ドーナツとコーヒーは最強のバディって話

時計館の殺人は上下巻だ。これは少々長い旅になる。読む前に、読書のお供が欲しくなり、ミスタードーナツに駆け込んだ。
なんだかんだでオールドファッションは最高だ。しかし甘いものを食べていると、苦いものが欲しくなる。コーヒーを作って、部屋に持ち込んだ。

しかし読みだす前に、なんとなく文章を打ちたくなり、Twitterで投稿しているショートショートの内容を考えながら、noteを開いた次第である。

ミステリー小説100冊読破を目標に掲げ、週刊文春が企画した東西ミステリーベスト100の制覇を宣言した。

ベスト100とは言いつつも、実はこの企画は1985年と2012年に行われており、さらには日本と海外のランキングが分けられているため、ふたつの年代で被っているものを除いても大体300冊くらいの推理小説がリスト入りしているのである。実質ベスト300である。
気になる方は調べてみるのもありかもしれない。

僕はミステリー小説に関して浅学なので特になんとも思わないが、きっと「なぜあの作品が入ってないんだ!」とリストに対して不満を持つ方はいるはずだ。
おまけに現在は2022年。前回のアンケートから十年も経てば、名作傑作はかなりの数に上る。
たぶんいまこの企画をやれば、「屍人荘の殺人」とか「medium」とかが入ると思う。
つまりなにが言いたいかと言えば、ミステリー小説、名作多すぎ。

さて、推理小説の大海へと船を漕ぎだした僕は、人形館の殺人に続いて、連城三紀彦の「戻り川心中」を読んだ。

全部で五つの短編が収録されており、舞台は明治から昭和の日本が多く採用されている。花を重要なテーマとしていることから〈花葬シリーズ〉と呼ばれており、恋愛小説と推理小説が流麗な文章で融合した小説群だ。

記憶が判然としないが、たしか高校生のころ「夜よ鼠たちのために」が復刊し、綾辻行人氏の推薦帯が書店に並んでいたのが連城氏との出会いだった。あの「十角館の殺人」の著者が推薦しているのだから間違いないだろうと即購入したのだ。

このころの僕は連城氏の良い読者にはなれなかった。「夜よ~」に収録されている一編を読み終えて、なぜか「続きは今度でいいや」と考えてしまい、いつの間にか本棚から消えてしまっていた。おそらく一度書棚を整理したときに、誤って売り払ってしまったに違いない。

そうしたある種の後ろ暗い思い出がありつつも、読み進めていった。
五つの短編のうち、一編目の「藤の香」と表題作「戻り川心中」が僕のお気に入りだ。
特に「戻り川心中」のラストで、ある歌人の死の真相が考察されるのだけれど、僕はこの考察に危うく共感してしまいそうになった。
上手い下手以前に、ひとたび共感してしまえば、その小説はいくら技巧が素晴らしくても、またどれほど稚拙でも、好ましいという自分の感性に従って推してしまいたくなるものだ。(取り上げなかった短編が下手というわけではない。どれも面白いので未読のかたは是非読んでいただきたい)

しかし好みの話をすれば、この短編集は、コツを掴むまで、上手いこと乗れなかったというのが本当のところである。それに、どこか物足りなさも感じるのだ。
これは何故なのかを考えた。
文体が肌に合うまでに時間がかかったから?
これは結局慣れることで解消された。
じゃあ何だろう。
考えた末に思い当たったのは、僕は推理小説に、探偵と助手というバディ要素を求めていることだ。
この短編集にいわゆる探偵と助手は存在しない。僕は推理小説を読むとき、ホームズとワトソンのような関係性を期待している。
そう考えるとこの物足りなさに納得がいく。

もし僕が推理小説を書くときが来たら、やっぱり探偵と助手は必ず登場させるだろう。
探偵と助手の関係性は作品ごとにあるけれど、そのどれもが好ましく思える。このふたりなら安心だ。このふたりが来たからにはもう大丈夫。このふたり以外は考えられない。
切っても切れないドーナツとコーヒーのようなバディが読みたい(これが言いたかっただけ)。

いい感じに締まったので、ドーナツに戻ります。

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