【小説】缶珈琲 ep.3
ep.3 TSUMUGI
13:40
待ち合わせの駅で僕が降りる頃には、
お気に入りのカフェから音澄が出る頃だろう。
僕の兄、旭が経営するカフェ「TSUMUGI」は元々、僕達のじいちゃんが定食屋として営んでいて、店を畳むと言われた日に旭が、俺が継ぐと言って始めた。
カフェ巡りが好きな兄は、難しい珈琲豆の名前とか、洒落た料理の名前とか良く知っていて、カフェを開くのがずっと夢だったらしい。
リフォームされた定食屋は、読書好きや写真映えを狙う人達にウケるであろうお洒落なカフェに大変身を遂げ、想いを紡ぐという意味が込められた「TSUMUGI」の名はそのままに、僕の高校入学と同時にオープンした。
兄は昔から、運動も勉強も出来て、おまけに人当たりも見た目も良いもんだから、それはそれは女子に人気である。
バレンタインではいつも、紙袋にチョコを詰めて持って帰ってきていた。
SNSで瞬く間に広まっていったTSUMUGIは、必ずと言って良いほど、「オーナーがかっこよすぎる」とタグ付けされていて、兄の女子人気に拍車をかけ続けている。
そんな兄とは正反対だった僕。
小学校、中学校で好きになった女子達はみんな、旭を見つけると兄へと恋心を向けていった。
悔しくて悔しくて、でも優しくてかっこいい兄が自分も好きで憧れていて、諦めるしか無かった僕は、勉強だけは頑張って、兄よりも良い高校へ進学した。
高校での僕はいわゆる高校デビューって奴で、兄の真似をして、誰とでも話をし、優しくノリの良いサッカー青年を演じた。
おかげで、高一の僕にモテ期というのがやってきたのである。
生意気にも、誰の告白にも応えず、ただただ兄と同じ環境を味わえている事が嬉しくて、高校で最初の夏が来る頃には、演じていた偽りの自分は、素の自分と入れ替わっていた。
完全に調子に乗っていたんだと思う。
音澄という好きな人が出来て、それなりに仲良くなれて、上手くいくかもしれないと伝えたくて、TSUMUGIへ向かったあの日。
兄との会話が弾み出して、いよいよ話そうとした所へ音澄が現れた。
「えっ、陽向、なんでここにいるの?」
「いちゃダメなのかよ」
「いらっしゃい音澄ちゃん」
ちょっと絶望的みたいな顔した音澄が、旭に目を向けて、すぐ逸らしたのをその時の僕は見逃さなかった。
「えっ兄貴、音澄と知り合いだったの?」
「うん、音澄ちゃんはオープンからの常連さんだよ。ね、音澄ちゃん」
「えっ、あ、はい!てか、え、兄貴って、え?」
「旭は、俺の兄貴」
「いや、え、陽向、お兄さんいたの!?なんでよりによって…もっと早く教えてよ!」
どうしてこうも負のループから抜け出せないのだろう。
「別に聞かれなかったし。んな事より、音澄も兄貴狙いかよ。ミーハーだな」
「余計な事言わないっ!」
真っ赤になって慌てて、兄貴狙いと言う僕の言葉にも否定しなかった音澄に、確信を持ってしまった僕は、その日、音澄への気持ちを奥の奥へと押し込んで、背中を押す男友達へとシフトチェンジした。
音澄が先に店を出た後、兄に話したかった内容を聞かれたけれど、何でもないと答えた。
結局、僕はどんなに良い人を演じても、着飾っても、好きな人を手に入れることは出来なくて、いつまでも兄には敵わないんだと、谷底に落とされた気持ちを引き上げるのに精一杯だった。
兄の唯一欠点な所と言えば、少々鈍感で空気が読めない所かもしれない。
兄は追い討ちをかけるように、いや、結果僕にとってはむしろ好都合になった話をしてくれた。
2年経った今でも、降りたくもない駅で降りてしまうのは、僕の恋も叶わないと同時に、音澄の恋も叶わないと僕だけが知っていて、彼女に気付かれないように、そして今現在の最高の立ち位置である男友達から、少し先へいけるその瞬間にまだ期待しているからだ。
13:58
改札を出て、音澄が僕を一番見つけやすい場所に立つと、彼女が走ってくるのが見えた。
気付いていないフリをして、背中を向けると、嬉しそうな声が僕を呼んで、背中を思い切り叩いた。
振り返って見た彼女の顔は、喜びが隠し切れませんって表情で、性格の悪い僕は意地悪な質問をした。
兄の前では可愛く見せたい彼女の乙女心は、僕の心だけ鷲掴みにしていって、神様って奴は本当に酷い奴だと改めて思う。
音澄が買った缶珈琲をそれぞれ飲み干して、苦い話に幕を下ろし、映画館へ向かった。
観るものも、チケットも音澄に任せていたので、僕は座席に着いてからタイトルを確認した。
「ねぇ、音澄」
「何?もう始まるから静かにして」
「いや、なんでよりによって…」
恋愛映画選んだ?
見終えた後の気まずさを想像して、僕はゆっくりコーラを飲んだ。
次回「ep.4 TSUMUGIの常連」
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