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久しぶりに河内長野の隣にある千早赤阪村に来ました。河内長野を含め南河内では、中世の武将・楠木正成ゆかりの地が多いのですが、千早赤阪村はその中でも特にいろんなスポットがあります。

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今回は、楠木正成が生誕したという場所に行ってみました。実は道の駅「ちはやあかさか」のすぐ隣にあります。

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広い駐車場となっていて、ここの拠点にいろいろ回れます。

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これは自動販売機を後ろから撮りました。

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古くからこの場所が史跡だというのがわかる石碑。

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入口に説明版があるので、いつものように引用します。

楠公誕生地遺跡
 ここは、楠木正成公が生誕したという伝承の残る地です。
 現在この地に残る石碑は、明治8年(1875)2月8日に大阪会議で来阪していた大久保利通が、楠公に関係する史跡をめぐった際に、同行していた堺県令・税所篤(さいしょあつし)へ整備を命じて建てられたものです。
それ以前にも、文禄年間に豊臣秀吉が増田長盛(ましたながもり)へ整備を命じて土壇を築き、建武以降の楠木邸に有った百日紅(さるすべり)を移植したという記録や、元禄年間に領主石川総茂(いしかわふさしげ)が、保護を加えたという記録が残っています。
 くすのきホール建設に伴い発掘調査を行った際には、2重の堀を周囲にめぐらせる建物跡を検出、出土遺物も14世紀のものが認められ、周囲の中世山城群とあわせて考えると、楠木氏との関連も推定することが可能です。また付近には、楠公産湯の井戸の伝承地も残ります。 千早赤阪村

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ということで中に入ってみましょう。

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こちらが楠公(楠木正成)生誕の地を示す石碑です。 1294(永仁2年)に誕生したそうです。

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隣には、祀っている祠がありました。

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