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【覚書】今年もたたかうアレ、と目に見えない「いたみ」や「痒み」の話

娘が二年ぐらい前から、アレと戦っている。
私が闘い始めたのは、この5年ぐらいだから、
娘の早いデビューに不憫だなと思う。
目がかゆい〜喉が痛い〜と言っている。
もう2年ぐらい、この時期に痒がっているので、
そうだろうな、と思っていた。

半年ほど前、子供たちが小さい頃から通っている皮膚科にて
アレルギー検査を受けた。
息子がいわゆる甲殻類アレルギーを持っているのだが、
「もう何年も経っているので一度、また検査をしてみましょう」
とのことだった。
じゃあ、ついでに娘も…とお願いしたのだが、
結果は確かに数値は出るので、アレルギーがあるにはあるのだが、
花粉に対して、アレルギー反応が強いのは息子の方がひどかった。
が、息子が花粉症を訴えたことは今のところない。
花粉症って、不思議だな。
結果を具体的にお伝えして、心持ちが変わると困るので、
息子には何も言っていない。
が、何も言わずとも娘は花粉症の症状を訴える。
アレルギーというのは実に不思議なものだなと思う。

息子は甲殻類にアレルギーを持ち、エビを口にすると
痒くなったり唇が腫れ上がるのだが、キムチなどは大好きである。
キムチも厳密に言うと、エビが混ざっているらしい。
でも、本人が好んで食べているのに水をさすのも良くないと思い、
とりあえず黙っている。
重度のアレルギーでなくて良かったと思うが、注意しなくてはいけないなとも
思う。

痒い、とか痛い、とかって自分にしかわからなくて、
人と比べることのできるような、目に見えるものじゃないから
娘の「痒い」がどの程度なのか、息子の「痛い」が
どの程度なのか、本当のところわからない。
今はまだ「痒い」「我慢できない」と訴えてくれるが、
もっと小さかった頃の「不機嫌」だとか「かゆい」しか言わないとき
なんぞの母親の苦労は計り知れない。
「我慢させてやり過ごす」レベルなのか、「病院にかかるべきなのか」
その判断が全て育児者に課せられるのだもの。

私自身、最近気がついたのだけれど、美容院でいつもカラーをしてもらった際に
「痛くないですか?沁みませんか?」というお言葉に対して、
「痛いっちゃ痛いけれど、我慢できなくもない」と思い
「大丈夫です〜」と答えていたのだが、
ふと思い返せば、美容院の後、数日経ってから頭皮がゴッソリと
剥けることに気がついた。
それって痛いってことやん?
痛みに弱い人、強い人がいて、
その痛みを我慢すべきか我慢しちゃいけないのか、その判断がつかない。
自分でも判断がつかないのだ、人の「痛み」や「痒み」は
もっと判断がつかない。

背が高いとか、足が大きいとか、人と比べて目に見えると
わかりやすいのだけれど、
「痛い」「痒い」って数値化できないからわからない。
お医者様はそんな「痛い」や「痒い」によく対応してらっしゃるなあと
思う。

先日、実家に帰ると、
兄がメンタルクリニックなるものにかかっている、と母が心配していた。
年齢的なこともあり、母は「そういう」病院にかかることを過剰に心配している
ように私には思えた。
ある年代から上の人は、メンタルクリニックにかかることに
すごく距離感があるように思う。
私は、できる限り、「何ともない、普通のことだよ」という風に返事をしてみた。
「そういう人、多いらしいよ」
「年齢的にもそういう時期らしいよ」とか(若干当てずっぽう)。
でも実際のところ、兄の「辛い」は私にはわからない。
もしかしたら、「すごく辛い」のかもしれないし、
「普通のこと」なのかもしれない。
きっと本人にもわからないのかもしれない。
「すごく」辛いのかもしれないし、「ちょっと」辛いのかもしれない。
兄は難聴で、会社内でうまくコミュニケーションが取れていないのかもしれない。
「お母さんがもっと話を聴いてあげなくちゃと思うんだけど…」と言うが、
「聴いてあげなくちゃ」と思う方もしんどいだろうとも思う。
そうだよね、でも程々で良いんじゃない?と答える。

実は、私の夫も、もう何年もメンタルクリニックなるものに通っている。
そりゃあ、まあそうだよな…という生い立ち的なこともあるのだが、
あまり夫の話をあまり親身になって聴いてあげられていないな、と思う。
しんどいな、と言われた時、「しんどいね」と同調するバージョンと
「大丈夫大丈夫」というバージョンを自分の中に用意している。
時にそれがマッチしないこともあるので、
その都度修正は必要である。
自分の相方がしんどい時にどう対応するか、は常に課題ではある。
その「しんどい」は私には本当の意味ではわかってあげられないから。
その「しんどい」は数値10です!危険です!てなことは
誰も教えてくれない。
見るからにしんどそうな感じ、というのはわかる。
今日は調子悪そうだな〜というのもわかるようにはなってきた。
ただ、その「しんどい」気持ちを同じように感じてあげることはできない。

家族であっても別々の「個」であって、
その痛みを共有できない、というのは
寂しいし、不便だ。
不便?
同じように痛いのもそれはそれで不便かもしれない。
「痛い!」と家族が言って、「ほんとだ!これ、痛いね!」と
言い合っていたら、毎日四六時中家族がてんやわんやになる気もする。
が、目で見てわかれば常に対応できるのになあとも思う。
「痛い!」
「あ、ほんとだ!レベル10の痛みって出てるよ!痛いね!かわいそうに!
これは病院に行った方がいいレベルだね!」
「そうなんだよ、昨日の頭を角にぶつけた時がレベル8だったのに、
今日の足の小指を角にぶつけたのはレベル10なんだね。」
みたいな。
まあ、小指を角にぶつけた経験があればそれは共有できるんだけどね。

とりあえず、私は自分が経験のしたことのない、痛みを
理解するのが難しい、って言いたかったんだけど。

それとも私の共感力の乏しさだろうか。
娘の「痒い」と私の「痒い」が一緒かどうかも、まずわからない。
「痒いね」「うん、痒い」と言い合っている日々である。





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