港女子という名前の由来

私は港区女子とは無縁の生活を送っています。

そもそも東京に住んでいないし東京都港区がどこに位置しているかすらそんなに知りません。

港女子という名前は私の恋愛体質約30年の歴史から出た一つの答え。

『女は男にとっての港であれ』ここからきています。

恋というのは、結局はエゴの気持ち、

性欲のエラーで恋が生まれるとかそんな言葉も聞いたことがあるし、言い得て妙な話だと思ったものです。

学生~社会人になってすぐくらいの恋愛はまさにそんなもので、性欲のエラー『恋』の気持ちを滾らせ飛ぶ鳥も落とす思いで気になる人にガツガツアプローチ、

付き合ったら、彼氏を我が所有物だと勘違いをし、自分を優先してなければ不機嫌になりぶすくれたり、要らぬ嫉妬で相手を疲弊させていました。客観的になるとだいぶ幼稚な恋愛でしたな。(遠い目)

今になって思えば幸福でしたが、こんな私にも根気よく付き合ってくれた人がほとんどでした。これだけ振り回しておきながら大概は自分から別れを切り出すそんな女でした。書いてて胸が痛くなってくる。ズキズキ!

でも、相手の行動を縛ることで、少なくとも相手にはストレスがかかるわけで。

男同士で熱く語りたい飲み会が彼女との予定と被った時断る気まずさや、複数人でのキャンプや旅行に(知り合い程度の)”女性”がいるだけで、彼女の機嫌を伺って行けないさみしさ。

自由奔放に羽根を伸ばされすぎて彼女の存在おかまいなしに浮気三昧なんていう極端な例は置いておいて、彼女という存在が、むしろ圧が、彼にとっての足枷になってくる場面が増えれば増えるほど、彼は彼女と会うのが重たい義務になってくるのではないか?

そして、結果、正直な自分の思いではありながら、汚い感情をそのまま相手にぶつける事で相手を失った時の自分に対する罪悪感がヤバイ。

自分がした行動により相手を失うという自発的行動の過ちに対する後悔、感情を剥き出しにして想いを伝えて届かなかったことによる自信喪失、相手が自分に対して心底嫌な印象を持ったうえで心が離れていく侘しさ。しかも自分は相手が好きだからという気持ちで感情をぶつけていたのに対し相手の感情は冷めているという二人の間に流れる天と地の差ほどもある感情の落差。そして彼が去ることで残る喪失感と孤独感。・・・こんな絶望あるか????

ぶつかりあうことで得られる愛のカタチもあるのだろうと思うけど、自分には向いていないと気付く。そもそも感情に身を任せて出る怒りや不機嫌な感情の真相は『寂しさ』だし、その寂しさを違う形でぶつける事がそもそも間違ってた。

相手も一人の人間なので、すべてを支配することはできないし、私と彼の二人だけの世界と、それぞれの世界をすべて統一することは難しい。男が外に遊びに行き、きちんと戻ってくる、戻ってこない、というのは、たぶん彼女である私がコントロールできる話じゃなく、男の良心と判断に委ねられる。

それなら、心が離れる起因をわざわざ自分から作り出す必要はない。

男が船に乗り旅(遊び)に出かける。女はテープを切りそれを見送る。

航海が多くとも(遊びにいく頻度が高い)航海が長くとも(たとえば早朝に帰宅する、泊りで遊びにいくなど)

彼にとって、『あぁ、帰らなきゃ』ではなく『あぁ、帰りたいな。帰ったら安心するな、楽しいしな』と思える港でありたい。そのために一緒にいるときは相手も自分も精一杯楽しいと時間を過ごしていたい。

結果、それで航海から帰ってこなかったとしたら。

それってもう自分にはどうすることもできないことなんですよね。その男本人の気質が招いたこと(遊びたい盛り、浮気症、価値観の違い(逆にもっと拘束してほしかったという男性も過去にはいた))

恐らく感情をぶつけていても結局は帰ってこない未来が待っていた、と思い込んだほうが正解な気もする。

心ゆくままに自由に航海していると、自分の安寧の地である港がいまどんな状況なのか気になって、ふらりと帰ってくるものなんだと思います、男性って。帰る港がない船旅というのも不安でしょうから。居心地がいいと港にいる時間も長くなります。

そんな女でありたい想いから生まれた『港女子』です。改めましてよろしくお願いいたします。

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