見出し画像

「学校行きたくない」になんて答えよう

いまだ気ままな独身で子どもはいないのだけれど、「学校行きたくない」とか「最近学校あまり行ってないんだ…」という話はよく聞く。

そんな時「行くべきだよ」とは決して言わないのだけれど、じゃあ何て言ってあげればいいのか、これがベストだと言う答えが見つからない。

人によって違うから当たり前なのだけれど。

8月31日に、新学期がしんどい君へという記事を投稿して、普段の記事より多くの方に読んでいただけているようなのだけれど、今読み返すといつにも増して構成がぐちゃぐちゃだし、何か読みづらいなぁ…と反省している。

どうしても8月31日中に投稿したかったので反省はしていても後悔はしていないのだけれど、もう少しきちんと書きたいなと思って書いているのが今回のnoteだ。

私は学校なんて意味がないとは言わない。
知識を得るだけであればもっと効率の良い方法はあるだろうけれど、社会性を身につけたり、友人や切磋琢磨できるようなライバルを見つけたり…まあ、私がわざわざ書くまでもないメリットがたくさんある。

ただ、小中学校というのはひどく狭い社会だ。特に地方の公立の小中学校は1学年50人以下というケースも少なくない。そんな小さなコミュニティだと「気の合う友人がいない」「周りと馴染めない」ということも本来は珍しくないはずだ。
自分と同じ感性の人が日本には10万人いるけど、このクラスには1人もいない、そんなことも十分ありえる話だ。でも「あなたの仲間は日本中にいるよ!」なんて大人だから言えるのであって、子どもにとっては自分の学校が絶対だし、そのことに気づいていたとしても抜け出す手段はほとんどないと思う。インターネットやSNSの普及で多少は変わってきたかもしれないけれど、子どもにとっての学校の影響力は依然強いままだと思う。

子どもは環境を選べない。
大人だったら、「この会社(仕事)は自分に向いていない」と思ったら仕事を変えればいいけれど、子どもが学校を変えるのはとても難しいことだ。
また、うまくいかなかったときに、「この学校(友人・先生)は自分とは合わないんだな」と捉えられる子なんてほとんどいないのではないだろうか。たいていは「自分がいけないんだ」と自分を責めてしまうものだと思う。

あと、そもそも日本の教育制度とか、なんかそういう根本的なものも、大多数の子どもたちにとっては有効なものかもしれないけれど、あくまでも大多数。全ての子どもに当てはまるなんて、そんなものあるはずない。それなのに、「学校」に馴染めないことに苦しんで自分を責めている子どもたちのなんと多いことか…。

そして、これは推測でしかないのだけれど、「学校に行かないなんて、根性がない」「逃げるのか?」って言っている人の中には、自分も本当は学校行きたくなくて苦しんでいる(た)のにずるいじゃないか…って苦しみながら言っている人も少なからずいるんじゃないかと思う。SOSが違う形で出ているというか。

…もう、皆で休んじゃえばいい。頑張りすぎて苦しんでいる人が多すぎる気がする。

それでも、「学校に行かない」ということに対する罪悪感や不安は大きいと思う。そして、「なんだかんだ学校に行っていた側」の私が「学校に行かなくても大丈夫だよ」というのは無責任なことのようにも感じてしまうのだ。

それでも、本当に本当に辛い思いをして学校に行っている子や、学校に行けない自分に苦しんでいる子には「学校が全てじゃない。学校に行けなくたって人生は終わらない。」と言いたい。
学校というのは社会のほんの一部で、社会というのは君たちが思っているよりずっと広くて、いろいろな人がいる。生きていてよかったという出会いがきっと待ってる。だから「学校」という1つの場所に馴染めなかったからって、自分を責める必要はないし、未来を悲観しないでほしい。

あと、本当に社会は目まぐるしく変化している。
2021年がこんな社会になっているなんて、きっとだれも想像できていなかった。
学校で「社会で生きていく上で必要なこと」を学んだとしても、その社会自体がガラッと変わっていく。予測できないことが起こる。

だから、学校が全てだと思わないでほしい。

そんな思いでまとまらない言葉で書いたのが前回のnoteだった。
日を改めて書いてもやっぱりまとまっていない気がするけれど、偽りない気持ちをそっと残しておこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?