魂抜け
接していて、話していて、
手応えを感じない人がいる
言葉に思いが入っていないような感覚。
熱量を感じないというと分かりやすいだろうか。
配慮がなかったり、とかね。
顔つきは笑っていても目の奥が笑っていない
目に光がない。
肉体という「器」だけで生きている人。
心ある人とない人の違いをこの半生でまざまざと感じて来たけど、そういう人でも心が宿る瞬間がある。
核心を付いた言葉を投げかけると魂というのか心が入った行動を取ることがある。
体の急所を突いた時と同じように
心の急所を突くと何かしらの感情が動き心と目に光が入る。(特に怒りの感情)
心は一体どこから来ているのだろう。
そして、器だけで生きている人たちの魂はどこにあるのだろう。
以前、母から津軽弁で「魂抜け」という言葉があると教えてもらったことがあった。
魂抜けとは心が無い人のことや見た目は人だか中身は人ではない者のことを指すらしい。
最近になりまた母に魂抜けのことを話したら祖父母がよく使っていた言葉だという。
津軽弁なのかは定かではない、とのことで…
今は亡き祖父と祖母。
生前はあまり接することはなかったけど、今となってはもっと祖父母から色々な話が聞きたかったと感じることが多い。
もう会うことは叶わないし、直接何かを教えてもらえることもできないけど確実にわたしのDNAは祖父母と共にある。
言葉を交わさずとも、きっと「何か」見えないシグナルで今も多くのことを教えてくれていると思っている。
人の血液そのものがアカシックレコードになっていると感じている。
記憶のハードウェアとなっているわたしたちの身体は先祖の記憶を呼び起こすことにも使える。
この世界はマルチバース。
自身でどの世界に身を置くのかで拡がる世界が個々で違う、可能性が無限大の世界。
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