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海外で土地を買った時の話

土地を買って、家を建てよう

日本で育った25年間
ずーっとマンション住まいの私が
海外でまさか家を建てることになるとは
これっぽっちも思っていなかった


2018年に結婚と移住をして
ダニのご両親の家に
住まわせてもらってもうすぐ5年

「賃貸で住んでたら貯金できないだろうから
自分達の家を建てるために
ここに住んでお金を貯めて
家を買うなりなんなりしたらいい」

と、ダニの両親の優しさに
甘えに甘えさせてもらった

ダニの父母、お兄ちゃん夫婦の
3世帯、6人生活

しかも4人のセルビア/クロアチア人と
2人の日本人という謎の構図
実はオージーは誰もいないのだ

週末にはママがご飯を作ってくれて
6人で食卓を囲み
その後はお決まりのトランプ
しかも大富豪

嫁姑問題も一切なくて
自分の子どものように
可愛がってくれるママ

家賃の代わりに光熱費を兄夫婦と割り勘して
自分達の家事はそれぞれで行い
庭の草むしりを定期的にする

旦那の実家というよりは
もはや学生がホームステイで
毎日楽しく生活してるのと変わんない
むしろそれよりもイージーライフ


優しいママは
「ずっとここにいてもいいのよ〜」
と言ってくれるけど
いつまでも甘えてばかりはいられないし

ダニと2人での家庭を作るのに
私たちの家が必要だった

今のワンベットルームでは
子どもを育てるにはスペースが足りなくて

「子どもより先に、家を建てよう」

そんな計画を立てはじめたのが2年前くらい

最初にあげていた条件は

「実家から近いエリアの一軒家」

とってもシンプル
のはずだった

売りに出ている家を見たり
オークションを見に行ったりすると

部屋数はいくつがいい
天井は高い方がいい
バスタブがないと絶対嫌
トイレとバスは分けたい
階段ににカーペットはいやない
床はタイルがいい
間取りが気に入らない
ガレージのドアは1つがいい
プールはいらない
庭の形が変

まーー出てくる出てくる

建売で全部希望を叶えるのは
絶対無理だ、、と思っていたときに

「土地を買って、家を建てよう」

そう2人で決めた

土地探し開始

家ではなく土地を探しはじめたのが
丁度1年前、2021年3月ごろ

今住んでる実家から車で15分のところに
開拓中のエリアがあるという情報を入手

とある週末、その不動産屋に話を聞きに行く

「すでにステージ4の売り出しまで終わっていて
次期にステージ5が売り出されるから
メールを待っててね!」

とのこと

初めてのことで何をしたらいいか
チンプンカンプンだったから
とりあえずメールを待ち続けた

1ヶ月くらい経って
ようやくステージ5売り出しのお知らせが届く

55ロットに分かれて、
400㎡とサイズもいい感じ
しかもストリート名が
パールかタンザニアとめっちゃ可愛い!

こんな言葉が私の口から
出てくるとは思っていなかったけど

「絶対この土地が欲しい!」

とダニに言った


ここのエリアのセールス担当の
Andrewという優しいおじさんが
プロセスのこと、マーケットのこと
丁寧に色々教えてくれた

シドニー、メルボルンほどではないけど
ブリスベンもなかなか不動産が上がっていて

オリンピックも決まったことから
ブリスベンはここから
どんどん地価が上がるらしい

ステージ4とステージ5の
数ヶ月でも50万近く値上がりしていた

しかも、コロナの影響もあって
住宅ローンの金利が7%→3%程度に下がっていて
今が買い時!状態

両親のおかげで
貯めさせてもらった貯金を
今こそ使う時だと思って

このエリアでの土地購入を
本格的に進めることにした

「土地ってどうやって買うの?」
Andrewに聞いてみると

「売り出しの日が決まっていて
早い者勝ちで抑えてくんだよ

ステージ5の売り出しは
4/28〜30のどこか1日
当日の朝メッセージがいくから
そしたらここの事務所にきてね」

そうか、早い者勝ちなのか
家からここまで15分だし
ロットは55個あるし
10番目くらいには入るだろう

どのエリアにするか
第五候補くらいまでは決めておこう
そんな計画で臨んだ

この後、いかに不動産を甘く見ていたか
私たちがどれだけ土地購入の初心者だったかが
明らかになります笑

忘れもしない契約の日

2021年4月29日Andrewからメッセージが届く

父母兄と4人で急いで事務所に向かう
ダニは職場からUberで急行

たまたま日本が祝日で
心置きなく休みをもらえたのは
本当にラッキーだった

私たちが事務所に到着したのは
メッセージが届いてから15分後

なのに事務所の周りには
すでに人だかりができてて
なんなら契約が済んで帰っていく人もいる

「え、なんでこんなに人がいるの?」

と思いながら番号札をもらいにいくと
なんと22番!!!

1桁狙いでいったのに
まさかの20番台!?

1桁台の番号札を持っていた人たちは
実は、前日入りしていた強者達だった

シドニー、メルボルンから
わざわざ前入りして
いつ呼ばれてもいいように
事務所の横で3日間キャンプする
予定だったらしい

新型iphoneを数日前から並ぶのなんて
日本人だけだと思ってたけど
土地となればオージーでも並ぶんだな

とりあえず22番で待つしかない
土地は55個あるし何かしらは買えるはず

ここからさらに
土地購入素人たちは痛い目を見ます


契約済みの土地がわかるように
定期的にロット番号にバツがついた紙が出回る

すでに契約が決まったロットを数えると
既に25以上の土地が売れている

そう、土地は複数買えるのだ

私たちみたいに夢のマイホームを!
なんて人はアマチュアで

不動産をビジネスとしている人や
お金持ちで土地を複数買いに来る
プロがいた

22番目だからって
残り33個から選べる
わけではなかった

土地契約、恐るべし

土地を複数買いするプロ集団は
番号札15番目くらいまで
この辺りまでは1人の契約が終わると
複数のロットにバツがついていった

「ここもダメだったかー
だったらここがここだな」

その度に私たちは作戦を変えていく

プロ達は手慣れているからか
サクッと契約を済ませてみんな去っていった

後半は、私たちのような
土地契約アマチュア組

アマチュアはまとめ買いなんてしないから
契約済みが一気に増えるということはなく
1人1土地のペースで進んでいった

反対に、初めての契約だから
手続きに時間がかかる

結局、22番が呼ばれたのは
並びはじめて2時間半後

第五候補まで決めていたけど
そんなものはとっくに売り切れ

それでも
このエリアで家を建てるんだ!
と2人で決めたから、
残っているロットから選んで
契約を進めてもらった

182 パールストリート

ここが、私たちの家が立つ場所

森が平らに、そして登記

契約した当社はまだ森状態で
こんなところに本当に家が立つのか??
という感じだった

そのあとも定期的に見に行っては
雑木林を眺める日々

4〜5ヶ月前ごろから
ストリート名の電柱ができたり
近くのエリアの開拓が進みはじめた

2022年の年明けすぐに見に行った時には
だいぶ平らになっていて
182のマークもついていた

予定では2021年11月だったけど
押しに押して2022年の3月22日
ようやく登記が完了

その登記にあたっても
やることが多くて

特に私が永住権はあっても
オーストラリア国籍を持っていないことから
政府からの助成金がもらえなかったり
書類が余計に必要だったり

日本語でもきっとわからないであろう
不動産の契約書をダニが読解してくれて
銀行と弁護士と不動産屋との
間に立ってやりとり

銀行が送った書類に不備があったり
JPには証拠不十分でスタンプもらえなかったり
登記4日前に新しい書類を出せって言われたり
弁護士と電話が全然繋がらなかったり

それはそれは
オーストラリアらしい
雑なカスタマーサービスの連続だった

何度も何度も
建売にしておけば良かったかな
って挫けそうになった

けど、もうここまでやったんだし
絶対後悔しない家を建ててやる!
とほぼ意地で頑張ることにした

最後の2週間は本当に本当に
ダニが頑張ってくれて
何回もありがとうって言った

コロナと洪水の影響で
たまたま在宅ワークになって
自由にあちこちに電話できる状態にあったけど
これがオフィス出勤の日だったらって思うと
こうはいかなかった

そう思うと本当にラッキー

ありがとう以上の言葉が見つからなくて
せめて思い出に残るように
手紙を書いて渡した

急いで書いたから英語のミス多発
ダニへの手紙をダニが添削する始末


土地契約の次は、家の設計

去年から工務店と進めていて
これもそろそろ最終段

年内に引っ越しができて
新しい生活が始められていますように

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