選択肢があるということ

死生観をメインに独り言を書いているわけだけど、最近になって特に強く思うことがひとつ。
人間はいつでも「自分の死を選べる状況にあるわけではない」ということ。
例えば交通事故で重症、重体になったり、病気がきっかけで後遺症が残ったりすることで、「自分の身体の自由を奪われながら生きていかなければならない」という状況に陥る可能性は誰にでもある。
日本を始め大抵の国では医療機関が死にたい気持ちを優先してくれることはない。
結局死ぬか生きるかを自由に選択するにはその選択を全うするだけの身体の自由を確保しなければならない。
特に私のように、自分のために医療や福祉になるべく世話になりたくないと考えている人間は、いざというとき速やかかつ最低限の迷惑範囲で確実に死ねる方法を常に確保することが重要となる。
死を選ぶも生を選ぶも身体が資本となるというのはいささか不思議であるが、自由意思を貫くには、健康も大切になってしまうものかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?