日曜作曲家&実業家「アイヴズ」1:慣用版と校訂版「二つの交響曲第二番」
例えばドヴォジャークなる人などは、実に「作曲」を巡っては「誰かに師事」し徹底的にそれを学ぶ課程を「一つとして」踏んではいない。彼が修了したる音楽学校というのは、体系的なる(即興演奏をも求められる)課程を叩き込む「オルガニスト」養成学校であり、つまりオルガニストとして「和声法や対位法」を収めたに過ぎず、作曲に関しては「基本的教育」を受けてはいない。
二人のアントンと有為転変──そしてイニシャル「C」
斯くなる意味にて、所謂「学歴」を推して非常に「相似的」なるかのもう一人のアントン=ブルックナーとは、実のところは「極北」たる存在であろうか。ドヴォジャークについては「オルガン演奏にまつわるテクニック」をば「体系的に」音楽学校で学んだに過ぎず、修了後の彼は、自ら「糊する生業」を以て「実感する」が如くに「コンポジショナル」たるイディオムを吸収する一方、オーストリアがアントンは、学歴上は「一般教職」に与るに能う恰好で「スコラ」にて学び、その過程にて「オルガン」を得手としたに過ぎぬ。そんなウーシュトゥリッヒたるアントンは、十も齢離れたる若きキッツラーと邂逅し、結果「実質的に彼を師と仰ぎ」そが結果たるとて「基本の再確認=復習的作曲技法取得」へと舵を切る。今日的「ドヴォジャーク」あるいは「ブルックナー」を巡る「理解の在り方」が、仮にも斯様に存在するなれば寧ろ我々は、より丁寧に「チャールス・アイヴズ」の生涯をや顧みるべきであろう。
「不協和音で飢えるのは御免だ!」──実業家「C」へ
チャールズ・アイヴズという「作曲家」が、自らをして「日曜作曲家」たるとて規程するは確かであろう。彼の「作曲家人生」=「実業家人生」とパラレルする事実を巡っては最早「自明」である。彼が主要作品たるや1920年代後半にてピリオドを穿つは、今日的研究にても明白ではあるが、所謂「引退」を契機に、彼は「作曲」という業をも未練すら憶えずきっぱりと捨て去る。いずれ「作曲家=実業家」たる彼アイヴズという人が、盛んに「コンポーズド=作曲活動」へと身を挺するは、彼曰く「不協和音で飢えるのはまっぴら御免だ!」とばかりにイェール大学(音楽部作曲課程)を修えて、経済・金融世界における「保証=インシュアランス」業界へと身を投じ「意気軒昂」たる時期とほぼ合致する。ゆえにこそ、立ち上げたる「アイヴズ&マイリック・インシュアランス」が軌道を歩みし頃合いより「日曜作曲家」たる彼も、つまるところ「余暇が戯れ」たるとて弁えし「作曲」なる営みをさえ「見直す」境地をも感得したのやもしれぬ。実のところ、アイヴズが「作曲」行為を已めたる経緯を巡っては未だ「謎」も少なくはなかれど、プレジデントが一角たる位置へと到り成功をみるに、健康問題もあってかそれでも「実業家」の途は捨てず、代わりには音楽を「抛擲」したる現実は覆しようもない。斯くなる意味にても彼が「日曜作曲家」であったるは否みようもなかろう。
所謂「アメリカン・ドリーム」が嚆矢か否かは無論問わねど、何とはなしに「判る」気はしなくもない。例えば「己が身」横溢するなれば、実に「余業」すら結果をば生ましむる。さもなくば一挙に暗転をも知れずいつしか「無聊を託つ」は、人の致し方なけれど「性」なのやもしれぬ。斯くなる意味合いにて、まさに「不協和音がためとて子らを飢えさすは罷りならぬ」結果たるとて、彼チャールズは(その音楽が往時においては聊か前衛に傾くがゆえに)「音楽よりは実業」を選びたるも「自然が理」であろう。
「日曜作曲家アイヴズ」──その実像
果たして彼チャールズがその特異性は、イェール大学にてホレイショ・パーカーに師事したる青年期に早くも胚胎・萌芽を看る。彼がものしたる卒業制作になる交響曲第一番ニ短調を巡り師たるホレイショは、殊にその「和声構造=具体的には、取り分け第一楽章は呈示部における非機能的それをも援用する目紛しき転調」へと明からさまに嫌悪なる表を浮かべ、チャールズへと再三に渡り書き直すよう指示する。なれどチャールズは毛筋ほども応じるつもりなく、結果的にはホレイショが折れるに到る。言うなれば「確信犯的」それであろう。要するところ彼チャールズ自らが、書き認めし「音楽」たるや「時代が要請」に決して即ぐわぬを知悉し思い定めたる帰結にて「実業家」人生をチョイスする「行く末」をば確保したるやに断じて謬りとはしない片鱗をさえ、斯くエピソードは示唆していよう。
いずれそんな彼ではあるが、その「実験」たるや初期は緩慢であり漸進的である。少なくとも二番の交響曲までは基本的に「ロマン派的」系譜へと連なるは間違いない。フォスターの歌曲やヤンキー俗謡(アメリカ民謡)、果てはブラームス(交響曲第一番)、ヴァーグナー(トリスタンとイゾルデ)などを、かなり改変したる恰好で引用をする当作は、全五楽章(なれど序奏的機能を与えられし同一モティーフになる第一、第四楽章を「それ=大規模なる序奏部」として規定するなら、実質的には三楽章構成になる交響曲と捉えて如くはない)になるが、初演前にフィナーレ終結をまさしく彼がテーゼたる「不協和音」へと置き換えし他は、ロマン派なる要素極めて濃厚にして、一聴するに前衛的要素も然して見当たらるでもなく、要するところ然して突飛なりし
作品ではない。なれど彼はサウザン・ミュージックへと宛てたる書簡にて、記譜ミスと看做されしおよそ三十箇所を巡り「意図的に」そうしたと言明している。それに留まらず、調性感を保持しつつも、ロ調(ロ短調)に始まる「序奏的」第一楽章が平行調たるニ調(ニ長調)へ帰納するやに思わば、アタッカにて連続せる第二楽章は変イ長調にてその開始を告げる。つまるところ主音同士の関係性においては、実質的に「増四度=それを重音として同時に響かせるなれば、往古より嫌われたる悪魔的それであり和声学上にても禁則とされる」位置にある。なれど彼は慎重でもあり、対斜的進行は巧みに避けている。おそらくチャールズは、斯様なオペレイティングをも「態と=意図的に」採用したのであろう。フィナーレについても、本来はヘ長調上にて終結をせるものを、十二音全てを遣う「切り裂くような」結末へと置換したるは前述の通りである。
尚、初演者たるバーンスタインは、演奏に当たりカットをも含む大幅な改変を施しており、長らくは斯く解釈が無批判的に採られていたが、彼レナードの弟子でもあるティルソン=トーマス辺りから、そのようなる「悪慣習」を退ける風潮が芽生え、2000年にはチャールズ・アイヴズ協会になる「クリティカル・エディション」がリリース、以降はアイヴズ協会版による正統的演奏がほぼ専らである(尤も、オリジナル復権へと口火を切るティルソン=トーマス&サンフランシスコ交響楽団になるプレイ(ディスク)にせよ、フィナーレがピッコロ・パートをば一オクターヴ上げるなどの改変は施されているし、今日最新盤たるドゥダメルがフィナーレ「終結音」も、八分音符にフェルマータを利かせてはいるが)。
とまれ生誕150年そして歿後70年に当たる、そんなアイヴズは二つの「交響曲第二番」──バーンスタインらによる慣用版及び2000年公開になるチャールズ・アイヴズ協会校訂クリティカル・エディションを、バーンスタインは87年のディスク、また校訂版と時を同じくリリースされしシャーマーホーンのディスクたる二つのタイトルにてお送りしたい。
「カントリーバンド行進曲」ティモシー・W・フォーリー&米国大統領隷下海兵隊バンド
「夕宵のセントラル・パーク」レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィルハーモニック
交響曲第二番」(バーンスタイン・カウエル慣用版)レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィルハーモニック
交響曲第二番」(エルカス校訂:チャールズ・アイヴズ協会クリティカル・エディション)ケネス・シャーマーホーン&ナッシュヴィル交響楽団
(続く)
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