世の中とはなんとも無常なものだ。
この感覚を俺は幼少期から
『生きていることが虚しい』
と独自に変換してしまい「何もかもがバカバカしいぜ」とヤケのヤンパチみたいな生き方をしてきた割には自尊心が強く、「己がただただ生きているために生きているなんて許せない!」と憤って生きてきた。
全くもって矛盾した男である。
もっと分かりやすく言うと…
誰かに生きている意味とは?
と問われると
「そんなもんどこにもないよ。生きている意味が欲しければ自分で見つけな」
とニヒリズムを気取る癖についつい自分のこととなると
「俺にはこの世に何か新しい価値観を刻みつけるだけの力がある!それを証明するまでは死ねん!」
と過大評価を下しているのだから…
タチが悪い。
しかし振り返ってみれば、何かと手を出して物事を始める割には何かを完成させたこともなく、物事の完成度への執着心も薄く…もっともっとわかりやすく言うと
究極的に熱しやすく冷めやすいのが我が心の在り方だ。
そんな俺がどんな状況であろうと手放さなかったものが、『俺はラーメン屋だ』という職業を元にしたプライドトラディションだった。
ま〜しんどかった。
この半生、とにかくしんどかった。
ついでに言うと、今でもめちゃくちゃしんどいし、めんどくさい。
周りから理解もされず、それでも己を信じるのは己のみと格好のつかないカッコつけを繰り返した挙句に
『ラーメン屋辞めます』宣言までして
Soup Noodle Cuisine
などというまたもや第三者から全く理解のされないジャンルというか概念というか自己満足というか…
そうしたものをチャンプルーというかサルサというか、けんちん汁というか、全ての夢や理想や希望や、はたまた劣等感から自己への誇大評価なども全部詰め込んだごった煮みたいな感情を抱えているものだから俺はいよいよ社会性を失い始めたと自覚している。
だがbutしかし
俺はそれで構わないと考えている。
既存の社会、または価値観になんぞ当てはまってなるものか。
皆が俺についてこい。
俺の正当な評価は歴史が下すだろう。
今すぐ儲けたり、今すぐ儲けるために何をするべきかを考えることは野暮だ野暮だ野暮だと地団駄を踏んで生きていく。
そう覚悟を決めてどこまでも自己中心的に自分の表現を研ぎ澄ませていくことを今生の命題だと決定した。
そしてその自己中心的な表現が誰かから求められて、その表現の価値が正当に評価されて、俺がコンビニエンスストアの廃棄の弁当を漁って生きていく(ものの例えですよ。悪しからず)必要もなくなる時が自ずと訪れるだろう。
だから俺は金儲けなど考えぬ。
己の表現に殉死する。
などと宣っていたら…
先日知人にこんな言葉を投げかけられた。
「清貧気取りは何も産まないよ。お金を稼がなきゃ」
清貧?!
この俺が清貧とな?!
人よりも酒を喰らい、感情のままに言葉を発し、傷つけた人や場面や世間は数知れず、人からアホだマヌケだと罵られ、それを宮沢賢治よろしく
「デクノボートヨバレ」
などと思えずあほんだらなめとんのかこの◯◯◯◯◯◯が!と生きてきたこの俺が?!
と生きてきたこの俺が??
違う違う。
俺はそんなことを言いたいのはではない。
俺は途方もない才能を持っている。
それが今はまだ最高潮に達していないのと、俺の才能が出現するには機が熟していないだけなのだ。
だからその日がくるまでひたすら自分の表現を磨くのだ…
と決意を語ったまでだ。
俺は富も名声も尊敬も信頼も愛も、その他諸々諸行無常も色即是空も焼肉定食も手に入れるだろう。
それは計画的にマーケティングだのブランディングだのに頭を悩ませて進めることではない。
ただただ、ただひたすらに自分の内面から湧き出てくる情念や感動や愛を形にして器に注ぎ込むだけなのだ。
いつか俺の才能と技術と世界観が、この世の中と合致する日がくる。
その日までひたすら己と向き合い、支えてくれる人達への感謝を忘れず、器に愛を注ぎ込んで生きていく。
道を迷って進むことに対して迷いはない!
…えっと、2ヶ月ほどnoteを書けていませんでした。
こんな自己満足な投稿ばかりですが、やはり言葉を何かしらの形で吐き出すことは俺にとってとても大事なことだと再確認しました。
楽しんでくれよ。
さもなくばくたばっちまえ!
…などとジョニーロットンの様に言うにはまぁまぁ年を重ねました。
どうぞお手柔らかにお付き合いくださいませ。
今後ともよろしくお願いします。
#清貧
#生き方
#哲学
#とか言えるほどカッコよくない
#ジョニーロットン
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