台湾伝統的おかしの名店「新公園餅店」
台北駅の近くに、「二二八和平紀念公園」という公園があります。「二二八」というのは、「228事件」を指します。
「228事件」とは、第二次世界大戦終結直後の1947年2月28日、台湾で起こった大規模な官民衝突事件です。
今回の記事は、台湾近現代史を紹介することが目的ではないので、「228事件」については簡単な紹介にとどめますが、その経緯をざっくり説明すると、以下のようになります。
1945年の日本敗戦に伴い、半世紀に及んだ日本殖民地時代は終わりました。代わりに中国から渡ってきた、蔣介石率いる国民党が台湾を統治することになります。
この時、国民党及び彼らと共に中国から台湾に渡ってきた人々を「外省人」、それ以前から台湾に住んでいた人々を「本省人」と呼ぶのです。
「228事件」は、最終的に国民党軍(外省人)が武力によって、本省人である台湾民衆を大量虐殺するという凄惨な結末を迎えました。被害者の死亡数は18,000人~28,000人と諸説あり、事件の全貌は未だ完全に明らかになってはいません。これが台湾における、「外省人」と「本省人」との歴史的な対立構造と呼ばれるものです。
ちなみに、現与党である「民進党」は、歴史的に見れば「本省人」の政党ということになります。ただ、現在の「民進党」支持層には、家系的には外省人系の人もいますし、その逆——「国民党」支持層に関しても、同じことが言えます。そもそも同じ家の中でも、父親が外省人系、母親が本省人系(あるいはその逆)の場合もある(と言うか、その方が多い)ため、現在の台湾では、血統的にその支持政党を分けるのはナンセンスに近いです。この点については、前回の記事でも触れました。
「228事件」について興味のある方は、邱永漢の自伝的小説『濁水渓』や侯孝賢監督の映画『悲情城市』といった作品を御覧になることをお薦めします。また、司馬遼太郎の『街道をゆく 40 台湾紀行』にも、この事件のことが書かれています。ご参考までに。
話がちょっと難しくなりましたが、「二二八和平紀念公園」という名称が、「228事件」という歴史的事件に由来することはご理解いただけたでしょうか。
この「二二八和平紀念公園」の近く――中正路衡陽路2號に、創業以来40年以上の歴史を誇る「新公園餅店」があります。
「新公園」というのは、「二二八和平紀念公園」の旧称です。
このエッセイシリーズでも既にご紹介していますが、日本人の思い浮かべる「お餅」は、台湾では「麻糬」と表記します。
華語の「餅」というのは、ビスケットなども含む、いわゆる「焼き菓子」の総称です。
百聞は一見に如かず、先ずはこの老舗の「餅」を御覧ください。
甘い味のもの、塩辛い味のもの――と、いろいろな種類があるのですが、お豆好きのわたしは、いつも「紅豆沙餅」一択です。
「紅豆沙」というのは、要するに「あずき餡」のことです。ちょっと拡大してみます。
このお菓子の面白いところは、中が空洞になっているところです。続けて、断面図を見てみましょう。
いかがですか?
この写真を見る前、皆さんは日本の「鯛焼き」みたいに、餡がぎっしり詰まっている断面図をイメージしていませんでしたか?
――「あれ? なんかスカスカな感じ」
そう思われるのもごもっともなのですが、このパリパリッとした薄い皮の中がほとんど空洞で、皮の内側に餡を薄く塗ってあるところが、なんとも不思議な食感で、おいしいのです!
もし台北に来ることがあったら、「二二八和平紀念公園」で台湾の近現代史について学び、ついでに「新公園餅店」に立ち寄って、台湾の伝統的おかしを賞味してみるのも、いい経験になるのではないでしょうか。