なんだか共感できるような、こちらが慰められているような、そんな不思議な気持ちになった。

「スコール、大変でしたね。どちらからいらしたんですか?」

 そう声を掛けられたのは、西表島二日目のちょうど昼どきを過ぎた頃だ。
 仲間川のマングローブの森を舟で抜け、樹齢400年のサキシマスオウの木に会いに行った帰り道、ちょうど雨が降り出して、バス停近くにあった食堂に駆け込んだ。


(仲間川でヤシガニ漁の舟と遭遇。)
(午前中の目当てであったサキシマスオウの木)


 声を掛けてくれたのは、一人で店番をしていたお姉さん。私の他に客はいなかった。

 彼女は、アキコさん(仮名)といって、私よりも5つ年上だった。
 私が神奈川から来たと答えると、彼女も元々住んでいたのは神奈川県で、私の在住地区と近いところにいたことを教えてくれた。
 泊まっているホテルを伝えると、「そこ、先月まで勤めてたんだよ! バーにカミムラ(仮名)っていう面白いのがいるんだ」とアキコさんは明るく笑い、
途中で店にやってきた彼女の友人のミナミさん(仮名)と共に、「私もそこで働いてたよー! 住んでたところも近いねぇ!」なんて話して三人で盛り上がった。

 最初は敬語で、とか、失礼のないように、とか、そんなことを気にしていたのだが、わりと早めにお互いの言葉から敬語は消えていた。
 敬語の良さもあるけれど、ここは沖縄・西表島。
「上着はいらない。素のままあればいいじゃない!」

 大好きな美しいコバルトブルーの海を求めて、大自然の中での釣りを求めて、東の地からこの島に移り住んだ彼女と彼女。
 何も気にせず二人と話しているだけで、何もかもが十分暖かかった。

(星砂の浜辺にて。)
(由布島の水牛は、まったり。)


 その日は朝から歩いて人気のない浜辺で星の砂に触れ、昼時に彼女たちと話した後は水牛車にゆったり揺られて由布島に向かった。

 移動は一時間に一本のバスか徒歩で、出会う人々は一期一会だ。

 女一人で旅をしていると、「写真撮りましょうか?」と観光客のおじさまが声を掛けてくれたり、逆に「私たちを撮ってください」と学生さんにお願いされたり、たまに同じ一人旅らしき人にナンパされたりと様々だった。
 ホテルのロビーでバスの時刻まで本を読んで待っていると、スタッフの方に声を掛けられることもあり、「傷心一人旅だと思って心配しているんだな」とその表情を見てクスリと笑えた。

 就職してからというもの、毎日が上司や先輩とどう接すれば正解なのか分からない日々の連続だった。
 会社には同期も同年代もおらず、友達以外の「誰か」とどう関係を作ればよいか戸惑っていた。とにかく毎朝JR東海道線の上り電車に乗り込み、道の途中で遭遇する同級生と一緒に満員電車に揺られながら東京へと向かうことが使命となっていた。

 だが、一人で西表島に来てみたら、出会うのは全く見ず知らずの他人であるはずなのに、誰もが私が構えていた敷居をひょいと乗り越えて、言葉や笑顔をくれる。
 そして、ひと言ふた言交わした後には、「良い一日を」と願いを込めてサヨナラをする。
「あなたはあなたの素敵な時間を過ごしてね」と、そよ風が頬をなでていくような、そんな心地良さを感じた。


 その晩、アキコさんが話していた人物に会うべく、夜8時にホテルのバーを訪れた。
 その時間にまだ客はおらず、彼は一人、バーテンダーとしてカウンターの中に立っていた。

「こんばんは。あの、アキコさんから話を聞いてきたんですけど、カミムラさんですか?」と尋ねると、
「ああ! 連絡来た、来た。今日知り合った友達が行くかもしれないって」
と笑顔と明るい声が一緒に返ってきた。

 少しシーサー(口を開けている方。)に似た彼の笑顔は愛嬌があり、昼間に会った彼女たちの明るさと通じるものがあって、ほっとした。

 早速カウンター席に座り、アルコールに弱いことを伝えると、オレンジベースの甘いカクテルを作ってくれる。
 一口飲むと、今まで飲んでいた「カシスオレンジ」とも「カンパリオレンジ」とも全く違う、初めてカクテルという「酒」の美味しさを知った。

 今までのカクテルと何が違うとは中々言い表せないのだが、「オレンジの国生まれ」というルーツは変わらず、「オレンジの国以外にも色んな国を旅してきたぜ。まあ、忘れられない人も置いてきたけどな……」と語っているような印象だ(味も口当たりもマイルドだったから、もしかしたら、もっと気だるげな口調かもしれない。)。

「すごく美味しいです」と伝えると、どうやら彼はバーテンダーの大会で優勝経験もあるらしく、本物のプロだった。
 今思えば、ホテルのバーを一人で任されるくらいだから、当たり前だったのかもしれないが、何分あの人懐こい笑顔に惑わされ、「話しやすいお兄ちゃん」くらいの感覚で接してしまった。

 暫くすると、彼は「傷心旅行?」と冗談ぽく聞いてきて、「違います!」と答えると、やっぱり笑いながらビーフジャーキーやらキスチョコを次から次へと出してくれた。

 ただ、何か思うことあって一人だということは感じていたようで、私が一人旅をしている本当の理由は聞かずに、自分の話をし始めた。

 個人のプライベートのことなので詳細は割愛するが、「人との関わりって難しいよね。相性もあるしさ」という話をした。
 30歳ほどだった彼は私よりだいぶ大人で、当時の私が全く想像ができないような経験をしていたのだが、それでも彼が感じた思いにはとても共感できて、「うんうん」と頷きながら三杯の美しいカクテルを飲んだ(泣きながら飲んでいたかどうかは定かではない)。


(ちょっとだけ、似ている。)


「そういえば、星は見た?」
 そう聞かれたのは、夜十時を回った頃。

「そういえば、まだ見てません」と答えると、「今日は見えるかなー。こっち、こっち」と言って彼がカウンターから出てきた。

 他の客がいないことを良いことに店から抜け出すと、廊下の大きな窓を勝手に開けてプール脇に出る。
 そこからは、広い空を見上げることができた。

「あー、やっぱ見えないかぁ」
 彼はため息をつく。
 その年の1月は曇り空が多く、その日も満点の星空は雲に覆われて姿を隠していた。
「まあ、しょうがないね。またあったかい時期においでよ。きっと綺麗な星空が見えるから」
 星が見えないと分かると、再び窓をカラカラと開けて、彼はあっさりと建物の中に戻っていった。
 
「え、それだけ?」(心の声)
 正直言うと、その時の私は少し拍子抜けしてしまった。
 星空が見えなくて惜しむとか、少し待ってみるとか、もう少し何かあると予想していた。
 私だったら、星が見えないことが申し訳なくて、(自分が悪いわけでもないのに)謝りながら星が見えるまで待っていたかもしれない。

 けれど、彼にとってはこの瞬間に星空が見られないことも自然なことで、自分がどうこうすることではないと知っていた。
 満点の星空が今日は見えなくても、また明日、もしくは来週には必ず見られるし、たとえ星空が見えなくてもその日が「ダメな日」になんてならないことを彼は分かっていたのだ。

 バーの前まで二人で戻ると、そこで「サヨナラ」をした。

「ありがとう」と「また明日がよい日になりますように」を込めて、「おやすみなさい」と互いに送る。

 満点の星空が見られなかったことは少しだけ残念だったけれど、それでも寂しい「サヨナラ」ではなかった。心は充実していた。

(その日のサンセット。)


 旅で出会った人々は、一期一会。
 全国のどこかですれ違ったとしても、お互いに顔も覚えていないだろう。
 きっと私も時間と共に出来事さえも忘れてしまう。
 
 けれど、繰り返される「サヨナラ」の中で確かに何かを見つけた気がした。

 何かの繋がりに一生懸命名前をつけたり、執着せずとも、人との間に自然と流れていくものはあるのだ。

 ベッドの上で絶え間ない潮騒を聞きながら、その日は安心して眠りにつくことができた。

 最終日は、前日にミナミさんがお薦めしてくれた「グルクン」という白身魚の唐揚げが食べられるレストランを目指し、早めにチェックアウトをして歩いて向かった。
 道を歩いている途中で、イリオモテヤマネコを奇跡的に見れないか、とほんの少しだけ期待してみたが、道路沿いからはちらりとも姿を見ることはできなかった。けれども、代わりにジャングルの中を野生(?)の鶏が歩いているのを見かけることはできたので、ラッキーだったのかもしれない。

 ミナミさんお薦めの店で生まれて初めて食べた揚げたての「グルクンの唐揚げ」は、人生の中でナンバー3に入る美味しさだった。
 厚めの衣はカリッカリで噛んだ瞬間に爽快な音を立てる。歯ごたえがあるかと思いきや身はふわっと柔らかく、全く臭みがない。誰の目を気にすることなく、これまたカリッカリに揚げられた中骨にバリバリとかぶりつくと、窓から見える水平線が一層青く、広く感じられた。

 その日も何度かの「サヨナラ」を交わして、フェリーに乗り帰路につく。

 帰りはあまり観光をする時間がなかったが、「どうしても、これだけは!」と、那覇空港で再びソーキそばを食べた。

 お土産は西表島のホテルでシーサーの置物などを買い込んでいたので、那覇空港ではゆっくりとソーキそばを味わい、できる限りの時間、スピーカーから流れる沖縄民謡と三線の音を聴いていた。

 いつか忘れてしまう匂いや音を、ギリギリまで身体に染み込ませていたかったのかもしれない。
 この旅を一日でも長く、覚えていられるように──。

(珊瑚と貝殻を並べて。)



 初めての一人旅・西表島のことを思い返すと、そこで出会った人たちの笑顔を一番に思い出す。

 沖縄本島から見た海。石垣島から見た海。西表島から見た海。
 それぞれが異なるブルーのグラデーションをつくり、ときに沖の方で高波をぶつけ合って荒れている様も目の当たりにし、その景色の力強さに、美しさに感動した。
 1月にパーカーで過ごせる暖かさ、潮風の香り、絶え間なく繰り返される波の音。
 大自然は緊張を解きほぐし、とても心地よく過ごすことができた。

 けれど、「西表島に行って何が良かったか」と聞かれたら、やっぱり、「人との出会いとサヨナラ」と私は答える。

 あのおおらかな人柄に、あの優しい笑顔に、そして、ふと流れてくる民謡と三線の音に、私は救われたのだ。

 きっと辛いこともあっただろう。楽しいことばかりではなかっただろう。
 それでも、「自分の望む自分」であり続けることはできると、教えてもらった気持ちでいる。

 その後も、何度か沖縄へ一人旅に出かけ、車を運転できないため観光地付近のホテルを拠点に定めては、人との出会いを求めて地元の海や港を目指して歩いて行った。

 人との出会いは、一期一会。

 私の人生は、一期一会に支えられているといっても過言ではない。



#わたしの旅行記

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