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【覚書】アイみたいなものについて

先日、朝、夫が眼科にいくと言った。
私は「うん」と答えて、眼科の予約を取ってあげる。
夫はネットで予約を取ったり、電話をしたりすることが苦手だ。
実は私も苦手だ。
だから、なんとなく気持ちを先回りして読んでしまい、
予約を取ってあげてしまう。
我ながら甘やかしているなあと思う。
晩御飯の予約とか、美容院の予約とか、病院の予約とか。
いつもではない。
もちろん自分で電話していることもある。
病院の予約や、取り直しの電話は自分の都合でキャンセルしたりすると気など、
自分で電話している。
初めてのところは私に頼むことが多い。
察するに(勝手に察している)、「初めての人と話すのが億劫なんだろう」と
思っている。
私も苦手なので、そう、察している。

「11時半から取れたよ〜」と言うと、
「うん、わかった〜」と答え、
しばらくして、私が家事をしているところにやってきて、
「眼科、一緒についてきてくれる?」と言う。
それには、私も思わず「はあ!?」と答える。
「一人で病院に行かれへんとか、子どもか!!!
私は何人の病院に付き添わなあかんねん!!!」と言うが、
まだ、
「ついてきてーやー」としつこい。
「お昼奢るから」と言うが、「いらんわ!!!」と答える。
が、結局ついていってしまった。
お昼ご飯を奢って欲しいわけではない(決して)
一人で行きたくないんだろうなあ、と察してしまったからだ。
我ながら、甘やかしているなあとつくづく思う。
「コンタクトとかよくわからんし広海ちゃんから説明した方がいいやん」と言う
夫に、
「いや、知らんがな。私も知らんわ。」と答えながら、結局病院で口を挟んでいる私がいる。
コンタクトは乱視が入っているため作れないとのことだったが、
こうしたら?ああしたら?と
なんやかんやと横から割って入っている私がいる。
我ながら、甘やかしているなあと思う。

私は夫に目に見えて甘えるタイプでもないし、
「愛している」も「好きだ」も言わない。
付き合っている当初から言わない。
付き合っている当初はまだ可愛げはあったそうだから、
付き合っているころは甘えたりしていたのかもしれない。
そらあ二十も上の男性なのだから、頼りにもしたいただろうよ、と
思う。
でも、結婚して子供ができて、年月が過ぎると、
甘いことは全く思わないし、言わなくなった。
夫曰く、夫には強いが、外には弱い私なので、
対外的には頼っているし、甘えていると思う。

夫は家庭内でも甘えて欲しそうだが、
昔から私は誰に対してもそういうことが苦手だったように思う。
けれど、私が夫に対して甘やかしていることは
突き詰めていうならば「アイ」のようなものだと思う。
そうだよ、とは決して言わないが、
「アイ」のようなもので、私は夫を甘やかしてしまうのではないか、と
思っている。
夫にもそう感じ取って欲しいものである。

「アイ」が何か私ははっきりと定義づける言葉を持たない。
夫には「好き」も言わないし、くっついても行かない私だが、
子どもたちには、いつも抱きしめ
「可愛い」「大好き」を繰り返す。
夫や、歴代の恋人には使ったことのない言葉を恥ずかしげもなく
繰り返す。
言葉だけではなく、
子どもたちには、私が「アイと信じるもの」を、息子がこの世に誕生した
あの日から、考えつく限りの形で与え続けている。
それが本当に「アイ」かは知らないが、
ただ、「アイと信じるもの」を与えて、与えて、与えて、
これからも与え続けていきたいと思っている。

それは、私が子どもの頃、自分の両親から与えてもらったものや、
欲しいと思っていたけれど与えられなかったもの、だったりする。
両親からしてもらったことは、自分の子どもたちにもしてあげたいし、
してもらいたかったことは、今できることなら、
自分の子どもたちには与えたい、と思っている。
自分の両親からしてもらったこと、与えてもらったことは
紛れもなく、
「アイ」だったと思っている。
私が知らず知らずのうちから、与え続けてもらったこと。
それを、大人になってから、
あれは「アイ」だったと、思っている。
私の両親は全く「好き」だとも「可愛い」だとも言うタイプでもなく、
抱きしめることも、くっついてくることもなかった。
別にして欲しかったわけでもないので、
今、自分がなぜこんなに子どもたちを、
犬・猫のようにわしゃわしゃと撫でくりまわしてしまうのか
謎である。
完全に、自分のためにしている。
抱きしめてあげている、とは思わない。
寝る時に彼らの寝息を感じると安心するし、
娘は特にふわふわといつまでも抱きしめたくなる。
自分のために、抱きしめたり、くっついたりしてしまうので、
娘が求めた時には、なるべく、自分が忙しかろうと、
応えなければ、と思う。
「可愛い」「好きだ」と言葉にするのも、口から勝手に出ているだけなので、
子どもがそれを「アイ」と感じなくても致し方ないと思っている。
私は、親からもらったものを「アイ」だと思っていられるが、
自分の子どもたちが長じて後に、私が「アイだと信じているもの」を
「アイ」だと思わなかったとしても仕方ない。
なるべく、自分勝手に可愛がっていると思われないように、
ある程度の節度は必要なのだ、と自分に言い聞かせるようにしている。

こうして書いてみると、
「アイ」にはいろんな形があるのだな、と思う。





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