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フルーツサンドは、おやつですか【ノトコレ応募用短編小説】

「翔ちゃん、別れよう」
 ひとつ年上の彼女、莉子に突然別れを告げられたのは、文化祭の最終日。莉子にとっては、高校最後の文化祭だった。
「え、なんて言った?」
「だから、別れようって言ったの。今までありがと」
 莉子の言葉の意味が理解できない。いや、言葉の意味は分かっている。だが、頭がうまく言葉を処理してくれない。
「なに、嫌なの?」
 口をあんぐりと開けたきりの俺を、莉子は横目で睨みつける。
「そりゃ、嫌だ……」と言いかけたけが、「いや、わかった」と言って本心を飲み込んだ。
 昔からそうだ。莉子は、一度決めたら決して意思を曲げない。俺がなんと言おうが、前言撤回などあり得ないのだ。
 やっとのことで両想いになれたと思った恋は、一年と三か月でピリオドを打った。

 俺と莉子は幼なじみだ。小学三年の時に入会した絵画教室で初めて彼女と出会った。
 当時小学四年だった莉子は、既に普通の小学生の「うまい」を飛び越えて「表現する」域にまで到達しており、自治体のコンクールに出品しては入賞するという腕前だった。母親の似顔絵をほめられて調子に乗って絵を習い始めた俺は、莉子の絵を見て打ちのめされ、すぐに絵をやめようと考えた。
 しかし、俺が中学を卒業するまで莉子と同じ絵画教室に通い続けたのは、他でもない彼女が「翔ちゃんの絵が好きだな」と言い続けてくれたからだ。俺はそれが絵のことではなく、俺のことを言ってくれているなんて勘違いしながら、莉子のいる高校まで追いかけてしまった。
 それに、莉子は自由奔放というか、自分勝手というべきか、突拍子もないことをしようとする。それが危なっかしくて、俺は目を離せないのだ。
 夏休みには、「この町で一番綺麗な星空が見たい」と言って、真夜中の学校に忍び込み、職員室から鍵をくすねて屋上にまで侵入した(ちなみに、鍵をとって来たのは俺だ)。俺が罪悪感で胃をしくしくさせていることなど知らず、屋上にたどり着いた途端に莉子は走り回って、町のどこよりも明るい星を両腕で集める素振りを見せた。
「翔ちゃんには、あーげなーい!」
「莉子の両腕ぐらいじゃ星の数は減んないよ」
「そんなこと言うと、ごはんも分けてあげないから」
「飯なんか持ってきてんのかよ」
「当たり前でしょ。ほら」
 莉子がボディバッグから取り出したのは、フルーツサンドだ。真っ白な食パンに柔らかな生クリーム、真っ赤なイチゴ、鮮やかなキウイフルーツ、それに、夕陽みたいな黄桃が挟まれている。
「飯じゃなくて『おやつ』じゃん」
「えー、ごはんでしょ。星空の下で食べるフルーツサンド、最高!」
 フルーツサンドが飯とは一切思えなかったが、それでも莉子が美味しそうに食べているので「まあ、それでいいか」と思った。
 夜中の学校に侵入したり、「新しい色を作る」と言い出してそこら辺のものを片っ端から煮込んだり、どこかの有名な画家を真似て公園の滑り台の裏に絵を描いてみたり(もちろん、俺は見張り役。)、大人に怒られることばかりしたがる莉子だが、その才能を守れることが俺の誇りで、彼女が笑顔でいてくれることが何よりも嬉しかった。
 そう思っていたのに、何が悪かったのか。彼女から最後に言われたのは、別れの言葉。その後、彼女から笑顔が返ってくることはなかった。

「まあ、『おやつ』みたいなもんだったんじゃねぇの」
 莉子が現れることのない窓の外をぼーっと眺めていると、クラスメイトの和輝が明るく話しかけてきた。
「莉子さん、東京の美大行くんだろ? 東京なんてかっこいい奴、たくさんいるんだから、お前と付き合ったのは高校時代の『あそび』だったんじゃねえの? 繋ぎの『おやつ』っていうかさ。お前もいつまでも莉子さんの姿探してねえで、そろそろ忘れろよ。新しい恋とかさ、探せばいいじゃん」
「そうかもな。俺は、繋ぎで『おやつ』だったのかもな……」
「おいおい、そこで更に落ち込まないでくれよ。そんなつもりで言ったんじゃねえんだよ」
 ああ、わかってるよ。和輝、お前はいい奴だ。文化祭が終わってから三か月以上経つのに、未だに莉子を忘れられずにいる俺が悪いんだ。
 一学年違うだけだが、三年生は昨年の十二月から受験のために事実上、自由登校の状態で、冬の間にその姿を見かけることもほとんどなくなった。莉子から別れを告げられた後、何度か電話やメールをしてみたが全て拒否設定がされており、三年生のクラスに行ってみた時も莉子の親友の紫穂里さんを伝手に「しつこい男は嫌いだってさ」と伝えられ、それ以上は近づくことをやめた。
 二月に入り、とめどなく降り注ぐ雪が知った景色を埋めていく。暗く渦巻く曇天から舞い落ちてくる雪が白いことがせめてもの救いだ。白い雪がしんしんと、ただ静かに積もっていけば、莉子と過ごした学校の思い出もこうやってだんだんと忘れて……。
 その時、俺は「心の中に色がない」という恐怖を感じた。今の俺の中身は、ただ真っ白で何もない。何も描かれていない画用紙のようだ。
 莉子が側にいた時は、いつも色で溢れていた。彼女の絵の中に、彼女の突拍子もないいたずらの中に、彼女の笑顔の中に、俺の目の前には、いつでもカラフルな景色が広がっていた。
「東京の美大に行くことにした」
 あの日、そう言った彼女に、俺は「莉子が決めたならいいんじゃない」と返した。本当は動揺していたが、格好悪い顔を見せたくない一心で見栄を張った。莉子が「別れよう」と言ったのはそのすぐ後だ。莉子は、本当は俺の気持ちを確かめたかったんじゃないのか? 莉子も不安だったんじゃないのか? 俺は、大事なものを自分で手放したんだ。
 
 卒業式の日の朝、早起きして「フルーツサンド」を作ることにした。
 食べたこともない食べ物を作るのは難しいとは思ったが、食パンとホイップクリームとフルーツさえあればなんとかなると、前日に材料を買い揃えておいた。
 まずは、イチゴと水気を切った缶詰のパイン、みかん、黄桃を一口大にカットして、次に、耳の部分をカットした食パンでキャンバスみたいな白い土台を作り、そこにホイップクリームを絞り出して、ナイフで平らに均す。
 クリームの上に順番にフルーツを並べていくと、真っ白な世界がだんだんと彩られていく。カラフルな色は、気の向くままに駆け回る誰かさんの足跡のようだ。
 フルーツを並べ終え、再びたっぷりのクリームと食パンを乗せて上から軽く抑えると、両端からクリームが大きくはみ出てしまう。はみ出したクリームをスプーンで削り取り、包丁で食パンを半分にカットすると、またクリームが飛び出して、フルーツまでもが「ぐにゃり」と潰れた。
「フルーツサンドって、作るの簡単じゃないんだな」
 そう思いながら、食パンからはみ出たフルーツ入りのクリームをスプーンで口に運ぶと、ふわりとした濃厚なクリームと甘酸っぱいフルーツが混ざり合って至福の味がした。
 出来上がった断面の美しくない不格好なフルーツサンドをラップで包み、紙袋に入れて家を出る。向かう先は、莉子の家だ。卒業式が終われば、彼女は東京に行ってしまう。会えるにしても、会えないにしても、チャンスは今日限りなのだ。卒業式に向かう前の莉子に会いに行ってやる。嫌われたって構わない。
 莉子の家の前に到着すると、ちょうど制服姿の彼女が玄関から出て来たところだった。
「なにしてんの?」
「あ、えっと……、もう朝飯食った?」
「まだだけど……」
「あのさ、これ、食べて」
 フルーツサンドの入った紙袋を差し出すと、意外にもすんなりと受け取ってもらえた。
「これ、もしかして、翔ちゃんが作ったの?」
 紙袋の中を確認した莉子は、驚いた顔をこちらに向ける。
「初めて作ったからへたくそだけど。莉子、好きだろ? よかったら食べてよ」
「でも、なんで?」
「なんでって、えっと、フルーツサンドは『おやつ』じゃないっていうか、俺は色がないとだめっていうか、莉子が飯っていうなら飯っていうか……。つまり、俺は莉子の『おやつ』で終わりたくないんだよ。もうすぐ春だってのに、莉子がいないと生クリームだけのフルーツサンドみたいで、なんにも色がないんだ。真っ白で空っぽなんだ。だから……、俺には莉子が必要だし、絶対に莉子を離したくないんだ!」
 よく分からない説明をしながら顔を真っ赤にしていた俺は、いつの間にか大声で彼女に告白をしていた。
「ぷっ」
 必死な俺を莉子は呆れたように笑う。
「な、なんだよ、笑うことないだろ⁉」
「今頃思い知ったか、ばかやろう」
 莉子は俺の顔を両手で挟むと、少し背伸びをして軽く口づけをした。
「ばーか」
 そう言って、フルーツサンドの入った紙袋を大事そうに抱えながら、彼女は俺の先を歩いて行く。
 その足跡を追って腕を伸ばすと、世界は再び、色づき始めた。


※ミムコさん企画「ノトコレ」応募用原稿。
 40字×15行×9ページ(本文3518字/Word換算)


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