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ジム・ジャームッシュ祭り

忙しい。。
当たり前だ。就活真っ只中なのだから。

なのにひとりひっそり開催してしまった映画祭。やらなきゃいけないことがある時ほど、別のことをしてしまうものだよね。

ジム・ジャームッシュ

1953年生まれ。アメリカの映画監督であり、脚本家。

初めて見たジャームッシュ映画は、11の短編から成る『コーヒー&シガレッツ』。一度鑑賞したら独特の世界観の虜になる人は多いと思うけど、自分もそう。本人役で登場する出演者がコーヒー(もしくは紅茶)と煙草を囲んで会話するだけのショートストーリーを集めた映画で、特別なオチもなく、2003年公開なのにモノクロで、音楽の使い方、映像の切り取り方が絶妙で、気になってしょうがなくなってしまった。誰にも模倣できない感性を持った天才と思った。「鬼才」の冠に相応しい。

ジム・ジャームッシュ作品の特徴

「短編」を集めたオムニバス作品が多い。
ストーリーの繋ぎ方の間合いが独特。
セリフが少ない。
非アメリカ人の映画出演が多い。
音楽へのこだわりが強い。
ポスターのセンスが良すぎる。
歩いているシーン、乗り物での移動シーンが多い。
壁に落書きされた路地裏がよく出てくる。
謎は謎のまま終わる。正解がない。
出演者を決めてから脚本を作る。
だから役柄ぴったりで当たり前。
通信手段が斬新。伝書鳩、マッチ箱交換など。
日本映画リスペクトが伝わる。

映画とは如何様にも編集可能と思う。何分にまとめてもいいわけだが、無駄なシーンは極力削ぎ落とすのが当たり前であろう。スクリーンに映し出されるシーンには必ず意味があるはずなのに、なぜだろう。ジャームッシュの作品には普通ならカットしてしまうような無意味なシーンが残されている気がする。いやそんな無駄な事をするはずがない。と、そのシーンから意味を読み取ろうとする。その時点でもしかしたら作者の意図にまんまとハマっているのかもしれない。創作の意図を想像するのは見る側の自由である。観客の数だけ解釈が存在する。見るたびに、気分次第で変わるかもしれない。その余白が多い自由さがジャームッシュ作品の魅力であると思う。なんなら結末さえも自分で決められる。

心地良く感じる音楽と、詩的なアンテナがあれば心豊かに生活できることを彼の作品から学んだ。

『パーマネント・バケーション』(1980)


ニューヨーク大学の卒業制作として製作されたという長編デビュー作。 荒廃した建物や通りを徘徊している主人公パーカーが言うには、物語は点と点の繋がりで、最後に何かが現れる絵のようなもの。人生も同じで、一つの点からもう一つの点へと移動し、永遠に漂流し続けるものらしい。だから居場所も転々と変える。
数日連絡もなしに留守にして、待ちくたびれた同居人リーラに「孤独はもう嫌だ」と言われても意に介さない。突然レコードをかけて踊り狂いだし、ちょっとおどけて見せるが同居人のご機嫌は取れない。ロートレアモンの詩集は読み飽きたからあげると言っても、もう読んだと素気ない。アリーは、今度は母親に会いに行くと言って家を出てしまうが、戻るとリーラは居なくなっていた。当たり前。
この映画には、心を病んだ人が多く出てくる。アリーもそうだ。壁に「アリーは完ぺきに狂ってる」とスプレーで落書きするくらいだから自覚もある。
大金を手にして海外へ旅に出るところで物語は終わるが、アリーはずっとこのまま生き続けるのだろう。

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984) 


「新世界(THE NEW WORLD)」「一年後(ONE YEAR LATER)」「パラダイス(PARADISE)」の短編3本から成る作品だが、物語として続いている。
友人エディの前でもハンガリー出身なことを隠してニューヨーカーを気取っているウィリーが、従妹エヴァを10日間預かることになる。最初は面倒だと邪険にしていたが、次第に親しみが湧いてくる。
一年後、エヴァの様子が気になって友人のエディとクリーヴランドに訪ねていき、温かく迎えられる。賭けで手にした大金が残っていたので、寒いクリーヴランドを逃れエヴァをフロリダに連れて行ってあげることを思いつく。エヴァの分を誤魔化して安モーテルに滞在し、フロリダで金を増やそうと目論むが、ドッグレースで全財産をすってしまう。翌日もエヴァを部屋に置き去りにしたまま逆転にと競馬に出かけていく。不貞腐れていたエヴァだったが、麻薬の密売人と間違われ思わぬ大金を手にし、二人に置手紙と金を少し残して空港に発つ。今度は勝ってウキウキでモーテルに戻った二人だったが、部屋にエヴァの姿がないので大慌てで飛行場に迎えに行く。エヴァがハンガリー行きの飛行機の搭乗手続きを終えていることを聞き出すと、ウィリーはエヴァを迎えに同乗便のチケットまで購入し、そのまま雲の上の人となってしまう。最後に映されたモーテルの部屋になぜかエヴァの姿があって、笑った。

『ミステリー・トレイン』(1989年)


エルヴィス・プレスリーの出生地メンフィスの安ホテルを舞台とした、3編からなるワンナイト・オムニバス・ムービー。物語のキーとなるのは、エルヴィス・プレスリーの名曲「ブルームーン」。各編のストーリーが同じ時間に進行して、バラバラなようで互いに影響し合っている構成。
日本人カップルは、神と仰ぐプレスリーの聖地巡礼を最後の思い出にこの後心中しようとしているのかな。2人のスタイルが可愛い。

『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年)


ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ世界5都市の一夜を舞台に、タクシードライバーと乗客のやりとりが描かれる。ロサンゼルス編のタクシー運転手:ウィノナ・ライダーがいい。そしてパリ編に乗客として出てくる盲目の女性の演技が凄い。オムニバス作品は順序の構成次第で大きく変わると思うが、どの国のドライバーも癖が強く、ロサンゼルスで溌剌と始まり、ニューヨークで賑やかに勢いづいて、パリで圧倒されて、ローマで騒々しいクソ男にムカムカしながら、最後はヘルシンキ編で粛々と静かに終わるのがいい。

『ゴースト・ドッグ』(1999)


日本の武士道を説いた本「葉隠」を愛読書とする孤独な殺し屋、通称「ゴースト・ドッグ」。8年前に命を救われて以降、主人と慕い仕えている男から依頼された任務を淡々と遂行している。通信手段は伝書鳩のみ。いやいや伝書鳩って。夢がある。友達は公園でアイスクリームを売っている、フランス語しか話せないレイモンだけ。言葉は通じない。「殺すと決意した時は、一気に突き進むことが困難に思われても、ためらってはいけない」「時を待たず、一気に事を運ぶのがサムライの道だ」最後まで武士道を貫いた硬派男の物語。

「ブロークン・フラワーズ」(2005)


「実はあなたの子供産んでました。息子があなたに会いに行くらしいからよろしく」という手紙を受け取った中年男ドン。手紙を寄越した人物を特定するため、当時付き合っていた元恋人たちを訪ねて歩くロードムービー。ピンクの便箋にタイプライターの文字が赤インクだったことをヒントに、隣人が作成してくれたリストに従って、アドバイス通りピンクの花束を持ち候補者の家を訪れる。すでに亡くなった方はお墓にお参りするところも律儀で良かった。結局何の手がかりも得られず旅から戻るが、帰路に出会った青年が自宅の周りを彷徨いていたことからこの青年こそ自分の息子じゃないかと疑う。全くの勘違いで気味悪がられただけだった。結局手紙を送ってきた人物が特定されることなく物語はエンディングを迎えるが、最後の最後に出てくる青年役の俳優名を調べるまでがストーリーって事なのかな。それにしても母親は誰、って謎だけは残るけど。

『リミッツ・オブ・コントロール』(2009)


仕事を依頼された殺し屋が、敵地に乗り込んでボスを仕留める物語。この映画が今のところ一番好き。なんだこのゲームみたいなワクワクの冒険物語は。とにかくセリフが少ない。謎が多すぎる。
スペイン人の依頼主に、「想像力とスキルを使え。」「すべては主観的なものだ。」「自分こそ偉大だと思う男を墓場へ送れ」「命の意味を知るだろう。」「人生は何の価値もない」通訳を介し伝えられる謎の言葉たち。鍵とマッチ箱を渡されて、「タワーに行け。カフェへ行け。数日待ってバイオリンを探せ。」え?これだけで理解しろと?
機内でマッチ箱の中を確認すると、中には暗号らしき謎のメッセージが。一読して男は証拠隠滅にそれを飲み込む。え?紙を飲むとは。
男はエスプレッソを必ず2杯別々のカップで頼む。なんで?
太極拳をし、決して眠らず、携帯電話を嫌い、着信音が鳴っただけでぶっ壊す。なんで?
謎人物が次々に近づき、スペイン語が話せるか確認し、例のマッチ箱を交換する。通信手段がまさかのマッチ箱交換だった。
美術館で見る絵画と現実がシンクロしている。なんで?
謎、謎、謎のてんこ盛りで頭の中は溢れんばかりだ。
タワーから別の場所へ移動する列車の中で接触してくる謎の女、工藤夕貴。「宇宙は中央もなく端もない。」「3日待って。パンが届くまで。ギターがあなたを探し出す。」またも謎の言葉を残してキーを渡す。
移動先で店じまい時間に訪れフラメンコ鑑賞をする男。
「♪~自分こそ誰よりも偉大だと思う男~墓場へ送れ~♪」
まさかのフラメンコソングの歌詞にあのメッセージが。裸の女を前にしても無表情だったのに、フラメンコ鑑賞中はちょっと楽しそうな表情が現れたことが印象的だった。
カフェに居たらギターを持った男がやっと現れて、いつものマッチ交換。「メキシコ人と会え。ドライバーだ。」と言ってギターを置いて行ってしまう。いやギター、邪魔だろ。
移動の列車の中で、ギターの弦を一本外してくるくる巻いて保管する男。なんで?
今度は車でど田舎の廃墟みたいな場所に連れて行かれる。やっとここが敵のアジトの近くらしい。アジトは四六時中護衛が見回り鉄壁に守られているように見えた。なのに、次の瞬間ビル・マーレイ演じるボスの部屋に侵入している主人公。「自分こそ誰よりも偉大だと思う男」とはこの男なのか。
当然の疑問「どうやって入ったのか」聞かれ、「想像力を使って中に入った」。いやいや、どうやってあの鉄壁の守り掻い潜って入ったのよ。その方法は明かされない。弦一本何に使うのかと思っていたが、まさかの武器だった。
謎は謎のまま徹底して解明されない。
無事仕事を終えて帰ってきた男は、スーツからジャージに着替える。次の仕事なのかこれがプライベートなのかも謎のままだ。

『パターソン』(2016)


ニュージャージー州知事で 、アメリカ合衆国憲法 に署名した政治家 「ウィリアム・パターソン 」の名前に因んで名付けられた「パターソン」という街で暮らす、「パターソン」という名のバス運転手が主人公。日々ルーティーンをこなすだけの変わり映えのない毎日を過ごしている男に、ドラマティックな出来事が起こった一週間のストーリー。詩を学んだ事もあるというジャームッシュ。詩人フィルターを通すと、ありふれた景色もこんなに輝きを放つのかと想像してしまった。地味なポエマー男と、創造性豊かな女という対極的なカップルも良かった。

『デッド・ドント・ダイ』(2019)


二度目の鑑賞。何度見ても終わり方がひどい。有名俳優たちはこのラストに納得していたのか気になっていたのだが、わざわざこんな終わり方にしているのだと悟った。「こんなエンディングで締められるの、俺くらいだよね」大物監督と言われるようになった現状の立ち位置だからこそ許されるおふざけを楽しんでいるみたい。でもポスターのセンスはやっぱり秀逸だし、ゾンビ映画へのリスペクトも感じられる。日本刀でゾンビの首をバッサバッサと切り落とし退治していく風変わりな逞しい女性が出てくるが、パルプフィクションに出てくるブルースウィルスが反撃の武器として選ぶのも日本刀だったし、腰を据えて構え、使うには技量の必要な日本刀は魅力的に映るのかな。


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