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 数回に分けて紹介していた富田林市にある錦織公園シリーズもこれで最後です。実は公園内に古墳があったので、最後にそこに立ち寄りました。

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 この堂ノ山古墳は公園の中でも一番南東、梅の里のさらに外側にあります。ちなみに画像の場所は梅の里。2月頃なら梅の美しい姿が見られるのでしょう。けれど、このときは数多くある緑の木々のひとつにしか見えません。

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 梅の里から坂を下りて、また次の坂を上がります。アップダウンが激しいですが、この上に古墳があります。

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 古墳が見えてきました。上に石が乗っています。

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 石の右下を見ると穴がありました。この中に埋葬していたということのようです。

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 堂ノ山古墳の解説がありました。どうやら復元したもののようですね。せっかくなので全文引用します。

堂ノ山古墳の解説

この古墳は大阪府教育委員会文化財保護課が発掘調査を行い、調査結果に基いて復元したものです。
<調査の結果次のことが分かりました。>
・堂ノ山古墳は、一辺10メートルの方墳で、石室が南北方向に2基並べられていること。同一墳丘内に石室を2基持つ古墳は、我が国ばかりでなく、朝鮮半島でも数少ないものです。
・石室の寸法は幅約1mで、長さ約2.5m、高さ約0.6mでした。
・棺は床面の敷き石の範囲から幅0.9m、長さ2.2m、高さ0.5m程度のものと推定されました。
・出土遺物には棺を飾った金具や棺材をつないだ鉄釘がありました。鉄製棺金具の出土例は数少なく、方形座金の金具は初めてです。
・以上のようにこの古墳は小規模ながら単独で立地する終末期古墳(約1300年前)の特徴を持ち、朝鮮半島の影響を受けたものです。
・またこの古墳の被葬者は、この地居住していた朝鮮半島からの渡来人集団の首長と考えられます。
・なお西側石室は北半分の両面壁の石材が抜き取られ、又東側石室は両側壁の一部を除いて奥壁、東則壁の石材とも抜き取られ、さらに両石室とも天井石はすべて取り去られていました。
石室復元にあたっては現存する石材はそのままで、抜き伝えられた両所には花崗岩を用いています。


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 古墳側から先ほど見た梅の里側を見ました。古墳には他に誰もいませんでしたが、この木が梅の咲くころには美しく、見渡せるので多くの人が昇って梅を愛でられるのでしょう。

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