堅〜い文章って本当に必要? | 週刊アルバム製作記#23

ナタクラゲです。

一週間ぶりの日記です。週刊になったことにより、もはや日記という言葉が当てはまらなくなってしまったので、これからは「1stアルバム『ナタクラゲ』制作日記」改め、「週刊アルバム製作記」として再スタートしたいと思います。

で、肝心の進捗なのですが、Aメロのメロディとコードを作りました。Bメロの終盤も少し決まりました。そんなところです。結局めっちゃ歌メインの高速ビートの曲になりました。

少し余裕ができたので来週までにもう少し進めたいと思います。


ビジネスなどで使われる、「皆様におかれましては益々ご健勝のこととお喜び申し上げます」みたいな堅〜〜〜〜い文章から始まる手紙。

あれってずっと意味ないものだと思っていた。SlackとかLINEとかで要点を完結に言えばいいものだと思っていた。

最近身の回りで色々あり、その中で、ある種の仲違いのようなものを目にした。ある人が、グループで上の立場のある人の態度に耐えられず、離れていったのだという。さらに、別の人もその人から離れることを計画しているらしい。

残された私と友人で、今後を心配したり、その人がどうなんだという話をした。その中で、文字のやり取りって難しいよねという話をした。

確かに私もその人とやりとりするとき、対面ではそうでもないけど、文字でのやりとりだと結構圧を感じることが多い。そういうのが積み重なって、離れることを決心させたのかもしれないと。

ここで思ったのは、社会に出回る、いやにカッチリとした、お堅いビジネス文章。なんの感情も読み取れず、ただなんとなく相手を持ち上げている感じだけが伝わってくる。堅いというけれど、硬いわけではない。むしろ柔らかいくらいかもしれない。

そういうのって無駄なように見えて、実はめちゃくちゃ大事なのではないか、という気がした。生のままの言葉は、バリがついていて、そのままぶつけ合うにはあまりに痛すぎる。そんな中で(気遣いとして)巧妙に感情を隠し、角が立たないようにするビジネス文書は、社会が途方もなく長い時間をかけて完成させてきた、潤滑油だったのではないか。

最近は、インターネット、特にSNSで、生の言葉がいろんなところに表出している。個人間の連絡の手段も手紙から電話、メール、メッセージングサービスへと移り変わっていき、どんどん言葉に角が立つ機会が増えた。確かにそういう言葉も、情報の速報性や、本音の意見を知るには大事だと思う。けれども、その一切すべての場合で、バリだらけの生の言葉が本当に必要なのか? ということは、どこまでも深く考えていくべき問題なのではないかと思う。

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