見出し画像

【覚書】祖父のこと

「ナビレラ」を観て、自身のおじいちゃんを思い出した。

ドクチュルさんを観ていて、その優しい眼差しや人柄…きっと「おじいちゃん」「おばあちゃん」みんなに通じる、温かさと物悲しさ、そんなものを感じたんだと思う。

小さい頃、おじいちゃんやおばあちゃん、お母さんやお父さんといった大人は自分とは別物の生き物だった。

なんでも知っていて、なんでも受け入れてくれて、そこにはずっと近づかない。届かない。自分はずっと彼らにとって「子ども」で「特別」。そう、思っていた。

けれど、大人になり、子どもが生まれ、自分が「お母さん」になり、いつか「おばあちゃん」という存在になるということをやっと理解できるようになった。

人間が誰もが平等に歳を取るのだということを。

みんな、時間が限られているのだ、ということを。

だからこそ、「ナビレラ」が私の心に響いた。

父方のおじいちゃんとおばあちゃんは、孫の私からみて、本当に仲が良かった。

夫婦のことだから、もしかしたら色々と、孫には見えない関係性も過去もたくさんあったかもしれない。

けれど、おばあちゃん、おじいちゃんが亡くなるまでの十数年間、私が見る限りは仲が良かった。

おばあちゃんっこだった私は、おじいちゃんは、その連れ合い、というだけで、それ以上でもそれ以下でも、
おじいちゃんを見たことがなかった。

おばあちゃんが亡くなって初めて、「おじいちゃん」をひとりの人間として意識したように思う。

もしかしたら、おじいちゃん自身もおばあちゃんが亡くなって初めて「1人」を意識したかもしれない。
おばあちゃんのお通夜の日、それぐらいおじいちゃんの背中は寂しそうだった。
不安そうだった。
お父さんの横に、喪主として並んで座るおじいちゃんの背中が、初めて小さく見えた。
それほど背の高くないおじいちゃんは、確かに一般的には大きく見えない。
けれど幼い私にとって、血管の浮き出る、節くれだったおじいちゃんの手は、大きく、力強く見えていた。
けれど、おばあちゃんが病気になった時、おじいちゃんは見る見るうちに萎んでいった。
私の目にはおばあちゃんは神経質そうにはしていたものの、毅然とした態度を崩さずにいた。
それに対し、おじいちゃんの方がオロオロしているように見えた。

後で聞いたのかは忘れたが、おばあちゃんはおじいちゃんにこう言っていた。

「私が死んでも3年は我慢しなさい」

それぐらいおじいちゃんは、気を落としていた。

おばあちゃんが亡くなっても、おじいちゃんは一緒に住むことはなかった。
遠慮だったのか、生活を変えたくなかったのかは分からない。
それまで通り、趣味のゲートボールをして、畑仕事をして、週に1回は一緒に夕飯を食べて…
「意外と元気そう」
そんな風に思っていた。

週に1回のご飯の時はなるべくおじいちゃんと喋るようにしよう。

孫が思うことといえばその程度のことだった。

おばあちゃんが亡くなってから3年後。
本当に3年後。

おじいちゃんは突然亡くなった。

自宅の前で転けて、頭を打って、そのまま。

あまりにも忠実におばあちゃんの言葉通りになって家族は拍子抜けするほど。

楽しそうに、元気そうにしていたのに…

おじいちゃんが亡くなってから家族で遺品整理をしていると、
おじいちゃんの手帳が出てきた。
なんて言うことのない、走り書き。
「晩御飯」や予定。そんなものの羅列。

その中に一言、見つけた。

「寂しい」

ああ。

元気そうにしていたけれど、やはり寂しかったのか。

そこで、また私は遅ればせながら、気が付く。

おじいちゃんの隠れた感情に。

いつも静かに優しく見守ってくれるドクチュル。
最後まで自分の弱みを家族に見せようとしなかったドクチュル。
孫のウノは、いつも「おじいちゃん」を「おじいちゃん」として
優しく、自分を守ってくれる存在として疑うことなく、
享受していた。
けれど、おじいちゃんにも夢がある、と気がつき、
そして、おじいちゃんにも辛いことがある、と知る。

私は、それらを全て後になってから知った。

大人になってから、思い返して知った。

私ももう少し思慮深い子だったらなあと思わずにはいられないが、
おじいちゃんを思い返しながら、
今、目の前のことで、目の前にいる人たちに
もう少し思慮深く接していけるように。
今、成長できるように。
戒めとして。

よろしければサポートお願いします!サポートいただいたお金は、新刊購入に当てたいと思います。それでまたこちらに感想を書きたいです。よろしくお願いします。