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こっそり休業してました

私は2018年から新卒で入った
留学エージェントで今でも仕事をしている

人と関わり、誰かの成長を応援することができ
自身の留学経験が活かせる
さらには、日本と海外をつなぐ仕事で
身につけた英語も活かすことができる

私が理想としていたことが
びっくりするくらい当てはまるこの仕事に
海外に来てすぐに就くことができた

一緒に働いている会社の人たちも
海外に挑戦する全ての方に対して
心から向き合っていて
コロナで留学生の渡航ができない中でも
苦しい状況を乗り切るために
全員が力を尽くしていたと思う

そんな恵まれた環境にいたにも関わらず
私は走れなくなったのだ

2022年5月中旬から1ヶ月
休業することになった

留学生のいない、留学現地サポート

2020年3月、幸か不幸か
オーストラリアが国境を閉める
1週間前に留学生が現地入りした

スーパーからは食材が消え
新規感染者が一人出るだけで
街が一気にロックダウンしていく

私たち現地スタッフも在宅勤務になり
学生たちもオンラインで授業を受けた

私が住むクイーンズランド州は
ロックダウンが数週間あったものの
メルボルンやシドニーと比べると
幸いかなり規制が緩和された状況だった

それでも毎日のように領事館から
コロナに関するメールが届き
ブレイキングニュースとして
新規感染者の報道があがっていた

近所のお店で感染者が出れば
Facebookや友人とのグループチャットが
騒ぎ出す毎日

それでもオンラインで留学をしている
学生たちになんとか成長の機会をと
毎日試行錯誤で仕事に向かった

苦肉の策で帰国した学生もいたけれど
残った学生が現地で安全に
留学ができるよう、最善を尽くした

こんな状況の中で帰国せずに、
留学継続を選んでくれた学生たちは
本当に逞しく成長していったし
帰国した後もきっと立派な社会人に
なっていくだろうと思う
(みんな元気にしてるかなー?)

2021年2月、その留学生は
無事日本に帰国した
そして、留学生のいない
留学現地サポートの仕事が始まった

正規留学生チームへの異動

コロナ以前、私がメインで担当していたのは
大学生や若手社会人を対象とした
留学プログラム

私自身もその留学プログラムの
経験者だったこともあって思い入れもあるし
可愛い後輩たちの役に立ちたい
そんな気持ちで楽しく仕事ができていた

ワクチンが完成し、ヨーロッパやアメリカが
次々に国境を開け始める中
オーストラリアは頑なに国境を閉め続けた

留学生の入国ももちろん禁止
ついに現地に留学生がいない生活が始まった

それより何より
会社大丈夫か??という疑問もあった
留学生が飛べない=収入が立たない
街の語学学校はどんどん潰れるし
大学のスタッフもリストラや
自主退職を余儀なくされていた

うちでリストラが始まったら
一番最初にクビになるのは私だと思っていた
だってオーストラリアのスタッフは
3人しかいなかったし、私が一番社歴が短い

そんなこともあろうかと始めた
ライフコーチング

学んだはいいものの、
ビジネスとしての形にはならずにいた

ある日
クビの通告の前にきたのは
部署異動のお達しだった

東京にいる社長とディレクター
直属の上司に呼ばれてzoomで会議

「今後、東京チームに入って
正規留学チームを手伝ってほしい」

まずは部署移動か
まぁ、いきなりクビにならないだけ有難い
心からそう思った

これまで担当してきたのは
ビジネス留学やインターンプログラムで
どれも1ヶ月〜最長でも1年の留学プログラム
現地での対面サポートが原則だったから
基本的にはブリスベンに来る
取り扱う大学も1大学のみ
私が通っていた大学だったから
雰囲気もある程度わかっていた

それに対して正規留学は
オーストラリアの現地大学に
高校を卒業してから3〜4年通う18歳や
日本の大学を卒業後
大学院で1〜2年学ぶ学生が対象になる
留学先の大学も
オーストラリア各州にある20近い大学で
初めは名前も知らない大学ばかりだった

オーストラリアのトップ8大学が
通称Group of Eightなんて知らないし
日本の高校卒業資格では直接大学に
入学できないというシステムも初耳
最初はBachelorのスペルすら間違えていた

そんな私が東京のチームメンバーとして
正規留学生の部署に異動となるのだ
先が思いやられたけど、仕事がないよりいい

経営陣との会議では
「是非やらせてください!」と即答した


これまでブリスベンオフィスの上司としか
働いたことがなかったし
入社した当初から同期もいなかったから
チームで働く経験は初めて
その点ではとてもワクワクしていた

業務内容も一変した
これまでの学生との相談業務から
メールや電話、データ管理や入力
マーケティング関連の発信活動と
これまでやったことのない
幅広い業務を任せてもらえた

東京のチームに入るということは
日本の働き方や接客に合わせるということ
日本での社会人経験のない私にとって
これが一番衝撃的だった

東京本社に異動してから起きたあれこれ

①本社、忙しすぎ!!!

ブリスベンの上司とオフィスで
仕事をしていた時は
一緒にカフェでコーヒー飲んだり
学生が来たら1〜2時間人生相談にのったり
ミーティングという名の雑談をして
メールなんて多くても20通ほど
残業なんてほとんどなかった

東京の本社が営業部隊で
電話はひっきりなしになり
学生との面談をする担当者は
カウンセリングで予定がパンパン
ディレクターのスケジュールに関しては
いつランチとってるのかも
わからないほど忙しそう

日本の働き方ってこんな感じなんだーと
海外との働き方を比較して初めて理解した

日本人は働きすぎ!
なんてよく言われるけど
あれだけ丁寧なサービスしてたら
そりゃ仕事片付かないよ、と思う

仕事熱心な人も多いから
遅くまで頑張ってる人も実際いるし
これは業界上仕方ないけど
学校や仕事で日中に留学相談が
できない方のために
どうしても夜にカウンセリングや
セミナーが入るから
終業時間がそもそも遅い

みんなマルチタスクで
電話に出ながら、社内のメッセージを返し
オフィス出社の日には郵便物を受け取り
担当の学生へメールをやりとり

状況が状況だったから
一人でも怠けてる人がいたら
うちの会社は速攻で潰れてたけど
ガッツのあるメンバーが揃っていたから
この危機を乗り越えられたと思う

私自身もそんな環境にいたら
日本の働き方にどんどんシフトしていって
ランチ取る時間がなくなり
実はこの1年で体重が10キロ以上落ちた
土日はちゃんと休んでいたものの
タスクリストが空になることは
この2年一度もなかった
オンタイムで上がれた日は拍手して喜んだ


②みーなさんから、高井様へ

現地サポートをしていた頃
学生との距離感はかなり近かった

下の名前にちゃん・君をつけて呼んでいたし
学生も私のことをみーなさんと呼ぶ

連絡は基本Facebookのメッセージで
「おはようー!
面談予約15:00からでいい?」
「了解です、お願いします!」

そんな感じ

東京に異動してから、初めて使ったのが
「oo様、いつもお世話になっております。」

もちろんそれに対する返信は
「高井様、お世話になります。」

こんな文面を学生に送ったことなんて
一度もなかったし
学生との距離がすごく遠い気がして
異動した当初、悲しかったのを覚えてる

冷静に考えるとまぁそうだよね

1年間の留学の中で、
英語が伸びなくて辛くなったり
留学後の将来が不安で苦しくなったときに
オフィスで涙を流しながら
人生相談をするような存在に対して
高井様なんて呼び方は普通しない

東京で学生とやりとりするときは
メールや電話が基本で
最後まで顔を見ることがないままの人も多い
そんな相手に人生相談なんてしないし
こういう学生が私たちに求めているの
案内の正確性や丁寧さだった

たまにメールのラリーを繰り返すうちに
ちょっとした近況報告をくれる方もいるけど
それでも「みーなさん」と呼ばれたことは
一度もなかった


③チームメンバーが続々と産休

これはたまたまだと思うけど
異動した正規留学チームでおめでたが続いた

私が入った時にずっと担当をしていた先輩は
1ヶ月程度で産休に入り
その後も業務を経験したことのある先輩が
入れ替わりで産休に入っていった

出産頑張ってください!
と先輩を応援する気持ちの裏側で
業務を全然理解していない私は
質問や相談できる人がいなくて
毎日のように、落とし穴にはまっていた

20近くある大学の細かい出願内容を
手続きしながらオンゴーイングで覚え
大学の担当者に
そんなことも知らないの?と電話で怒られ
出願の方法をミスって
何度もメールで訂正をお願いしまくる

そんな日々が1年くらい続いた
ほとんどの落とし穴にはまったおかげで
今では落とし穴を予想できるようになった
ピンチヒッターで入った私だけど
おそらく20年近くこの正規留学を取り扱う
ディレクターの次に知識があると自負している


④嵐のように降ってくるメール

これが一番きつかったかな
これまで学生との面談業務がメインだったから
メールが入ることなんてあまりなかった

異動してからは、
学生からの問い合わせや出願後の合格通知
各大学からのニュースレターや
社内のやりとりメール、などなど
ありとあらゆるメールが届いた

最初はゲーム感覚で楽しくできていたけど
忙しくなるにつれて
8時間メールを返信し続けても
受信メールの方が多すぎて追いつかない

翌日の朝には
昨晩に届いたメールも上乗せされて
受信ボックスを開くのが
どんどん怖くなっていった

⑤現地オフィスの仕事に戻れるのか

コロナ状況が落ち着くまでの辛抱
コロナが落ち着いたら通常業務に戻れる

そう言い聞かせて半年、一年、さらに半年
国境は開いたものの戻れる気配があまりない
いつかいつかと待ち続けるのも疲れてきて
毎日届くメールを打ち返し続ける

1年半も続ければ
大体のことはわかってきて
落とし穴にもはまらなくなった
その分一つ一つの業務が作業的になってくる

これって他の人でもできるよね?
私である意味ある?
この場所にいつまでいればいいんだろう?
いつになったらフロント業務に戻れるんだろう?
ここにい続けるのが本当に正解なのか?
他に私が輝ける場所があるのでは?

そんなことを毎日考え始めた

そんなこんなで

私はバーンアウトしかけたのです

したのではなく
「しかけた」のです

異変に気づいたのは2022年3月ごろ

体重が落ちていたのには
何となく気づいていたけど
ピッタリサイズだった結婚指輪が
手を振った拍子にスポーンと抜けて
ありとあらゆる服がぶかぶかになっていった

ランチをとる時間もなくて
朝食を取らない私は1日1食生活
55キロあった体重は42キロになっていた

飲まず食わずで仕事をしてると
トイレにも行かなくなるため
1日の歩数が200歩くらいになる

ベットの横にデスクがある私は
起きて顔を洗って、サラッと化粧して
デスクに座って19時まで

旦那が帰ってくるのを合図に
ようやくご飯の支度のために立ち上がる
夕食を食べてシャワーを浴びでベットへ

運動してないから体が疲れず
頭は仕事モードが抜けなくて常にフル回転
その先に待っていたのが睡眠障害

もともと夜型の私でも流石に2時には寝ていた
なのに3時になっても4時になっても寝付けない
気づいたら鳥が鳴き始めて
朝日がブラインドからもれ始めて
また寝れなかった、、という日が続いた

寝たいのに、
寝ないと明日辛いのはわかってるのに
でも寝れない
一回寝れば10間以上ノンストップで
寝れる私が全然眠りに入れない

目をつぶって本気で羊を数えたこともあったし
果てしない宇宙について考えたり
瞑想のラジオを聴いた日もあった

それでも動き始めた脳みそは
全然止まってくれなかった

夜が近づいてくると
「今日も寝れなかったらどうしよう」
そんな不安が押し寄せてきて
さらに眠りを妨害した

その結果
翌朝は起きられないし
肌はどんどんボロボロになっていった

睡眠という生理的欲求すら
満たせなくなった自分自身に対して
情けない気持ちでいっぱいになった

そして5月の中旬
最近寝つきが悪いことを上司に相談したとき

「来週から1ヶ月休もう」

そう上司が言うのだ

え、来週から?今日水曜だから
後2日しかないよ、急じゃない?
産休から戻ってきた先輩の
引き継ぎも終わってないし
そもそもそんなに状態ひどくないよ?
夜寝れないだけだもん

心ではそんなことを思いながら

上司に体調管理をさせてしまった自分
睡眠や食生活が正常に取れない自分
仕事に穴を開ける自分
踏ん張りきれない自分

そんな自分の情けなさとか
不甲斐ない気持ちが
まぶたに溜まっていった
それが涙として溢れた瞬間ようやく気づけた

体が「休みたい」と言っていたことに


3月から、なんなら去年から
体はずーっと休め!!!!と言っていた

コロナ禍で毎日のように緊急事態が続いて
何が緊急で何が緊急でないかも
わからなくなって
そんな中、家から一歩も出ずに
太陽の光も浴びずに家にこもって
1日中、誰とも会話なく
パソコンと睨めっこし続ける
そんな毎日が、ヘルシーであるはずない

目の前の環境に対して
会社がブラックだとか
上司がどーたらとかは全然思わない
だって、私が有給ください!と言ったら
よっぽどのことがない限り休みは取れるし
体調を気にかけてくれる
上司たちばかりだったから

「休みたい」と言う心の声を無視したのも私
ランチを取らなかったのと私
残業を選んだもの私
キャパオーバーなのに仕事を引き受けたのも私
睡眠を取れるように環境を整えなかったのも私
そもそも元凶は、コロナ!

全部私が悪いんだ、、と
悲観的に自分を責めたいのではない

冷静に考えて、
こんな状況で普通に仕事するなんて
無理っしょ!

世界中が大混乱なのに
私だけ平常運転で仕事するなんて無理無理!笑
コロナに感染するしない関係なく
精神的に食らってるんだから
スピード落としてこ〜!

それくらいのゆとりを持てたら
どんなによかったか

「みーな、ばかだな〜、真面目かよ!
けど、ここまでよく頑張ったよ、
本当にありがとう!」
あの時の私にそう言ってあげたい

体が丈夫なおかげで病欠はたんまりあったし
旅行でしか使わない有給も残っていた
幸い、繁忙期も過ぎた頃だったから

上司の言葉に甘えて
1ヶ月間の休業を取ることにした

あの時に上司に相談しなかったら
本当にバーンアウトしてた
1ヶ月では済まなかったかもしれない
あのタイミングで相談に乗ってくれて
迷いなく、休もう!って言ってくれた上司に
心から感謝しています

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