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河内長野千代田にあった大阪陸軍幼年学校

 今日は終戦記念日ですが、戦争に関係する場所として、大阪陸軍幼年学校が、河内長野に存在していたことが分かりました。さらに良いタイミングで下記の企画を見つけます。絵のイメージとうまくシンクロしたので、物語風に紹介してみましょう。リンクの下から物語がスタートします。


 頭一面ががシルバーに染った髪をした老紳士がいた。彼は年金生活を送っている。ゆったりとした姿で立ち上がり部屋から窓を見た。
「今日も予報通り雨か、花を見に行くのは止めておこう」
 老紳士はそのまま仏壇に行くと線香をあげる。
「今日は親父の命日だな。あれからもう5年か」老紳士は、仏壇に手を合わせて目をつぶった。

 老紳士が目を開けると、そこは風景が変わっている。太陽が輝いたオレンジ色の空が広がった場所に、若き日の親父が立っていた。

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「急になんだよ。終戦って。せっかく陸軍士官になってみんなを楽にさせたかったのに」少年の格好をした親父は不満そうにズボンに手を突っ込み、歩いている。それを傍観しながら、老紳士は後をついていく。
「そうそう、親父よく言ってたな。陸軍士官を目指して、大阪陸軍幼年学校の門をたたいた」この学校は13歳の若者が入るので、ちょうど中学生のころ。卒業後は陸軍予科士官学校に無試験で入学できるので、入学したら陸軍士官への道が開けていた。 
 ちなみに一時は廃止になった幼年学校は、1940年に以前あった場所とは違う、楠木正成の居城近くの南河内郡千代田村(現:河内長野市)に復活する。そのため、南海高野線に新たに千代田駅ができるきっかけとなった。

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 この当時は戦時中のため通常の定員よりも多くの生徒が入学。その中に老紳士の父がいた。老紳士の父は昭和18年に入学し、ここで3年間の教育を受けてから、進級して士官学校に進む予定である。しかしその矢先、昭和20年の夏に終戦の日を迎えた。学校は解散となり、その日の夜に荷物をまとめて、翌朝故郷に帰るように言わてしまう。
 
 父は突然士官になる夢がなくなり、茫然として近くの坂道を上って行く。「あれ、髪が長い」老紳士は父の髪を不思議がった。当時なら丸刈りのはずだと。だがよく見るとそれは髪ではなく、もやのようにぼやけていて、そのように見えただけである。

 そして親父がある場所に来た。「さて、どうしようかなあ」その池は寺ヶ池である。

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「そうそう、親父が言っていた。あのとき寺ヶ池を見ながら今後どうするか悩んだ挙句、ここにとどまると決めたと」多くの生徒たちが故郷に帰る中、故郷に帰ってもどうせ苦労するだけと思った老紳士の父は、この地にとどまることを決意し、近くの工場で働いた。そして地元の女性と結婚。老紳士もこの地域で生まれ育つ。

 ふと我に返った。父の仏壇の前にいる。「あ、お盆だから帰ってきたのか」窓を見ると雨がやんでいた。「よし学校の跡地に行ってみるか」

 こうして老紳士は、ラフな格好のまま、大阪陸軍幼年学校の跡地まで歩いてみる。家から近くにある千代田駅に向かい、その東口から続く千代田あいあい通りを歩いてみた。
 1945年の終戦をもって解散となった大阪陸軍幼年学校の後には、堺市から大阪第一陸軍病院が移転してくる。その後、国立大阪病院、大阪病院長野分院などを経て、現在、大阪南医療センターと呼ばれる病院。そして北側の一部は、2021年3月で閉校となった、大阪府立長野北高等学校が利用していた。

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「5年前にこの病院で親父が亡くなったんだ。今生きてたら91歳か」老紳士は5年前のことを思い出す。そしてこの大阪南医療センター正門を入って右側に、大阪陸軍幼年学校卒業生有志等により昭和47年に記念碑が作られていた。親父が生前だったときに連れて行ってもらったことがある。だが老紳士は「いやまだ病院の敷地に入らない。こんなに元気だからな」と言いながら建物だけ眺めて、今来た道を折り返した。

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※この物語は河内長野市千代田周辺を舞台に、想像したフィクションです。具体的なスポットや大まかな歴史は事実ですが、そのほか登場する人物等はすべて架空のものです。

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