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今日は、じいちゃんの命日。

朝イチに予約した歯医者が終わって、
恒例になりつつある帰り道の散歩。

よく散歩にいく公園は
川沿いが桜並木になっていて
葉桜がとってもかわいい。

去年か一昨年あたりから
満開の桜はずいぶん眩しく見えて

その代わり葉桜が
やけに愛おしく感じるようになった。

若葉の色って好きだ。


大きな桜の木に
名前の知らない鳥がいっぱいとまっていて

あとで父ちゃん母ちゃんに送ろうと
写真やら動画やら撮って歩きながら


自分の中でいつの間にか
"確か"でなくなってしまっていた
幸せだ。という感覚が

からだに染み渡ってきた。

太陽があったかい。


そうだ。

私は、こうやって幸せを感じてた。


ちょっとずつ、戻ってきている。


そっか、
すべて準備されているんだ。

このままでいいんだね。

いま、十分なんだね。

誰と話すでもないけれど
からだに届いてくる。


部屋にもどってきて、窓をあける。


今日はじいちゃんの命日だ。

なるほど。と、腑に落ちる。


先月のお彼岸にも
一緒にお酒を飲んだ。


いつもそう。
いつも、見てくれている。


10年前、
突然じいちゃんがいってしまったこの日も

函館は例年よりずいぶん早い満開の桜だった。


はじめて身近な人が死んでしまって
車の窓の外は、ほんとうに灰色に見えた。

でも
あれはその日だったか
火葬の日だったのか思い出せないけれど

車から見た五稜郭公園の桜並木が
見事としか言いようがない景色だったのを
はっきり覚えている。


歌唄いのじいちゃんが
自分の舞台を準備したんだと
たぶんみんなが思った。

さすがじいちゃん。やられたな。


あの日私は
泣いていた母の背中を見て
もう母を、こんなふうに泣かせてはいけないと
強く思った。

それがどういうことなのかは
自分でもまだよく分からないけれど

私が、元気で幸せでいよう

そういうことかなと、今日思う。

じいちゃんは、
「頑張れ」とも「生きなさい」とも言わない。


たぶんそういうことだ。

今日も命を生きている。

それだけなんだ。


今夜はじいちゃんの好きだった料理でも作って食べるかと思い立つけど

酒とピータンくらいしか思いつかない。
なんてこった。


ついさっきばあちゃんからLINEが返ってきて

「たぶん、自分が死んだなんて、思っていないよ!」だって。

確かに。笑えるし、泣けてくる。


函館は今日、桜が満開だそう。



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