卒論でLGBTQについて書く 「私(21年間日本で暮らす女子大生)って」
オーストラリアは今日も暑い。
それなのに私の住んでいるシェアハウスにはエアコンがない
というか、エアコンを起動させるための$20をケチっている。
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ここ最近の激しい雨はオーストラリアの大地を潤し、森林火災に最も有効な影響を及ぼしはじめている。
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さて、私は現在大学4年次を休学しているため、復学と同時に卒論を書き進めなくてはならない。
テーマは「LGBTQ」について、日本に住んでいたら絶対に選ばなかったであろうトピックである。
「LGBTQ」とは
L(レズビアン)…性自認が女性の同性愛者
G(ゲイ)…性自認が男性の同性愛者
B(バイセクシュアル)…男性・女性の両方を愛することができる人
T(トランスジェンダー)…主に身体的な性別と性自認が一致しない人
Q(クエスチョニング)…自分の性別がわからない・意図的に決めていない・決まっていない人
Q (クィアQueer) ...セクシュアルマイノリティの総称として使われる単語、セクシュアルマイノリティ全体を差別する「変態」という意味を持ち、ゲイである人々を中心に差別する言葉として使われていた
日本と「LGBTQ」と私(21年間日本で暮らす女子大生)
日本で暮らしていた時、「LGBTQ」の運動を見ても正直何も感じなかった。
本当に、何も感じなかった。
自分の知識不足で「LGBTQ」という"社会問題らしい"議題に関心が持てないのだと思った。
でも、それは違うことに気づいた。
知識だけではなく、日本では「LGBTQ」だと自覚している人々がそれを隠して生きている。そのため、日本に住んでいると彼らの存在やアイデンティティに気づくことが難しい。同時に、彼らの隠された感情に触れることもできない。
そして感情に触れられなければ共感する機会さえ得られない。本人たちの声も直接聞くことができない。
つまり、日本では多くの人々が「LGBTQ」というアイデンティティを隠しながら、息がつまるような生活を送っているということである。
オーストラリアと「LGBTQ」と私
ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルの友達と出会う
オーストラリアに来て、人生で初めて「LGBTQ」の友達ができた。彼らは私にある種の安堵と大きな愛をくれた。
私は彼らが大好きだ。(彼らが何か特別だと言いたいから「」をつけているのではない。)
日本では誰一人として私の周りに「LGBTQ」ということを受け入れて生活している友人は居なかった(居たとしても、気づくことができなかった)。また東京の街を歩いていても、"仲睦まじい"ゲイカップルを見かけたことはなかった。
そんな私の価値観を大きく揺るがしたのが、オーストラリアでの彼らとの出会いだった。
私が時間を多く過ごしたボブ(仮名)とトーマス(仮名)はゲイで、いつも私に暖かいハグをし、彼らと私三人でよく遊んだ。
なぜだか、私は彼らとの時間にすごく愛着を感じ、居心地の良さを感じていた。
「男」/「女」という二元論の思考回路
日本に居た頃の私はボブとトーマスとの関係性について「男の子二人と女の子の私」という見方をしただろう。「男」/「女」という二項対立でしかその状況を受容することができなかったのだ。
地元の公立中学校が「女子生徒向けの長ズボン」を導入したのは、私が中学生の頃。女の子のためのズボンと聞いて最初に思い浮かんだのは、寒さ対策の処置かしら?という呑気なもの。
ランドセルは男の子は青で女の子は赤、トイレは男子/女子、男子はサッカー女子はドロケイ(もちろん男子もいたけれど)。
金八先生は見たし、衝撃を受けたことはなんとなく覚えているし、知った気になっていた。
けれど、男女という二元論意外は全く頭になかった。
これから、ぽつりぽつりと、私の中で渦巻く感情をここで整理していきたい。
まとまりはないが、今後続きも書いていく。
みなみ
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