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連載小説『五月雨の彼女』(7)

 出会った頃の未知華は、こんな表情をする子だっただろうか。
 
 私が未知華と出会ったのは、兄の通っていた国立小学校と、私の通うことになった私立女子小学校の通学圏内にある都内の新築マンションを購入し、引っ越したばかりの頃だ。
 同じマンションの八○一号室に加賀原家、八○五号室に未知華の山岸家が住んでおり、私と未知華が四月から同じ小学校に通うことが判明すると、母親たちは交流を深めるようになった。
 
 当時、母との結婚を強く反対されて家出同然で加賀原の家を飛び出していた父も、祖父が肝臓を患ったことをきっかけに加賀原家の家業に戻り、叔父の伸興とともに祖父の仕事を引き継ぎ始めると、日曜も休日もなく働き続けていた。バブル真只中だったこの時代、「二十四時間戦えますか」という流行語が生まれるほど、働く男たちは仕事にどっぷりと浸かり、会社におらずとも上司らと酒をみ交わし、日曜には取引先とゴルフに明け暮れることが当たり前であり、正義であったのだ。
 
 私の母も未知華の母も、ご多分に漏れず、そんなビジネスマンの妻として日々の家事をこなしながら、中々帰らぬ夫の分も子どもの教育について悩みを抱えており、妻として母親として相談できるお互いの存在が心強かったようだ。
 未知華の母は、現在の未知華のように目鼻立ちのくっきりとした美人であったが、派手なものを身に着けず、性格も控え目で、あまり自己主張を得意としない母と気が合ったのではないかと思う。
 ふたりは一緒に料理をしたり、お菓子を作ったり、時にはこれから通う小学校についての心配や悩みを打ち明け合ったり、日々お互いの家を行き来する仲となると、同い年の娘を持つ母親というよりも、同じ学校に通う仲の良い女学生のような、そんな和やかな雰囲気で付き合うようになった。
 今思うと、未知華の母親と仲良くしていたこの時期だけが、後に加賀原の広い敷地からほとんど出ることのなかった母が、本当に笑うことのできた束の間の幸せな時だったのかもしれない。
 
 そんなそれぞれの母親に連れられて、彼女らと同じ時を過ごしていたのが、まだ幼かった私と未知華であった。
 幼い頃の未知華については、私のことを「ちゃんも」と呼び続け、それを楽しんでいるような女の子という姿が強烈に思い起こされるが、出会った頃の未知華をよくよく思い出すと、当初はそんな印象ではなかったとぼんやり記憶が浮かんでくる。
 出会ったばかりの頃、人見知りで母の影に隠れてほとんど話せなかった私に笑顔で話しかけてくれ、緊張を少しずつ解いてくれたのが未知華だった。母親似の整った顔立ちで、口元の黒子が印象的な少しませた女の子だったけれど、運動が得意で活発な性格で面倒見も良い。私の母が兄の塾の送迎に出てしまい、私がひとりになると、「私の部屋で遊ぼう」と言って、小さなおもちゃキッチンを出しておままごとに誘ってくれたり、人形遊びを一緒にしてくれた。未知華は私と同い年ではあったけれど、どこか年上のお姉さんのような雰囲気があった。
 
 そんな未知華が変わってしまったのは、いつからだったろう。
 小学校に入学すると、私たちはマンションの近くに住む同じクラスの女の子たちと複数人で遊ぶようになっていた。
 私たちの通う小学校の子どもたちは、高額な学費や教育費を支払う資力のある裕福な家庭の子が多く、小学校二年生にもなると「パパにデパートで○○ブランドの可愛いワンピースを買ってもらった」とか、「夏休みは家族で海外旅行に行ったの」とか、「中々手に入らないロボットの子犬を買ったんだ」とか、そんな自慢話のような会話が多かったように思う。
 私は、流れの早い女の子たちの会話について行くだけで精一杯で、「るりかちゃんもだよ」、「るりかちゃんの家もだよ」というのが口癖になっていた。
 
 そんなある日のことだった。
「今日から、るりかちゃんの名前は『ちゃんも』ね。いっつも『るりかちゃんも』って自分で言ってるからー。あははは」
 と、突然、未知華が皆の前で言い出した。
 
 そうだ。思い出した。私は、この時、大きな衝撃を受けたのだ。
 引っ越したばかりで不安だった時も、初めて母親がいない電車に乗って通学しなければならず怖くて仕方がなかった時も、小学校に入学してなかなか友達を作ることができなかった時も、いつも未知華が側にいてくれたから私はとても心強かった。それなのに、絶対的な味方だと信じていた未知華から突然信じられない言葉を聞かされ、私はとても悲しく、深く傷ついた。
 
 これまで、「ちゃんも」と呼び続けられ、嫌な思いをし続けたことだけが、未知華について思い出せる記憶だった。しかし、本当にショックだったのは、「ちゃんも」とからかい続けられた期間ではなかった。 
 出会ってからの信頼や愛情に似たものを一遍に切り捨てられたような、そんな絶望を感じた「この瞬間」だったのだ。

(つづく)

*ようやく連載を再開できました☺️ご心配や優しいお言葉を、ありがとうございます🍀心から感謝💕

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