相棒の存在

私には、1年前まで相棒がいた。
その存在が私の活力であり、生きる意味だった。
相棒はホモサピエンスに比べ寿命が短く、その生涯は15年と1ヶ月だった。
そう、相棒とはイヌだ。
私の暗黒時代を共にし、断片的に相棒にひどいことを言ったりもした。それでも相棒は私から離れることなく、初めて愛を教えてくれた存在だ。
私は基本的にヒトのことは信じていない。利己的かつ欲深く、1日に何度も嘘をつくことで成り立つ社会の一員だ。かく言う私もその一人。けれど知ってしまった。駆け引きなしの無条件に本音で生きる存在を。私が唯一心の底から信じ、愛した存在。よくイヌを始めペットは家族だと言うが、相棒は家族を超越した存在だった。
相棒を看とること、私の生きる理由はそれだけだった。
そしてその相棒を失って1年がたつ。私は今生きる糧となるものがない。うちには他にも複数イヌがいて、彼らは平等にみな家族であり大切な存在だ。だが相棒にはならないだろう。
今までもこれからも私が相棒と呼ぶのは、あの子だけだ。
普通の生活が送れるだけの金があり、時間もあり、自由もある。
それならば、生きることを楽しめるのではと思われるだろう。
しかし私は、私には相棒が全てだった。ヒトの平均寿命の約半分くらい生きているが、あんなに深く信頼を感じられる相手は相棒だけだ。
だからなのか、どこかが抜け落ちた感覚でなんとなく今をやり過ごしながら生きている。
虹の橋が本当にあるのなら、今ごろ相棒は幸せに過ごしていることだろう。そこにほんのすこしだけでいい、私も訪れて昔のように相棒をこの手に感じたい。今の願いはそれだけだ。
もし本当に私が死にたくなったとき、自殺を選んでも相棒に会えるだろうか。最近の考え事の内容は大抵これにつきる。
相棒にもう一度会えたなら、その後魂ごと消えても構わない。
ただのペットロスだと思われる可能性は高く、それが真実だったとしても最早そんなことはどうでもいいのだ。
私の願いはただひとつ。もう一度、会いたい。

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