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【物語シリーズ】暦に助けてもらえた羽川翼と助けてもらえなかった老倉育の違い

<物語シリーズ>は私の心を強く刺激したようで、これで3記事目。
しつこいかもしれないが、もうちっと続くんじゃよ。

さて今回は、暦に素直に助けてと言えなかった2人の違い。
助けて欲しいと言わなかったのに助けてもらえた羽川翼と、助けてもらえなかった老倉育の違いについてだ。

まぁ、そんなの見ていれば分かりきったことなのだけど、私はどうにも老倉育が苦手で、ここに書いて供養しようと思う。

羽川翼について書いたのはこちら。

2人の共通点

羽川翼と老倉育は家庭環境に問題があることが共通点だ。
学級委員長を任されている(いた)ことも、共通点と言えるだろう。

しかし、家庭環境に問題があると一括りにしてはみたものの、二人の環境は違う。どっちがより辛い環境か、というのは人それぞれだと思うけど。
まずは、その違いを書く。

羽川翼の家庭環境

羽川翼は、両親の離婚に伴い母親に引き取られ、さらに離婚した時に血の繋がらない父親に引き取られ、さらに父親が再婚したために、現在は両親ともに血が繋がらない家庭にいる。(その両親も仲が冷えていた後に再構築する)

世間体を気にして施設に預けられることなく、ただ世間体のためだけに一緒に住んで養育をしているように見せられる道具にされている。
家庭内ではいないものとして扱われ、部屋すらも高校三年生になるまで与えてもらえなくて廊下で寝ていた。
そして、一度だけ羽川翼は頬を殴られている。

つまりは、ネグレクトという名の虐待をされている。
(一度だけ身体的虐待はあったけど)

助けて欲しいとは思いつつも、特殊な家庭環境なのは仕方ないとして自分の中で切り離すことで自分を保っている。

そして家族というものに対する憧れの気持ちを自覚した上で、表面に出さないように抑えている。
しかし、仲の良い家族関係を見せつけられた時には「羨ましい」と思いながら、少し自分もその仲間に入れたような良い気分に浸るくらいには向き合えている。

老倉育の家庭環境

老倉育は暴力を振るわれるという、身体的虐待を受けていた。
父親が家の中の物を壊し、母親を殴り、そして母親は自分を殴る。
そして離婚した後に、母親から「お前が子供じゃなかったら。別の子だったらこんなことにはならなかった」と言って精神的虐待を行うと同時に、部屋に引きこもって養育しないというネグレクトを受けていた。

暴力を振るう父親と離婚した母親は、そこから立ち直れば幸せになることができた。
しかし母親は、父親に精神的に依存をしていたたいめ、離婚したことにショックを受けていた。
そしてそうなってしまった原因を、娘である老倉育に押し付けた。
本当は暴力を振るう父親こそが自分の不幸の原因なのに、本当の原因には目を瞑って、八つ当たりしやすい老倉育に押し付けた。

そして家族というものは、こういうものだと思い込もうとしていた。
助けを全力で求めながらも、自分は特別に可哀想じゃないと思い込もうとしていた。

そして、仲の良い家族関係を見せつけられた時には「耐えられない」と思い、せっかく辛い環境から保護をされていたにも関わらず、自分から自宅に戻ってしまうほどに、向き合えていない。

老倉育は現実世界にもいる闇である

物語シリーズは怪異が出てくる話だが、老倉育に関しては(忍野扇を除く)怪異は全く関わっていない。

つまり、これまでは人間の闇や嫌な部分を怪異を使ってポップに解決してきたのに、老倉育については一切ポップに濁さない。

私は老倉育と似た家庭に居たからこそ、この闇が現実世界にもあることを知っているけど、その闇があることを実際に知っている人は現実世界に少ない。

"それ"を、知っている人が少ないからといって、エンタメとして闇が濁さずに描かれている。
人の不幸がエンタメになることを、シンデレラとかおとぎ話の辛い境遇だけを、ここまでストレートに書かれているものは、あまりないのではないだろうか。

老倉育が提示した闇

では、老倉育が提示した闇とは何か?

  1. 子供にとって両親(特に母親)とは特別なものであること

  2. お前が悪いという言葉の罪

  3. あまりに辛い体験と認識の関係

  4. 自分はおかしくないと言い聞かせないと不安で仕方ない精神性

私は老倉育が昔も今も嫌いだけど、かなり共感できるキャラではあるんですよね。
辛い体験をしているけど、普通に生きていこうとしている、心に大きな傷を持ったままの普通の女の子として、共感と理解をしている。

1.子供にとって両親(特に母親)とは特別なものであること

老倉育は、父親のことをクズだと言っていた。
しかし母親のことは「いなくなって欲しいなんて思いませんように」と毎日願うくらいに、母親のことを"嫌いなはずがない"と思い込もうとしていた。
何かに嫌いたくないと願うくらいには、大嫌いなのに。

これ、虐待されて育った人は共感できるのでは?

物語シリーズでは両親、特に母親は子供にとって重要なキーになる示唆をされている。

  • 戦場ヶ原ひたぎが、母親に苦しめられたけど、切り離してはいけなかったと後悔していたこと

  • 八九寺が、母の日に離れて住んでいる母親に会いに行こうとして死んでしまったこと

  • 暦が、母の日に何もプレゼントを用意していないことを妹に責められること

  • 暦の妹は、警察官という正義の職に就いている母親にべったりだということ

  • 神原を救い、そして悩みの種にしたレイニーデビルは、母親に神原を試すという名目で残されたものだったこと

  • 羽川翼が、血の繋がった両親が離婚した際に母親に引き取られた後に、母親に捨てられたから、今の状態があるということ

  • 暦の母親に、羽川翼が他人の家から行ってきますと言うことは当たり前ではない、家族になってあげることはできないと突き付けられること

  • 神原が左手の悪魔について悩んだ時に貝木にヒントを貰えたのは、貝木が神原の母親に惚れており、神原の母親が貝木に頼んでいたからだったこと

  • 神原は死んだはずのお母さんと、脳内で会話するような描写がされていること

  • 羽川翼のストレスの権化である、ブラック羽川とタイガーは"生みだされた"と言って、出産を仄めかす表現をすること

  • フェニックス(月火)は、母親に憑りついて子供として産まれてくること

これは作者である西尾維新先生の趣味ということもあるだろうが、実際のところ母親が子供に与える影響は大きい。

老倉育は自分を殴り、自分の存在を疎み、罵ってくる母親を嫌っていた。
しかし、お母さんだから嫌ってはいけないと思い込もうとした。
老倉育にとって父親よりマシなだけの母親は、家族として愛すべき存在だからだ。

家族は大切にするもの、家族は大事なものというクソみたいな価値観は誰にでも何となくあって、老倉育にもあったということだ。

だからこそ、より一層、老倉育ちは苦しんでいた。
嫌いなものを嫌いだと言ってはいけなくて、好きではないものを好きにならないといけなかったから。

これが、どれほどの苦痛なのかを知っている人はどれだけいるだろう?

2.お前が悪いという言葉の罪

老倉育の家庭環境や離婚したこと、そしてそれによって老倉育が不幸なことは、一体誰が悪かったのか?

見ている範囲で言うならば、まずは父親だ。そして次に母親だ。
老倉育は何も悪くない。

しかし「お前が悪い」と、献身的に介護をしている母親に毎日言われ続けた老倉育は「私が悪い」と思うようになった。

本当は心のどこかでそうじゃないと理解もしていたけど、母親がそう言うのだから、そうなのかもしれないと思ってしまった。
だって、そうじゃないとどうして自分がこんなに不幸なのか理由の説明がつかなかったから。
しかしそれを認められなかったから、老倉育は暦のせいにしようとした。

自分でも言っていたけど「本当は暦は何も悪くないけど、暦のせいにしないと自分を保てない」と思うくらいに追い詰められていた。

これ、現実世界でもあるあるですが、誰が悪いか明白なことって少ないですよね。

例えば今回の件を老倉育視点で見ると、父親と母親が悪いです。
ではここで、父親が会社で上司からパワハラされていて、その憂さ晴らしを家でしていたとしたら、悪いのは会社の人になりますか?

私はそれでも、父親と母親が悪いと思います。
だって、会社と家庭は関係ないじゃない?と思うから。
けど人によっては、パワハラされていたなら、パワハラする人が今回の件では一番悪いと判断する人もいると思うんですよ。

裁判で情状酌量があるのって、こういうケースがあるからだし。

しかし、それを認めて原因を移し続けていくと、もうあの家庭から離れたところになってしまう。
老倉育の家庭環境の話をしているのに、"原因は誰か"という話に情状酌量を持ってきてしまうと、関係のない、まったく違う誰かに行きつくことがある。
もしパワハラが原因じゃなかったとしても、そんな父親に教育した育の祖父母が悪いという見方だってできるし。

だからこそ「お前が悪い」という言葉は、本当に酷い呪いの言葉だと思う。
だって、本当にその人"だけ"が悪いということはないからね。

そして何より、お前が悪いと言う奴って、大体が言った本人が悪いから。
いい訳のために、他の誰かに責任を擦り付けるために言う言葉だから。

そして、お前が悪いという言葉に傷つき呪われるのは、いつだって老倉育のような純粋に、母親を想おうとしている良い人だったりするのから、罪深い。

3.あまりに辛い体験と認識の関係

老倉育はそだちロストの中で大きな現実と向き合うことになった。
それは失踪届を出した母親は、すでに死んでいるということだ。

ご飯を食べなくなった母親は餓死をしていた。
つまりは扉を一枚隔てただけの、自分の側で死んでいたのだ。
そして、それを認識せずに死体が蒸発してなくなるまで世話をし続けたという異常な日常を送ってきたことが明かされた。

老倉育は、あまりに辛い体験が重なりすぎて精神を壊しており、死体を死体だと認識ができなかったのだ。

人が辛い体験をすると悲しくなったり、怒ったり、ショックを受けることは誰にでも想像できるし、多くの人が経験をする。

しかし、受け入れられないほどのショックな体験をした時はどうなると思う?
老倉育は、特別に異常な反応をしていると思う?

答えはNOだ。こうなってもおかしくないのだ。

老倉育は自分のことをおかしいところがあると言っていたが、私は反対の感想を持っている。

彼女はまともだ。
辛い体験をしてきた人がする反応として、まともという意味ね。

そして暦に八つ当たりをしたことすら、ある意味ではまともだ。
倫理的に正しくはないし、私はその行動や思考にはまったく共感はできないし嫌いだけど、まともな反応だとは思っている。

4.自分の環境はおかしくないと言い聞かせないと不安で仕方ない精神性

老倉育は自分の家庭環境をよくあることだと言い、誰にでもあることだから可哀想だと思って欲しくないと言っていた。
"だって、そう思われたら惨めじゃない"という声が聞こえてきそうだった。
私って可哀想なのと不幸自慢のネタにする子もいるが、老倉育は自分だけが不幸だと思ってしまう方が辛いというタイプだった。

不幸に優劣はないと言うが、確実に家庭環境の面で見れば暦と老倉育には優劣があった。
自分が劣った家に生まれたから不幸だと知ってしまった時、どれだけ傷ついただろう。
自分ではどうにもならないところで、幸せと不幸が決まっているということを知った時に、どれほどのショックを受けただろう。

自分のことを迎えに来ない、自分を大切にしてくれない地獄のような家庭に自分から戻っていくほどに、傷ついたのだ。

羽川翼は苦痛を切り離すことで自分を守ったが、老倉育は切り離すことができない。
だからこそ、自分はそもそも苦痛を感じていないというコーティングをしてごまかすことにした。

そして自分の心に無理をして、言い聞かせた。
「私の環境はよくあること。おかしくない」と。

幸せがすごく遠いものに感じられているからこそ、そんなことはないと言い聞かせないと、希望を持てなくなるから。

どうして老倉育は助けてもらえなかったのか?

老倉育は最終的に穏やかな表情になった。
自分の認識できなかった辛い体験を認識してなお、そうだと思ったと言って暦に感謝しているようなところもあった。

しかし、どうして助けて欲しいと思っていた時に助けてもらえなかったのか。
羽川翼と似たような境遇でいたのに、どうして助からなかったのか。

まぁ明白なのだけど、供養を込めて書く。

  1. 暦と出会った時期の違い

  2. 暦と過ごした密度の違い

  3. 器用さの違い

1.暦と出会った時期の違い

まずは暦と出会った時期の違いが老倉育を救わなかった。
小学生が一番最初だが、その時は阿良々木家で保護という形で助かっていたので、これはスルーする。

重要なのは中学生の時のこと。
老倉育は自分の家庭を自分で壊すことに躊躇していた。
例え地獄でも、家族だったから。

だから両親が警察官であり、かつて自分を保護してくれた暦を利用することにした。
暦を自宅におびき出し、ダチョウ俱楽部のお約束のつもりで「誰にも言わないで、私を探らないで」と言った。
暦が両親に自分のことを話してくれることで、自分を助けてもらおうとした。

しかし、その頃の暦は純粋すぎたのだ。
荒れた民家を廃墟だと捉え、ダチョウ俱楽部のお約束も通じない、不穏な空気を察知できないくらいに悪意を知らず、年相応に純粋だった。

老倉育もまた、純粋だった。
こんな場所に住んでいて、探らないでと言うような女子を放っておけるはずがないと考えていた。

しかし羽川翼が暦に出会った(厳密に言うと仲良くなった)時期は、羽川翼が自分の家庭環境を暦に白状するしかない状況だった。
命がけの状況を共に切り抜けた間柄だった暦に対して、頬の怪我について聞かれたから、正直に話したのだ。

暦は相変わらず「助けて」と言わないから助けは要らないだろうと捉えるようなところはあった。
しかし、分かりやすく助けを求めている状態なら助ける正義感は持ち合わせていた。

2.暦と過ごした密度の違い

老倉育と出会った時、暦にとって彼女はモブでしかなかった。
小学生の時は、ある日突然家にきて、ずっと隅っこにいた子(存在は忘れられる)
中学生の時は、数学を教えてくれる子(顔を覚えられない上に存在を忘れられる)
高校生の時は、俺のこと嫌いな同級生(しかし自分は嫌いじゃないと思っている)

そう、老倉育にとって暦は唯一の頼みの綱なのに対して、暦にとってはモブだった。
これは家庭環境による心の状況を考えたら、自分から暦に打ち解けに行けないのは当然だ。

しかし、暦にとっては心のうちを知りようがなかった。
察してよ!!というのができない男だからだ。
忍野扇に「愚か者」と言われるが、こんな高度な察しては通常の人間にはできない。
よほど、お節介な人間じゃないと聞き出せない。

つまり、老倉育が自分の素場を明かさなかったのは悪手だった。
自分の素場を明かして、自分という存在を刻み付けていれば、きっと身体と心を傷つけられる環境からは逃げられた。

しかし、現状を変えることを恐れてもいたし、壊すことを自分の手ではできなかったから、その選択肢が取れなかった。
まさしく、毒親に囚われた哀れな子供だった。


対して羽川翼は、命がけの状況を一緒に乗り越えた仲だ。
もっと言えば暦は、羽川翼に救われて恩人だ思っている。
そして初恋であり、頼りにしている存在である。

この二人の関係性は老倉育よりも密度が濃いのだ。

この密度の違いが、暦の持たない"察する力"の働き方を変えたのだと思っている。

3.器用さの違い

老倉育は心が傷つきすぎたために、自分のことで手が一杯すぎて、周りを観察する気力が足りない。

これは仕方のないことだ。

数学が元々かなり得意(恐らく他にも得意)なことを考えると、かなり賢い。
いや、もしかしたら努力の賜物かもしれないが、それでも努力した先の賢さは確実にある。

そんな賢い老倉育は、ストレスによる視野の狭さが影響して不器用なことしかできない。
羽川翼は、ストレスを抱えていても器用なのも大きな違いだった。

本当なら確実な方法として正々堂々と「両親に相談してほしい」と事情を話すことがベストだった。
いや、普通に交番に行くという手もあった。
しかし、それは罪悪感からできなかった。

じゃあ他に、純粋で表面しか見れない暦に気付いてもらうにはどういうことができたのか?

  • 「家庭内暴力を受けている、助けて欲しい」と書いた手紙を暦に渡して、両親に見せる

  • 「ここは、私の家なの」と言う

  • 「暦の家族はどんな人?」と聞いて「いいな、私の家とは全然違う」と言う

  • わざと顔や腕など、殴られた上で、その痣を暦に見せる

私が考え付くのは、これくらいだろうか。
少なくとも決して「自分のことを探るな」とだけは言ってはいけなかった。

けど、そうするしかなかったのは仕方のないことだ。
あまりにも、老倉育には心を助けてくれる人がいなかった。

最後に

羽川翼は「私、あなたのことをちょっと好きになった」と言っていた。
好きな人である暦に八つ当たりして、戦場ヶ原ひたぎを暦の彼女であるという理由だけで罵倒し、現実から目を背けている老倉育は好きになる要素があまりないように描かれている。(ビジュアル除く)

そんな老倉育を羽川翼がちょっと好きになったと言うのは、自分にできないことをしていたからだと思う。
素直に感情を出したり、助けて欲しいと思って(ズレてはいるけど)行動したり、素直に嫉妬したり八つ当たりできることが、羽川翼にはできない。
生まれ持った客観性と冷静さを持つ彼女には、できないのだ。
それをできる、自分と同じように家庭環境に悩みを抱える老倉育には親近感や憧れのようなものを感じたのではないだろうか。
私も、この二人は仲良くなれたと思う。


なでこドローでは、老倉育が少しだけ出てきた。
撫子に「育おねえちゃん」と呼ばれて嬉しそうな、可愛らしく笑う老倉育の姿を見ることができた。

まぁ、人間関係に馴染めなかったりして苦労はしているみたいだったけど。
生きていく方法があるのなら、別に人間関係なんて得意じゃなくてもいいんですよ。
本当、この世界は"嫌なことを避ける力があればOK"だとする。
自分より強い力を持つものには人は何も言わないし、力のあるものにはこの世界は優しい。

少なくとも、母親の死を受け入れた後の老倉育は以前よりも穏やかに暮らせているようだった。
それが必ずしも幸せかどうかは分からないけど、少なくとも不幸ではないと思う。

"ずっと暦を憎み続ける。そんなの間違っていると思いながら"というのは、それこそ不幸だもの。

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