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わたしが女性会に入った理由

某市の商工会議所女性会にはいった。

なんでそんなところに入ったかというと、働く女性達のグループにはいって、女性とはどういうものなのか、聴いてみたいと思ったからだ。

家父長制度的な家庭像では、女性とは家庭にいるべきもので、働くものではない。

女性会でも古い会員は、自営業の社長夫人が多く、影ながら夫のビジネスを支える立場(といいながら実権握ってそうな人もいるけど)のひとが多い。

しかし、最近加入する会員は、自ら事業を行ってる女性経営者が多い。彼女たちのような、自立した女性像を観察してみたいというのが目的だった。

男女雇用機会均等法制定移行、男女平等、男女共同参画は叫ばれているが、女性管理職は、14.9%。女性政治家にいたっては9.7%しかなく、国際的にも低い状況にある。

それはなぜかと考えると、女性のもつ「ケア」性と、「資本主義」の相性が悪いからではないだろうか? 女性が思いやりと関係性を大切にして、子育てや介護といったケアを行うことが、資本主義的にお金にならないため、男性が女性に押しつけるという構造が考えられる。

しかし、少子高齢化が歌われていて、このケアの倫理がこれからの社会の中心課題になっている。ここを資本主義的に回さないと、社会は破綻するのは見えている。

資本主義といっても、資本家資本主義と、人的資本主義は違う。労働者を搾取し、資本家の利潤を目標とする資本主義ではなく、労働者がみずから投資家として経営に参画していく資本主義は根本から違う。

わたしたちは女性を解放するために、資本主義をアップデートしないといけないのではないだろうか。

地元商工会議所といった、資本家=経営者=労働者と一致してそうな中小零細企業で、そこのとを意識して、働く女性像を模索することにこそ、大企業優先の男女平等じゃない社会ができると思う。

すくなくとも男性が育休3日とったら絶賛される社会はおかしい、男女平等ならば、すくなくとも半年づつとるべきだ。

自分は女性として生きた方すなおかも、って思ったところでその女性像がわからなければ実践できない。女性になったらや養ってもらえるなんて甘い考えはセクマイにはゆるされない、そもそもわたしのパートナーは同性(女性)だ。

無自覚な男性達に対して、女性がみずから女性の定義を模索することは、社会全体に、自分を見つめ直す、そして他者を思いやる切っ掛けになるとおもう。

市では性の多様性条例がきまるという大きな時期であるが故に、一度こういうことを考えて見るのもいいのではないだろうか?


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