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『太宰治は、二度死んだ』――あとがき:フィクションと事実の狭間で(六)

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 本編『太宰治は、二度死んだ』(全30話+エピローグ)の「あとがき」エッセイ(六)です。

 ――今回は、ついに『人間失格』の登場です!
 
 太宰治畢生ひっせいの代表作にして、日本近代文学中の傑作と言われる作品。
 ここで描かれたイメージが大きな意味を持つのは言うまでもありません。
 
 ところが!
 ここに描かれた女性のイメージは、太宰の他のどのテクストよりも田辺あつみの実像からかけ離れているのです。
 
 一番大きな違いは、年齢です。私の本編でも、この「あとがき」でも既に何度も書いていますが、心中事件発生当時、田辺あつみは満年齢で十七歳、太宰は満年齢で二十一歳です。つまり、太宰の方が四歳も年上なのですが、『人間失格』では逆に女性の方が二歳上という設定になっているのです。
 
 主人公大庭葉蔵とその女性――名はツネ子――が出会うシーンは以下の通りです。今回、テクストはまたS文庫版を使用しています。

銀座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女給に、
「十円しか無いんだからね、そのつもりで」
 と言いました。
「心配要りません」
 どこかに関西の訛りがありました。そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金の心配が要らなくなったからではありません、そのひとの傍にいる事に心配が要らないような気がしたのです。(『人間失格』)

 このように、葉蔵のツネ子に対する態度は、年下の男性が年上の女性に〈甘える〉態度です。ここで前回紹介した『東京八景』を思い出して下さい。

銀座裏のバアの女が、私を好いた。好かれる時期が、誰にだって一度ある。不潔な時期だ。

『人間失格』でも、葉蔵はツネ子に一方的に好かれます。ツネ子はその日の葉蔵の勘定を全部負担してくれただけでなく、店がひけた後、葉蔵を自分の部屋へ連れて行き、一夜を共にします。

 こういうところから、〈太宰は女性にモテた〉という伝説が生まれるのですが、井伏鱒二は『太宰治』の中で、〈太宰は女性にもてなかった〉と身も蓋もなく書いています。確かに、(太宰の方が)一目惚れだったという第二夫人・美知子さんとは〈見合い結婚〉なんですよね。

一緒にやすみながらそのひとは、自分より二つ年上であること、故郷は広島、あたしには主人があるのよ、広島で床屋さんをしていたの、昨年の春、一緒に東京へ家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京で、まともな仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑務所へかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物語るのでしたが……(『人間失格』)

 田辺あつみが広島出身であり、同棲している男性がいて、その男性が東京で〈まともな仕事〉をしていなかったのは事実ですが、〈広島で床屋をしていた〉、〈詐欺罪に問われ、刑務所にいる〉等はフィクションです。
 
 ちなみに田辺あつみの伝記研究は、長篠康一郎『太宰治七里ヶ浜心中』の中の「田部あつみの生涯」が、現在までのところ殆ど唯一と言っていいもので、二〇〇〇年に発表され話題になった猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』も、田辺あつみに関する部分は同書に依拠していると言えますし、私の本編における田辺あつみの履歴等も、基本的に長篠氏の研究を参考にしています。
 
 では、『人間失格』の中で田辺あつみ――正確に言えば、田辺あつみをモデルにしたと思われる人物がどのように描かれているのかを見ていきましょう。この人物が登場するのは「第二の手記」です。

そのひとも、身のまわりに冷たい木枯らしが吹いて、落葉だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。(『人間失格』)

そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り沿うと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」のように、わが身は恐怖からも不安からも、離れることが出来るのでした。(『人間失格』)

 このように非常に〈侘びしい〉――または淋しい印象の年上の女性として描かれているのです。

 その日の店の勘定を全部負担してくれたツネ子に対して、〈自分勝手にひどい束縛を感じ〉た葉蔵は、ひと月ほどの間、その〈カフエ〉には足を向けなかったのですが、友人の堀木と飲んで酔っ払った後、ふと思い立って、またでかけて行きます。

 堀木という男は酔うと、無闇に女性にキスする癖があり、葉蔵は堀木がツネ子にそういう行為をすることを恐れます。
 ところが――

「やめた!」
 と堀木は、口をゆがめて言い、
「さすがのおれも、こんな貧乏くさい女には、……」
 閉口し切ったように、腕組みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するのでした。
「お酒を。お金は無い」
 自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど飲んでみたい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。(『人間失格』)

 その夜、葉蔵はまたツネ子の部屋で共に過ごします。そして――

それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。(『人間失格』)

 そして最後は、〈鎌倉の海に飛び込みました〉という海への入水の形を採ります。
 
 このように、葉蔵は完全に〈受け身〉のまま、心中を決意するのです。死にたがっている女性に付き合ってあげているような印象です。

 もちろん、葉蔵にしても、まったく理由がないというわけではありません。〈世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業〉と、けっこういろいろ列挙しています。

 この「あとがき」でも紹介したように、太宰治に関する伝記研究で、自殺の直接的原因と考えられているのは、〈分家除籍〉問題です。そして、なぜそういう処分を受けたかと言えば、〈れいの運動〉――つまり、非合法の共産党へのシンパ活動を、長兄の文治が問題視したためであったとみなされているのです。
 
 伝記的事実と、『人間失格』の記述はどうして異なるのでしょうか。
 安藤宏は次のように述べているのですが、私も大いに同感です。

太宰治の『人間失格』(昭和二三年)が「失格者」という最終到達地点から自身を振り返り、あらためてつくり直された自伝であるように……(『「私」をつくる 近代小説の試み』)

 つまり、太宰は『人間失格』というテクストを執筆するにあたり、〈失格者〉というキーワードから、自分の人生を編集し直しているのです。

 自分の人生をフィルターにかけ、西村賢太さんの言うような取捨選択を行う作業をしたのはもちろんでしょうが、太宰の手法は更に大胆にフィクションを盛っていくわけです。
 それは全て、『人間失格』の名文句――

神に問う。信頼は罪なりや。

無垢の信頼心は、罪なりや。

 というテーマを活かすためです。
 そして最後に、作中に描かれた全てのエピソードは、『人間失格』中の――というより日本近代文学史上屈指の名台詞――

いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
 

 に収斂しゅうれんされていくのです。
 
『人間失格』――このテクストがあまりにも有名なため、多くの読者の中で、テクスト内の〈大庭葉蔵〉の人生イコール〈太宰治〉の人生と錯覚されてしまうのです。

 前述した通り、このカッコ付きの〈太宰治〉は、真の作者太宰治が読者の前で演じている自己イメージであることは言うまでもありません。
 
 そして、〈略年譜〉もこの自己イメージに合わせて編集されます。
 
 ――それはおかしいだろうって?
 
 ところが、実のところ、あまりおかしくはないのです。

 例えば、あなたが作家になり、巻末に〈略年譜〉が付く場合というのを想像してみて下さい。

 あなたの〈略年譜〉は誰が作成するのでしょう。
 wikipediaにあるんでしょうか?

 いや、たとえwikiにあったとしても、wikiなんて元々かなりいい加減ですし、あまりあてにはなりませんよね。
 
 一番確実なのは何ですか?
 そう、〈自作年譜〉です。

 多くの〈略年譜〉というのは、実は〈自作年譜〉を元にしています。自分で自分の人生を語るわけですから、ある意味、編集し放題です。
 
 この「あとがき」の前の方で、太宰のような文豪の〈略年譜〉に誤りがあるのはおかしいと私は述べました。それは確かにそうなのですが、見方を変えれば、太宰のような文豪だからこそ、略年譜の誤りが明らかになったとも言えるのです。
 
 一九八一年、長篠康一郎の『太宰治七里ヶ浜心中』の出版は、その意味で衝撃的な事件だったのです。太宰より年上で、じみな女性だと思われていた人物が、なんと太宰より四歳も年下の美少女だったのですから。
 
 でも、長篠の研究によって逆照射的に、太宰が書いた『人間失格』というテクストが、完全なフィクションではないこともわかったのです。

 そうなのです、巧みな〈虚構うそ〉には事実が混じっているのです。

 ――事実の部分とは何でしょうか?

 一つは田辺あつみが広島出身である点。
 もう一つは、あつみが太宰の勘定を立て替えていたという点です。

『人間失格』に拠れば、女性が立て替えていたのは二回だけですが、長篠は実際には太宰がカフェー・ホリウッドの常連であったこと、そのツケが巨額に膨れ上がり、それが二人を追い詰める原因の一つになった点を指摘しているのです。
 
『太宰治七里ヶ浜心中』を踏まえて、改めてこの心中事件を見た場合、一番事実に近い形で描かれていると思われるテクストは、従来あまり注目されてこなかった『虚構の彷徨』「(2)狂言の神」だったのです。

〈海での入水〉になっている点と、日時が十一月ではなく、師走になっている部分はフィクションなのですが、おそらく太宰――いや、当時の津島修治の、田辺あつみに対する気持ちを最も正直に描いていると考えられるのが、この作品なのです。

 本編のエピローグでも使わせてもらった、以下の引用部は、筑摩書房版全集を参照しました。

私、二十二歳。女、十九歳。師走、酷寒の夜半、女はコオトを着たまま、私もマントを脱がずに、入水した。女は、死んだ。告白する。私は世の中でこの人間だけをこの小柄の女性だけを尊敬してゐる

 満年齢では太宰が二十一歳、あつみが十七歳ですが、数え年だと太宰が二十二歳、そしてあつみは十九歳になるのです。
 そしてあつみは、長篠が明らかにしたように、身長一五二センチの小柄な女性でした。

 他にも、このテクストだけに〈畳岩〉らしい描写があるのです。

ねえ、この岩が、お母さんのやうな氣がしない? あたたかくて、やはらかくて、この岩、好きだな、女のひとはさう言つて撫でまはして、私も同感であつたあのひらたい岩が……

〈私は世の中でこの人間だけを、この小柄の女性だけを尊敬してゐる〉という言葉こそ、津島修治があつみに抱いた真実の感情であり、〈ねえ、この岩が、お母さんのやうな氣がしない? あたたかくて、やはらかくて、この岩、好きだな〉という無邪気な台詞こそ、満年齢十七歳のあつみの言葉だと私は思ったのです。

 長篠の『太宰治七里ヶ浜心中』はもちろんですが、『虚構の彷徨』「(2)狂言の神」に描かれたイメージを核として、わたしはわたしなりの〈田辺あつみ〉像を創っていきました。

 いかがだったでしょうか。
 
 さて次回は、太宰が読者との間にどういう関係を築いていったか、あるいは築く必要があったかというお話をしたいと思います。

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