生誕百周年「團伊玖磨」1
團伊玖磨生誕百年記念「交響曲第三番&第四番」
團伊玖磨と言えば、芥川也寸志そして黛敏郎らと企画・実行せしむる「三人の会」が、先ずは筆者の脳裏が衷より「抽斗はこちらよ」とばかりに呼び掛けるに、ついソイツを思い浮かべる。
「三人の会」というのは、実にも面白きそれであろうよ。つまるところ芥川也寸志(親ソ・左傾)、團伊玖磨、黛敏郎(今日的には中道。往時は右翼視)らが夫々の思想信条を問わず、ただ純粋に「音楽」という共通項のみにて「切磋琢磨すべく」意見を交わし、それなる結果を夫々「楽譜=ノート」に認め分かち合っていたのであるから。なればとて「いずれ白髪」に到りても猶、思想信条の分け隔てなく「演奏会=発表の場」を設け競おうよとばかりに「意気軒昂」たる彼らは飛翔し、何れも大成して「会」もいつしか雲散霧消する。
斯く「三人の会」を巡り詳述はせぬ。ただしそれら一連の活動が結果たる作品、殊に團伊玖磨のそれを「アニヴァーサリー・イヤー」とてお送りしたい。
團伊玖磨という人は、九州は福岡・黒田家中に仕えし家に生まれる。とは言え、崇祖は「宗像大社」に連なる家が裔であり、つまるところ「神代が末にて連綿と」続く由緒を辿り得る。斯様に思うだに、上野国を本貫とする大族たる黛、母方にて幕臣と連なる芥川らと比べても「遜色なく」、おそらくは恵まれていたであろう境遇にありしは(殊に祖父の存在もあり)想像に難くはない。
ただ例えば、也寸志のように父が「あのような」人なれば、長兄たる比呂志をも含め無産的思考を胚胎して挙句、非合法的に「ソヴィエト・ロシア」へ渡るやの真似はせず、あるいは齢を重ねるにつれ右傾化して行く黛のようにもならず「安定則泰然」を地で行くのが團伊玖磨であった。いずれにせよ、所謂「三人の会」から程なく、何れもハンサムにして麗しきゆえTVメディアを中心に「目立つ作曲家」であったのも確たる事実であろう(後身にて目立つやの三枝成彰でさえ、後塵を拝して霞むほどに目立つ三人であった)。
加えて團の場合は、例えば「ぞうさん」などにて幼児をさえ惹きつけていたのであるから、最早「敵なし」たるやであろう。
とまれいずれプロ。熟すべきはそれとして、きっちりケジメを着けて相応の音世界を紡ぐのである。そう──例えば彼の交響曲。
「オケイジョナリー・ミュージック」たる六番、かつうは若書きたる一番イ調を除く四曲はどれも白眉であるは言うを俟たない。
二番ロ調は最初にして唯一の本格的・正統的「交響曲」である。ライト・モティーフたる機能を有する壮大にして雄渾たる序奏や主題群を伴う緻密なソナタ形式になる第一楽章、スケルツォ的要素をも盛り込む緩徐楽章たる二楽章、ロンド・ソナタ形式にて稠密に描かれたる三楽章になる。三番以降は「キイ=調性」から解放をされたるイディオムを駆使、殊に厳密なるソナタを宛てて描かれる三番第一楽章は、雅楽的な旋法に加え、時にフィクサトーンをも交える「お囃子」を想起せしむる副次主題(第一主題群の派生系+第二主題群旋法要素)的彩りが、緊迫感を孕みつ鋭角的に聴く者の感性を抉る。第一楽章冒頭より様々な要素(取り分けリトミカルなる諸「規定」要素は、当交響曲の要諦でさえある)にて構成される第一主題群が提示・確保されるが、これらの主題群は後続第二楽章にても枢要な役割を与えられており、結果として「有機的一体性」を刷り込むが如くに現出するのである。続く第四番はネオ「新古典主義」的な作品であり、斯様な意味にては「ある種の正統的」イディオムになる一大傑作であり、ほぼ並行して作業を進めし五番は、差し詰め「和風ショスタコーヴィチ」的なる面持ちをさえ有する。
いずれにせよ、二番〜五番へと到る四つのそれらは、本邦交響曲が傑作群の中枢を為す作品であるは確実である。
彼の交響曲を巡っては、團自身が振る読売日本交響楽団になるアナログたる三番や四番など、暫くは限られた音源のみで愉しむよりなかったが、二十世紀末に到り、團伊玖磨自身と山田一雄(ちなみに筆者は山田の孫弟子である)が振り分ける、ヴィーナー・ジンフォニカーになる全集がリリースをされ、最初期の「ブルレスケ風交響曲」及びスケッチに止まる「七番」を除く全六曲を堪能し得るは、実にも至福である。
とまれ團伊玖磨生誕百年を祝し、殊に秀でたる三番、及び四番を先ずはお送りしたい。演奏は團伊玖磨自身の指揮によるヴィーナー・ジンフォニカーにて──とくお楽しみあれ。
(続く⋯⋯かも?)
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