【試訳】ライバッハの十戒



訳者序

 社会主義ユーゴスラヴィア最後の10年間に一大センセーションを巻き起こし、国内のみならずその悪名を西側諸国[1]まで轟かせ、現在に至るまで活動を続ける芸術集団ライバッハの主要なマニフェスト(宣言文)[2]を訳出した。スロヴェニアの首都リュブリャナのドイツ語名を冠する、炭鉱町トルボウリェで結成されたこのグループは西側ではインダストリアル・ミュージックに分類され、この日本でもそれなりに認知されており、さらにノイズ・インダストリアルのファンという狭いサークルに限定すれば絶大な知名度があるにもかかわらず、その実態は日本語資料の少なさもあって、この集団の基本的な設定やバイオグラフィーというレベルですら理解されているとは言えない状況にある。筆者は『ユーゴスラヴィアの地下音楽 1980–2000』という本の刊行を準備しており、特にライバッハ以外のことを紹介したいというのが執筆の主たる動機のひとつなのだが、結局、ユーゴの後期社会主義文化を描出するにあたってライバッハを回避することは不可能だし、日本語環境におけるライバッハ紹介・研究の貧弱さを考えればここでしっかり取り組んでおいた方が良いだろうと考え直し、現在、長らく放置していたアレクセイ・モンローの著作などを読み始めている。
 2年(もしかしたら3年?)以上前から本を出す出す言っておきながら一向に出ないのは、こういった次第で新たな課題が続々と見つかり、それに逐一向き合わざるを得ないからです。楽しみにしてくださっている奇特な方々はもう少しだけお待ちください。当初の計画としては、刊行まで研究成果は秘匿しておく方針だったのですが、周囲から激励や助言などを受け、このnoteや、あるいは他の形で研究経過報告を行なっていこうと考えています。その手始めとしてここにこの試訳を掲載します。

 出典はモスクワのガレージ現代美術館公式サイトより[3]。

 以下の翻訳は下訳をDeepLで行い、手動で修正を加えたものである。
 スロヴェニア語固有名詞のカナ表記は『スロヴェニア語文法』(金指久美子 著、三修社、2022年)の第1部2章「文字と発音」を参考にした。

ガレージ現代美術館による前書き

 1983年、文芸誌『Nova revijaノヴァ・レヴィヤ(新評論 )』は、ライバッハの基本的なマニフェストである「The 10 Items of the Covenant」を初めて完全な形で発表した。これはグループのメンバーによって1982年にまとめて書かれたものだ。
 工業生産と全体主義、集団主義とメンバーの匿名性、イデオロギーと文化と政治の関係の分析、アイデアのオリジナリティの否定、挑発と操作の実践、イデオロギーとの同一化など、グループの活動の出発点として10項目を強調している。

**********

ライバッハの十戒

(通称:ライバッハ宣言)

1.
 ライバッハは、工業生産と全体主義のモデルに従って、班(集団精神)として活動している。つまり、個人が発言するのではなく、組織が発言するのだ。したがって、我々の活動は工業的であり、我々の言語は政治的である。

2.
 ライバッハは、後期段階におけるイデオロギーと文化の関係を、芸術を通して提示しながら分析する。ライバッハは、それらの間の緊張と既存の不調和(社会不安、個人のフラストレーション、イデオロギーの対立)を昇華し、その結果、あらゆる種類の直接的なイデオロギーやシステムの言説を排除しているのである。名前そのものとエンブレムは、認識記号のレベルでの思想の目に見える物質化である。ライバッハという名前は、政治やイデオロギーの影響により、政治化されたイデオロギー(システム)芸術を成立させる現実の可能性を示唆するものである。

3.
 すべての芸術は、この同じ(間接的-意識的、直接的)操作の言語を話すものを除いて、政治的操作の対象となるものである。政治的な言葉で語るということは、政治の遍在を明らかにし、それを認識することである。最も人間的な形態の政治の役割は、現実と動員する精神の間のギャップを埋めることである。イデオロギーは、社会意識の真正な形態の代わりを務める。現代社会における主体は、これらの事実を認めることによって、政治化された主体の役割を引き受ける。ライバッハは、政治とイデオロギーが工業生産と結びついていること、そしてこの結びつきと精神との間の埋めがたいギャップを明らかにし、表現しているのである。

4.
 匿名性アノニミティ無個性性フェイスレスネスの勝利は、技術的プロセスによって絶対的なものへと強化された。作者の個人的な違いはすべて消滅し、個性の痕跡はすべて消し去られる。技術的プロセスは、機能をプログラミングする方法である。それは発展、すなわち目的意識をもった変化を意味する。このプロセスの一片を分離し、それを静的に形成することは、人間の生物学的進化とは異質で不適切なあらゆる種類の進化に対する人間の否定を明らかにすることを意味する。
 ライバッハは、工業生産の組織的システムとイデオロギーとの同一化を作品制作=労働ワークの方法論として採用している。それに従って、各成員は自らの個性を否定し、それによって生産システムおよびイデオロギーの特殊な形態と個人との関係を表現している。社会的生産の形態は、ライバッハの音楽そのものの生産方式や グループ内の関係に現れている。グループは合理的変容の原理に従って操作的に機能し、その(階層的)構造は首尾一貫している。

5.
 内部構造は指令原理で機能し、個人に対するイデオロギーの関係を象徴している。思想は一人の(そして同じ)人間に集約され、その人間はいかなる逸脱も許されない。この四重作動原理は同じ鍵(EberエーバーSaligerザーリガーKellerケラーDachauerダッハウアー)によって作用し、その鍵は予期されたものでありながら、それ自体の中に(必要に応じて)任意の数の下位オブジェクトを隠しているのである[4]
 メンバーの柔軟性と匿名性は、個人の逸脱の可能性を防ぎ、生命の内部液の永続的な活性化を可能にする。現代の工業生産の極端な位置に自らを見出すことができる主体は、自動的にライバッハのメンバーとなる(同時にその客観主義が非難される)。

6.
 ライバッハの活動の基本は、統一概念にあり、それは適切な法則に従って各メディアで表現される(美術、音楽、映画……)。ライバッハによる操作の素材には次のようなものがある。テーラーシステム、騒音主義、ナチス芸術、ディスコ他。
 作業の原理は完全に構築され、構成プロセスは指示された〝既製品レディメイド〟である。工業生産は合理的に発展していくものだが、このプロセスから瞬間の要素を抽出して強調すれば、疎外(=異化)エイリアネーションという神秘的な次元も付与され、工業プロセスの魔術的な要素が明らかにされる。工業的儀式に対する抑圧は作曲の独断に変わり、音の政治化は絶対的なソノリティとなりうる。

7.
 ライバッハはオリジナル・アイデアの進化を一切排除している。オリジナル・コンセプトは進化論的なものではなく、生気論でいう生命力エンテレヒー的なものであり、上演はこの静的なものと変化する決定単位との間のリンクに過ぎない。音楽の発展がライバッハのコンセプトに直接影響を与えることに対しても、私たちは同じ立場を取る。もちろん、この影響は物質的には必要だが、二次的な重要性であり、その瞬間の歴史的な音楽的基盤としてのみ現れるもので、その選択には限りがない。ライバッハは、その時代性を現在の人工物で表現している。そのため、政治と工業生産(芸術の文化、イデオロギー、意識)の交差点で、両方の要素に遭遇する必要がある。この広い範囲によってライバッハは揺れ動き、運動(発展)の幻想を生み出すことができる。

8.
 ライバッハは、疎外された意識の反乱状態(必然的に敵を見つけなければならない)上で挑発を実践し、戦士と反対者を静的な全体主義の叫びの表現に統合している。
 それは、厳格な制度主義の創造的幻想として、大衆文化の社会的劇場として、非伝達によってのみ伝達されるのである。

9.
 全体主義における工業生産のあり方に関心を寄せるライバッハのほかに、ライバッハ・クンスト美学の概念には2つのグループ[5]が存在する。

 ゲルマニアは存在の感情的側面を研究し、それは感情的、エロティック、家族的生活の一般的な方法との関係で概説され、新しい社会イデオロギーの古い古典主義の形式における感情の国家機能の基礎を賞賛している。

 300,000 V.K.(Dreihundert Tausend Verschiedene Krawalle、30万件の様々な暴動)は、レトロ未来派的な負のユートピアである(平和の時代は終わった)。

10.
 ライバッハとは、瞬間の普遍性を知ることである。それは、セックスと労働、隷属と活動の間のバランスの欠如を明らかにするものである。ライバッハは、このアンバランスを示すために、歴史のあらゆる表現を用いる。この作業には限界がない。神の顔はひとつだが、悪魔には無限にあるからだ。

 ライバッハとは、この思想を体現する行動の帰結である。


1982年、トルボウリェ
初出:『ノヴァ・レヴィヤ(新評論)』1983年 13・14合併号
文化的・政治的問題を扱うスロヴェニアの批評誌


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【註・訳註】


[1]
 ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は厳密に言えば〈東側〉ではない。1948年にスターリンとの蜜月が終わり、コミンフォルムを追放されてからは第三世界諸国——西でも東でもない南——との協力関係を模索する非同盟運動の盟主となった。マルクス=レーニン主義とその変種である自主管理社会主義を信奉する社会主義国ではあるが、政治的には中立国である。チャーチルの有名な演説(その一節「バルト海のシュチェチンからアドリア海のトリエステにかけて、大陸を遮断する鉄のカーテンが降ろされた」)は1946年に行われ、この頃は東側だったと言える。ユーゴスラヴィア人の反応をいくつかあげてみよう。英『NME』1975年の号にザグレブ在住の読者が『NME』にユーゴと他の東欧社会主義諸国と一括りに「共産圏」呼ばわりされたことに苦情を投書している。「ユーゴスラヴィアはどのブロックにも属していません。あなた方にはどうでもいいことかもしれませんが、ユーゴスラヴィア人にとっては重要な意味を持つこういった事柄について冗談を言わないほうがよい」。英『メロディー・メーカー』の1978年に発行された号では、とあるリュブリャナ出身者が次のように語った。「ユーゴスラヴィアが鉄のカーテンの向こう側にあるという話を何度も読まなくてはならないことにうんざりしている。我々はどちらかといえば、鉄のカーテンの境界線上にいる。そのことは『MM』のスタッフや音楽ビジネスに携わるイギリス人ならとっくに知っているはずだ。1948年、我々がスターリンを叱責したことを覚えているだろうか? もし覚えていなければ、歴史家に聞いてみるといい」。1977年に地元の高校の体育館でコンサートを敢行したパンクバンド・パンクルティはメンバーがインテリであった(特にG・トムツは後に社会学者、サブカルチャー研究者としても名を馳せる)ため、このような基本事実は当然押さえていたものと思われるが、この時の告知ポスターには「鉄のカーテンの向こう側での最初のパンク・コンサート」という文言を入れていた。クリシェを転用したのだと思われる。

[2]
 1982年『Džuboksジューボクス』誌のインタビューで「グループの公式あるいは非公式なマニフェストはありますか?」と訊かれたライバッハは次のように答えている。少し長いが省略せず引用する。

 あらゆる歴史的マニフェストは、プログラムとして、ある運動の目的、形態、原則の集合体として、基本的に不完全であり、それ自体に重荷を負い、時間のダイナミズムに委ねられており(例えば、1848年の共産党宣言、1909年の未来派宣言)、その基盤の短命で扇動的な性格を暴露している。ライバッハは、時間の普遍性を実現するものである。我々の組織的活動は、激しい扇動であり、永続的、体系的、宣伝的、イデオロギー的な攻撃である。これに合わせて、我々の基本的な方向性は常に議論され、改訂されている。従って、プログラムは教条的な理論ではなく、絶えず修正され、ダイナミックな変容、すなわち絶え間ない修正と再定義にさらされている。そのため、マニフェストのような完全なものは存在しないが、基本的なテーゼとプログラム文書は、いくつかの地域グループにおいて定式化・体系化され、「十戒」を通じてそこに集約されている。この10項目は、ライバッハ・クンストの教義の基本プログラムを表している。

Official Laibach Website.
(翻訳は筆者)

「マニフェストのような完全なものは存在しない」と言いつつ、公式サイトのバイオグラフィーではこの「十戒」を「非常に重要なマニフェスト」と呼んでおり、正確にはマニフェストではないが、便宜上マニフェストと呼ばれることも多く、そう呼んでも差し支えなさそうだ。ライバッハのマニフェストには他に「芸術と全体主義」(1982年)、詩形式の「ライバッハの弁明アポロギヤ・ライバッハ」(1982年)などがある。また、1984年にライバッハと共同でノイエ・スロヴェニッシェ・クンスト(NSK)を立ち上げるIRWINアーウィンとシピオン(スキピオ)・ナシツェ・シスターズ・シアターにはそれぞれ「レトロ原理」(1984年)や「設立の布告」(1983年)などが、他、NSK傘下の諸部門にも各種マニフェストが存在する。

[3]
 NSK国公式サイトにも同じ本文がアップされているが短い前書きが付されたガレージ現代美術館のものを採用した。

[4]
 難解な言い回しだが、ライバッハを匿名性を実践する集団とし、正式なメンバーはエーバー、ザーリガー、ケラー、ダッハウアーという架空の4名だけで、制作やステージ上で関わった人間が4人以上、あるいは4人以下になってもそれらの固有名はこの4つの名の下に隠されているということ。下位オブジェクトというのがその固有名のことで、Dejan Knezデヤン・クネスIvan Novakイヴァン・ノヴァクTomaž Hostnikトマーシュ・ホストニクAndrej Lupincアンドレイ・ルピンツMilan Frasミラン・フラスMarjan Benčinaマリヤン・ベンチナMarko Košnikマルコ・コシュニクなどである。
 〈鍵〉の名称はドイツとオーストリアの実在したナチ芸術家からとっている。Elk Eber(ノイシュタット生、1892–1941)、Ivo Saliger(ケーニヒスベルク゠ヴァークシュタット[現・チェコのクリムコヴィツェ]生、1894–1987)、Keller(不明。要調査)、Wilhelm Dachauer(ヴィーン生、1881–1951)。
 ちなみにケラー(の一人)であったアンドレイ・ルピンツはKeller名義でソロ・カセット作品をいくつか制作している。

[5]
 ゲルマニアと300,000 V.K.はライバッハ・クンストに所属する下位サブグループ。前者は1982年(要検証)にAnja Rupelアーニャ・ルペル(Videosex)、Iztok Turkイズトク・トゥルク(Videosex、Otroci Socializmaオトロツィ・ソツィヤリズマKuzleクズレなど)によって、後者は1982年にDejan Knezデヤン・クネスTomaž Hostnikトマーシュ・ホストニクによって設立された。後にIztok Turk、Petal Mlakarペタル・ムラカルが300,000 V.K.に加わった。


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