電話が鳴った

電話が鳴った。

電話が鳴った。

受話器を取る、「はい」

「もしもし。ミナセさんのお宅ですか」

「はい」

「あ、リミエル学院法学部のハチヤと申します。ジローさんご在宅でしょうか」

「ハチヤ。おれ」

「おう、ミナセだったか。おとうさんかと思った」

「声似てるか?」

「似てるっていうか、まあ、なんとなく?」

「そう。で」

「いきなりだけど明日、予定あけれる? チケットがあるんだけど」

「明日。うん、なんとかなると思うけど。チケットって?」

「うちの近所で博覧会やってるんだけどチケットもらってさ」

「博覧会、もしかしてお台場の?」

「おお!よく知ってるね。たぶんそれ。ミナセああいうイベント好きだろ?」

「好きだね~イベントとか雰囲気だけでもいいよね~」

「だと思った。よかった」

「ま、入場料のかかるイベントには、なかなかいけないけどな」

「けっこう高いよね、ああいうの。でもチケットあるから、ただ」

「行く!」

「OK、じゃあ待ち合わせどうしようか」

「ハチヤの最寄り駅まで行くよ?」

「おう、それならこっちは楽でいいや。何時ごろがいい?」

「開場、何時?」





ハチヤからの電話を終えてからバイト先に電話をした。

「はい毎度、スズショウ!」

「あ。大将こんばんは、ミナセです夜分すみません」

「よう! どうした」

「明日、朝から出かける用事が入ってしまいまして、できれば誰かと交代していただけないかと思いまして」

「いきなりか!? まあ仕方ないな。わかったよ」

わかった? いいってことなのか、と考えていると、大将は続けて言う、

「どうせ日曜日はヒマだろ、いつも。表、掃除したり、あと、なんだ?ダンボールの始末とかか」

「そうですね。今日の分は終えているので明日はダンボールはないと思います」

「だったらいい。こっちのことは気にするな、行ってこい」

「ありがとうございます。また別の機会に交代などしますので」

「はいよ! ちなみに、どこだ行くの?」

「お台場です」

「って、どこ?」

「東京湾に浮かんでる島です」

「ああ、ああ、ああ? ちと遠いな? ま、気、おっつけて!」

「ありがとうございます。失礼いたします」

ガチャ、と受話器を置く音が耳元で響いた。




博覧会、ゲートは混んでいたが中に入ると広いからなのだろう、混雑は気にならない。

「で。こういうのは、どこから、どう見ていけばいいのかな?」とハチヤが言う。

「思いつくままがいいよ」

「ずいぶん適当?」

「タイミングもあるし。イベントは」

「なるほどね、だから計画とか立てないほうがいいって電話で話してたのか」

「計画たてちゃうと時間通りとか順番通りとかノルマっぽくならない?」

「なるねえ」

「混雑してると時間なんて測れなくなるし、なにも全部見て回らなくてもいいと思う」

「それは同感、少なくても楽しんだ方がいいよね絶対」

「もちろん。無理して全部まわっても疲れるよ」

「じゃあ、今日はついてくからさ、選んでよ適当に」

「あのテントからにしよう」

水道局のテントでは、水道水ができるまでの展示が行われていた。

「いらっしゃいませ。どうぞご覧になっていってください」

濃い目の青い制服に同じ色の帽子を被っている女性に声を掛けられる。

しっかり大きく見開いた目と口元の微笑みは、計算と練習の成果を思わせる。

自分たちと同じくらいか、少しだけ上、そのくらいの年齢に感じた。

「こんにちは」と私は言い、「水道局の方ですか?」と質問した。

「いえ、私は今回のイベントだけの担当で水道局の職員ではないです」

「そうなんですか。水道局の制服かと思いました」

「色とデザインは似てると思いますけどイベント用なんです」

「プロの方ですか」

「プロっていうか別の部署なんです。普段は広報課にいます」

「役所の方」

「はい。なので説明ひととおりできますので、もしわからないことがあれば何でも」

「お願いします」と私は言った、「最初から」

「おいおい」とハチヤが言う、「子どもじゃあるまいし迷惑でしょうが」

すると青い帽子の彼女が笑った。目が細くなった、「かまいませんよ」と。

「忙しくなったら途中までで結構ですから」と私は言った。

結局すべての展示パネルを説明してもらい、

最後に「記念品です」と渡された。

缶。


「水道水です」


「水道水!?」

「めずらしいね。あるんだ?」とハチヤが言う。

「水道水の缶、実は販売もしてるんですよ」

「それは知りませんでした」

「へえ。どこで売ってるの?」ハチヤが訊く。

「役所の窓口で販売しています」

「お店とかは」

「いずれはコンビニでも販売したいと聞いたことがありますけど多分まだ」

水道局のテントを出ると、もう夕暮れで暗くなっていた。

「どうしよっか? あと30分ないと思うけど」とハチヤが言う。

「あわただしいし、なにか屋台で食べてく?」と私は訊く、「今から見るのは時間きつそうだし」

「はらへったよね~」とハチヤが言う、「水道水もらったことだし、これ飲んどく?」

「いま?」

「違った?」

「飲んだら缶、捨ててくことになるんじゃ」

「リサイクルだね」

「記念に持ち帰るよ」

「そっか。じゃあさ、ここ飲み物とか高そうだから。うち来ない?」




家に電話をする。

「もしもし」と父が出た。

「ジローです」

「おう。どこだ。駅か。戻ってきたか」

「いえ、まだ会場です。これから軽く何か食べようかと思って」

「そうか。遅くなるなよ。もう真っ暗だろ?」

「街灯つき始めたけど空まだ明るい」

「さっさと済ませてこい。で、どこだ、牛丼でも食うのか」

「あ。いや、ハチヤくんが家に寄ってきなって。食事もう用意してるらしくて」

「ふざけるな。家になんか行くな。断って帰ってこい」

「それが最初から招待してくれる段取りだったみたいで、準備もできて」

「断れ! 牛丼でも、なんならパンでも買って電車で食っとけ」

「いや、それは」と言いかけたところで電話が切れた。

ハチヤが隣で聞く「どうだって。心配してるとか?」

「う~ん」私は言うべきか迷ったが「帰ってこいってさ」と言った。

「遅くなっちゃうからかな?」

「さあ」私は言えなかった、私の両親は『友だちづきあいが嫌いなのだ』ということを。

「でも車ですぐのところだから。行こ」

「ありがと。お邪魔します」

「どうぞどうぞ」




駐車までは少し距離があったけれど、ハチヤの運転する車で彼の家に寄っていくことにした。

「こんばんは。お邪魔します」と入った玄関は広くて靴入れが大きいのが印象的だった。

「どうぞどうぞ」と案内されたのは、玄関からすぐの場所で和室だった。

大きくて細長い座卓には食器類が載っていた。すでに準備ができている感じがした。

「ちょっと待ってて」とハチヤが和室を出て行くと自分ひとりになった。

掛け軸が立派。なんて書いてあるのだろう。読めないが雰囲気は、なんとなくわかる。

そういえばハチヤは書というか俳句が好きだったよな。年賀状いつも筆で書いてくる。

家族の趣味なのだろうか。ハチヤの好みでもあると思うけれど、なにか資産めいた雰囲気もする。

じっと床の間を眺めていると、小さなステンレスっぽい質感の置物、陶器のような風合いの小鉢もしくは皿。

壁は珪藻土、だろうか。私の家の壁と似ている。色合いが違うけど。

なによりも部屋が広かった。

入り口は、それほどとも思わなかったが、部屋に入ると横長に奥行きのある和室。

襖を開放して、ふたつ部屋を繋げてるのか。

そのとき、

入り口があきかけた、

「ハチヤ?」私は言った「手伝おうか?」

「おじゃまします」ゆっくり入り口が開いて現れたのは肩で髪を揃えた女の子だった。

「こんばんは」と私は言った「おじゃましてます。ミナセです」

「妹のサユキです」

「どうぞ」と私は言った「いや、どうぞじゃないですね。すみません」

「いえ、失礼します」妹が私の真向かいに座った、「いつも兄がお世話になってます」

「こちらこそ。今日もお世話になりました」

「両親は町の寄り合いに出かけてて不在なんですが、まもなく戻ると思います」

「町内会ですか」

「はい、日曜日の集会で。
 
 先に食事を済ませて出かけましたので、

 どうぞこのあと、ゆっくりしていってください」

妹は軽く頭を下げた。


「お気遣いありがとうございます。

なにか手伝えることあれば言ってください」

私は言った。


それでは、と妹が退室する。ふたたび自分ひとりになった。

やたらと時間が長い。

ハチヤの家族と一緒に食事をすると思っていたのだが、そういうわけではないらしい。

両親は食事を済ませて出かけているという。まもなく戻るらしい。

妹は、どうだろう。夕食は両親と一緒に済ませたのだろうか。

蛍光灯の色味が温かい。私の母なら『暗い』と言いそうな明るさだが、このくらいのほうが落ち着いていて私は好きだ。

電球色とでも言うのだろうか。

形は蛍光灯だが山小屋ロッヂで暖炉前に座っているような感じがしてくる。


一瞬、遠くで声がした。妹さんか。ぼそぼそっと低く響くのはハチヤだろうか。会話は聞き取れないが声の気配だけ。

ああ、そっか。おれもついていくべきだったかな、と私は思った。

なんで私は座っているのだろう。

食事をどうぞ、と呼ばれたのだから、

手伝いますと言って台所に行けば良かったではないか。

そもそも、こういうとき、どう振る舞えばいいんだっけ?

私は困惑し躊躇した。立ちあがって行くべきか思案しながら床の間と蛍光灯を眺めている。

「やあ。お待たせ」とハチヤが入ってきた。

「お」

「冷めちゃってたから温めてたんだ」

「手伝おうか」

「いや、これだけだから」ハチヤは両手を広げたみたいに盆を持っていた。食事が載っている。ふたりぶん、のようだ。

よっ、と声を出してハチヤは盆を座卓に載せる。あらためて座卓の大きさを実感した。

こんなに大きい盆が載っても、まだたっぷりと余裕があるのか。

「妹あいさつに来た?」

「うん。ご丁寧に、恐縮です」私は湯呑を受け取りながら答えた、

「妹さんも一緒に?」

「いや、もう食べたって。じゃあ、まあ、適当に。これ割りばし」

割りばしを受け取り、「いただきます」と私は言った。

緊張しているわけではないのだが、なんだか和室の重厚感と清潔さに圧倒されていたんだと思う。

茶碗に盛り付けられた適量の白米、

ほどよく温まっている味噌汁、

煮物、タケノコと大根だろうか。焼き魚、おそらく鮭だろう。

「ああ、それ。びんちょうまぐろだって」

「そうなんだ。シャケかと思った」

「いやあシャケは違うでしょ?」

「色が似てる」

「模様が違うでしょ」

「まぐろとは違うの?」

「まぐろの仲間だと思うけど。実は俺も詳しくないんだけど、まあ、たまに見かける感じかな。

 ミナセんちは、シャケが多いのかい?」

「つくだにが多いけど焼き魚っていうと、サンマかシャケか、あと」

「釣りするっけ?」

「するけど湖。海の魚は詳しくない」

「俺も詳しくないんだよね。まあ、どれも切り身は似てるし」

いつのまにか時間を気にしなくなっていた。

入り口が開く、妹が現れる、「お兄ちゃん飲む?」盆にはビールとグラス。

「おお。サンキュ。ミナセ、飲むよな?」

「おれは遠慮しとくよ」私は答えた。飲みたいけど。

「え。どうして。遠慮することないのに」

「ていうかお前、ビール飲んだら運転できなくなるじゃんか。駅近いっけ?」

「泊ってけよ!」

聞いてないよ。

「駅は歩いて10分ほど、車ならすぐ、飲もうよ?

 もう遅いし電車乗っても遠いから大変だろ」

「ありがと」私は言った「でも今日中に帰らないといけないんだ」

「ひょっとして仕事? 明日も早いとか」

「まあね」それもあるけれど、『友だちの家に泊まる』なんて私の親には言えないし通用しない。

そのことを告げる気には、ならなかった。

妹が「泊ってってよ。兄の話相手になってあげて」と、少し早口な言葉で言った、「さみしがるから」

さっきの印象と違う。これがいつもの感じなんだろう。

「うん、ありがとう。ありがたい申し出なんだけど」

「そっか。じゃあ、まあ仕方ないな」とハチヤが言うと、妹は軽く会釈して退室した。

「なんだか悪いね」

「悪くなんかないよ。それより本当に平気? まじで終電・・・は、まだまだだけどさ」

「道順さえ教えてくれれば問題ないよ」

「駅までは送るよ、飲んでないし」

「助かる」

「でも本当に平気か?」



電車に乗って揺られていると、さっきまでのことが何度も繰り返される。

脳内再生は自動でリピートされ、ハチヤ兄妹の姿と言葉がコラージュされる。

いいもんだな、ああいうの。

『でも本当に平気か?』

平気じゃなかった。

平気だけれど、ある意味で平気じゃない。次の駅で一時間近く待つ。


『泊ってってよ』

さらりと言えるのって、すごいな。うらやましい。

ハチヤの家族が友だち付き合いに対して、どのように接しているのかわかった気がする。

友だち付き合いというより、人付き合いと言った方がいいのかもしれない。


『話相手になってやってよ。さみしがるから』

ありえないな、と思った。

私の家では、ありえない。

会話などなくて静かなら静かなほど良い、という父と母だ。


話相手になる? このまま話してていいってことなのか。

さみしがる? さみしさを理解しあえるのか。

さみしくないようにしても許されるのか。



「ああ。かなわないや」と思わず声に出して言ってしまった。車窓ぼんやり自分の顔。

乗客は自分以外にもいるというのに。

かなわないよ、ほんと。


むしろ泣けるなら泣きたいくらいで、イヤホン取り出して音楽を流す。

イントロが流れて間もなく音が止まる。電池切れ、か。



結論から言うと父には静かに怒鳴られた。母は気持ち悪そうな表情で「まったく」と言った。

家に着いたのは午前一時近く、これでも急いで帰ってきたのだが。

本当なら怒鳴り散らかしたいのだろう、近所迷惑になる恥ずかしさで声を押し殺している、そんな父。

私が手を洗っている間も背後で静かに「このばかやろう、何考えてんだ」を繰り返していた。

トイレに入るとトイレのドアの向こうで、

「ったく友だちんち寄って来るってなんだ友だち?ざけんな」

呪文は繰り返されていて。

ときどき母が加わり「本当に向こうのうちのひとも非常識だわね、まったく」と言っている。

トイレから出ると父が顔を寄せてきて「二度と行くなよ!わかったな」と小声で叫んだ。

私が答えずに手を洗い始めると、

背後で「わかったんだな? おい、わかったんだろ?」と声を押し殺しながら父が叫び続けている。

顔を洗いタオルで拭く、父の叫びを無視して母を見ると、天井を見あげながら、

「食事を食べていけですって? なにさまのつもりかしら」



朝になると父と母は笑顔で「おはよう」と言った。「おはようございます」と私は答える。

睡眠時間およそ三時間弱。母は朝食の準備があるので、もっと早い。

「あんまりねてないんだろ? 大丈夫か!」と父が言う。やさしさが滲む声。

「大丈夫。それよりお父さんも」と答えた。

「おれは平気さ。一時間半さえねられりゃ、どうってことないさ」

「あ、お母さんゴメン、今朝は少な目にしてもらえ」と母に話しかけると、

「なに言ってるの! ちゃんと食べなきゃだめでしょ。朝食は一日の始まり。しっかり食べなさい」

「そうだぞジロー」と父が言う「お母さんの言う通りだ。なあ? お母さんの言う通りにしていれば、何も問題ない。だろ?」

「そうよジロー」と母が言う「だからね。もう友だちのうちなんか行っちゃだめよ」

「そうだぞジロー。友だち付き合いしている暇があったら勉強しなさい勉強。まあ、たまには遊んでもいいけどな、たまには。だが、友だちんち行くのは話が別だ。学校で遊べ。よく学び、よく遊べ。な? 学校でな!」

「そうよジロー。世の中にはね、友だちのフリしてなにか企んでる連中がいるのよ? いいい?もう会っちゃだめ」

「ごちそうさま」私は食事を済ませ、はしをおきながら言った「歯を磨いたら行ってきます」

「おう。がんばれよ、期待してるからな!」と父が言う。

「靴、汚れてない? 別のを出しておこうか?」と母が言う。

自分で決めます、と答えて席を立った。




川沿いに自転車を走らせて店に急ぐ。今日からまた一週間が始まる。もう始まっている。風が気持ちいい。鳥が鳴いた。

うっすらと空が明るくなっていて、防風林が浮かびあがる。蒼く、宇宙が舞い降りてきたような静寂と湿気が漂っている。

枯草ばかりの土手に向かって、自転車からリバースした。やっぱり消化しきれないようで体が朝食を拒んだのだろう。

せっかく歯を磨いたのに、と思う。口のなかが微妙な味に変わり、喉が熱かった。溶けそうな熱さ。お冷やが欲しい。

いつもより二分くらい遅い。店の脇の通路に自転車を停めて鍵をかける。

「おはようございます!」私は思いきり声を出した。

「おはよう」と店長が挨拶を返してくれる「さっき大将から電話でさ、今日は荷物多いらしくてミナセくん少し仕事伸ばせないかな?」

「少しくらいなら」

「悪いね、イナダさんが九時にくるけどひとりじゃ大変だと思うから、マツノさんが来る十時まで頼んでいい?」

「わかりました。えっと、マツノさんが来たら即交替でもいいですか?」

「かまわないよ。姿をあらわしたらでいい、十時前でも十時まででつけとくから」

「わかりました。店長お疲れさま」

店長は左手をあげて事務所内の扉から自分の部屋へと帰って行った。

濃い目の緑茶を急いで入れて、何度も何度も、うがいした。何度も。

喉のアツさはおさまらず、あとで氷でもかじっておくかと考えた。

大量の荷物が届く前に、店の中を整理する。金曜日の野菜が残っている。みつばを確認すると、かなり黒く溶けてしまっていた。

もたないな。

気温、少し高くなってきたかな。

冷蔵庫の温度計を確認してから、みつばを回収して大丈夫そうなところだけ抜き出し、

特売用の透明袋に詰め直した。


ふいに『泊ってってよ』とハチヤ妹の声がした。そうだった、昨夜、あいつんち行ったんだっけな。


駅まで車で送ったくれたハチヤが別れ際に改札前で言っていた、

「なんか、かえって悪かったかな? 寄ってもらっちゃって」

私は彼に何も言えなかった。

「うちには電話した?」とハチヤが聞くので「まだ。あとでかけるよ」と答えた。

「先にかけといたほうが良くない?」

「うん。そうだね。でも乗り換えのときのほうが時間に余裕あると思うから」

「そっか」



店の売り場から傷んでしまっている野菜を取り除いて、新鮮な野菜と果物の到着を待っている。時計を見た。店内を見渡す。他に、なにかやっておくことは。



ふたたびハチヤ妹の声がする、

『兄の話相手してやってよ、こいつさみしがりやで困ってんの』

そうだった。できることならビール飲みながら、ゆっくり話をしたかった。

もしかすると妹さんも会話に加わりたかったのかもしれない。

なかなか兄貴とゆっくり会話をする機会なんて、ないのかもしれないしな。

友だちの訪問が、いい機会になる。そういうこともあるのではないだろうか。と、そんなことばかり、つらつらと脳内は勝手に話し始めている。

昨日の記憶と自分勝手な空想がまじりあって、どうしようもないくらい脳内は饒舌な状態になってしまった。

朝日が店の軒先を照らして眩しい、と思った瞬間に大将のトラックだ。エンジン音が響いてきた。

まだ姿は見えていないが、確実に大将のトラックだ。

あの防風林の向こうから、砂埃をあげて真っ白なトラックが姿を見せるだろう。


ありがとうございます。幸運がめぐりめぐって、あなたにも還りつつ、さらに私のもとへ再びめぐり、さらにまたあなたのもとにもめぐり、いつか「豊かな人生」だと気づきますように。ともに過ごせる世界と時代を喜び申しあげます。