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誕生日が怖かった、あの頃のわたしへ。

「年齢よりも若く見えるね。」

30代後半を迎えたあたりから、この言葉をもらうたびに、複雑な気持ちを感じるようになっていた。

若く見られることは素直に嬉しい。
でも・・・、そう言われてしまうのは、私が歳相応の苦労をしていないせいではないか。
人間的な幼さや甘えたの末っ子気質が、全身から滲み出ているのかもしれない。
そんな焦りのような、謎の後ろめたさ、恥ずかしさを感じるようになっていた。

本当は世話を焼くほうが好きなのに、なぜだかいつも世話を焼かれてしまう。
いい歳して可愛がられてしまう自分のキャラを、もうそろそろ脱ぎ捨てたかった。



『女性なら、なるべく素直で、可愛くて、若く見えたほうがいい』

確かに20代までの私は、そんなステレオタイプな価値観に囚われていた気がする。
人からどう見られるか、どう思われるかばかりを気にして、肝心の中身はからっぽだった。
多くの人から好かれるような"キャラ"をつくることで自己を守り、いつのまにか自分自身を狭い枠の中に押し込め、つまらない人間にしていた。

可愛い女であるために、好きな人好みの女であるために、本音を言えない場面もあった。
ありのままの自分は内側に隠して、無意識のうちに相手の好みに合わせていたのだと思う。

好きな人が望むなら、多少嫌だと感じることでも無理をして応えた。
内心うんざりしながらも、別れて一人になるのは寂しいから、それ以外は楽しくて良い人だからと自己暗示をかけ、孤独な心を紛らわしていたのかもしれない。

そんなふうに合わせてしまう私だから、時に足元を見られ、都合よく扱われることもあった。
お金の無心をされたり、交際中に脅迫されたり、なにか問題が発生してはじめて、自分が馬鹿だったことに気がついた。
相手の本質を見抜けないまま愛したつもりになって、勝手にがっかりして、自分から別れを告げる。
お互い幸せになれない、不毛な恋愛のパターンだ。
たったひとつしかない自分の心と身体を、もっともっと大切にすべきだった。


『若さ=女性の価値』

この呪いのような価値観を解けないでいたあの頃、誕生日なんて憂鬱なイベントでしかなかった。
少女のままではいられないのに、大人の女性になる方法もイマイチ分からない。
テレビを見ても、雑誌を見ても、しっくりくる答えなんて見つけられなかった。

自分を守ってくれていた純粋な色の羽衣が、ひとつ歳を取るたびに一枚、また一枚と剥がされていく。
残酷な現実を知るたびに、足はすくみ、いつからか私は自由な飛び方を忘れていた。

思い描く理想の世界と、ままならない実生活とのギャップに倦ねいて、苦しまぎれで拵えた小さな砂のお城。
自分のなかの"女の子"の象徴でもある、このお城がどうか崩れませんように。
今にも脆く崩れ落ちそうな、ちっぽけなお城を守ることだけに、滑稽なくらい必死だった。

その頑なさが、たくさんの小さな声を聞き逃し、本当に大切にすべきものを見えなくしていたのかもしれない。



すっかり大人になった今では、歳を取ることも案外悪くないなと感じている。
「こんなこと言ったら変かな?」と、遠慮して言えなかった言葉も、だんだん口に出せるようになってきた。
良い意味で、年々図太く、おおらかになれている。

傷ついたり後悔したぶんだけ、弱い立場に置かれている人の気持ちが、ごく自然に想像できるようになってきた。
何かを表現して相手の心に届けようとするとき、もっとも必要なのは、この"想像力"なのだと思う。

ありのままの自分を大切にできたら、自然と他者にも優しくなれる。
他者に優しくできたら、もっと自分のことを好きになれる。
ささやかな愛の好循環。
そのきっかけを、いつでも私から始めていたい。



雪がとけて川となり、あたたかい土の中から今年も小さな命が芽吹こうとしている。
おひさまの光に微睡んで、身体の芯まで柔らかくなるようなこの季節は、いつでも眩しい予感に満ちている。
雲が行くまま、水が流れるまま、風に身をまかせ、どこまで歩いていけるだろうか。

もしもタイムマシンがあったなら、誕生日が近づくと憂鬱になっていた、あの頃の幼い私に教えてあげたい。

大丈夫。未来はあなたが思うよりも悪くないよ。
信じるものがあって、世界を愛することができるなら。
すべては自分次第なんだよ。

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