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10代のときに憧れたフードスタイリストの道を目指し、会社勤めをしながら、独立するまでの話

今年でフリーランスになって13年。
やりたかったフードスタイリストの仕事をできるようになっています。

これからこの仕事を目指したいと思っている方へ、少しの道標になればいいなと、フードスタイリストになるまでの道のりを振り返りながら綴っていきたいと思います。

振り返ると、地道に少しずつ自分らしさも保ちながら道を切り開いて、進んでいるようで進歩していないような気持ちと闘いながら(それは今もだけど)、何とか続けて繋いできた道のりだなぁと思います。

縁もコネも何も無いところから自分で繋げていったような粘り強く進んだ記録。

ちなみにタイトルの画像は私物の器緑コレクションです。
好きな色は深緑。

雑誌のスタイリングの1コマ

1.現在の仕事内容

まず初めに、今の私の仕事内容を簡単にお伝えしていきますね。

今は企業のInstagram用料理写真のスタイリングや書籍・雑誌・通信教育のテキスト・レシピカードなど印刷物のスタイリング(印刷物は料理だったりお菓子だったりクラフト、花などジャンルはいろいろ)がメイン。

料理は料理家さんが別にいらっしゃるので、基本器やクロスなど小物の手配中心ですが、たまに5品程度ならレシピから担当しているものもあります。こちらはスチールという静止画の撮影。

それと数は少ないですが、動画の撮影も少し。

料理が好きな方は見たことがあるかもしれませんが、Eテレの「きょうの料理ビギナーズ」という番組の料理スタイリングを一部担当していました。

書籍・雑誌以外は基本的に名前が出ることはほとんどないので、それぞれのクライアントさんに合わせてイメージ作りをしていく裏方仕事です。


イメージしたスタイリングや実際借りた器をノートに書き留めたりしています。

2.フードスタイリストを目指すきっかけ

短期大学時代、家政学科に通っていて調理や被服、色彩、心理学などを学び中学校の家庭科教員免許を取得するのに教育実習も行っていました。
とはいえ、絶対教員になるぞー!と意気込んでいたわけでもなく、資格があった方が将来役に立つかな、くらいの考えだった私。

人前で話すのも得意じゃないし、卒業後の進路が全く定まってなかったんです。
就職活動も少ししていたものの、この仕事に就きたい!という意志を持てるものがなくて、モヤモヤと日々過ごしていました。

そんなモヤモヤが晴れたのは卒業まであと半年あるかないかくらいの時だったかな。
ある時授業の合間に寄った本屋さんで「フードコーディネーター」という仕事が紹介された本を発見。

フードコーディネーターというのは「食のシーンの演出」をはじめ、新しいメニュー・商品開発を行なったり、食の新しいトレンドを生み出す仕事。
すごくおおまかですが大きい括りはこんな感じ。

料理本や雑誌のスタイリング写真を見るのが好きだった私は、フードコーディネートの仕事を知って「私がやりたいことはこれだー!!」と直感を感じて、そこからフードコーディネートを学べる学校を探していくつか学校見学へ行き、そこで一つのスクールに通うと決意。

実はケーキ屋さん(販売)の内定も出ていたのだけど、事情を説明して申し訳なさもありつつお断りしました。オーナーが快く応援の言葉をかけて下さって本当にありがたかったです。

そして短大卒業後、晴れてフードコーディネータースクールへ入学!
…といきたいところだったのですが、スクールの入学金・授業料と合わせて約50万円が必要で、すぐに支払いができなかった私は卒業してから半年間アルバイトで貯金をして、半年後に無事入学を果たしたのでした。
(私が通っていたスクールは4月入学と、10月入学と年2回入学のタイミングがありました)

通っていた短大を首席で卒業したのですが、同級生に「首席卒業の子が就職せずフリーターになるって、後輩達に夢を与えるね!」と言われたのを強烈に覚えています。笑


スクールに通っている間はパスタ屋でバイトの日々。パスタの盛り付けも鍛錬されました!

3.フードコーディネータースクールでの日々

スクールは月に一度、2時間のレッスン。

今思えばそれならば就職して働きながら通えたとも思うのだけど、当時は「フードコーディネーターになるぞ!!」の気持ち一直線で、就職して週5で働くとか何も考えていなかった私。
短大の時から働いていたパスタ屋さんで調理のアルバイトをしつつ、スクールに通っていました。

レッスンは、お皿の中の盛り付けから写真の撮り方、色彩についてなどを学び、後半はグループに別れて料理家、スタイリストのポジションに分かれてテーマに合わせてレシピ開発とスタイリングをして写真を撮る、というレッスンが続きました。

その中で私は器を選んでクロスや小物を合わせてスタイリングをする、というのが得意なのかもしれない…と実感が出てきて、スタイリングのポジションの時はめちゃめちゃ授業が楽しかったです。先生からもよく高得点をもらってニマニマ。笑

逆に料理家ポジションでのレシピ開発はちょっと苦手だったかも。
ここで自分の好きと得意が分かってきて、さぁもうすぐ卒業だ!となるのですが、ここからがまた難航

スクールでは特に就職先を斡旋してくれる訳でもなく、スクールで優秀な子はアシスタントとしてお呼びがかかっていたのだけど、特にそれもなく、父からは就職伸ばしたんだから進路はちゃんと決めなさいと言われる。
ちなみに、後々、最近になって聞いたら先生方は私がアシスタント希望するのだと思っていたらしい…声に出さないって損だよ。とほほ。

ただスクールを卒業しただけで、実績もない人をフードコーディネーターとして雇ってくれるところなんてあるはずもなく、とりあえず就職活動をスタート。

フードコーディネーターという職種の募集はないし、商品開発の仕事も興味があったけど経験がないと応募できないし、そもそもレシピ開発向いてなさそうだしな…と選択肢はどんどんなくなっていく。

食品関係の企業はなかなかマッチするところがなくて、少し職種の幅を広げて探してみよう、と食品パッケージだったら料理や食品の写真が載っているものもあるし、学んだことが活かせるかもしれない!と食品のパッケージを作っている会社を探し始めてみました。

そこで求人募集を見つけて面接へ。
食品パッケージを作っている会社への面接は初めてだったのですが、短大を主席で卒業と履歴書に書いていたのが、「そんな人うちに初めてきた…!」と珍しかったようで(笑)、面接というか、もう入社後の説明みたいな話で即採用になったのでした。

このとき21歳。
中途採用だけど卒業後就職していなかった新卒と同等の人を採用するって、会社としては即戦力にはならないのだけど、そんななか選んでもらえたというのは今となってはすごくありがたいことだったんだなと思います。

4.食品パッケージ制作会社に就職

入社した会社は、決まったクライアントから定期的に受注をもらっている既存営業メインの会社。

大まかにパッケージのデザイン提案→製造→各社へ納品という流れで動いていて、私はパッケージのデザイン提案を行う営業担当になりました。

新商品が出るときにデザインイメージをヒアリングし、社内デザイナーへデザイン制作依頼をかけ、修正をかけながら出来上がったものを提案していくという流れ。写真やイラストを入れたものもあれば、ラベルなど文字だけの商品もあり種類はさまざま。

最初に私が配属されたのはパン・惣菜の資材を担当している部署。
部署はできたばかりで、所属は部長と事務の先輩、私と3人だけ。笑 
なので部長と一緒に営業について行きつつ、社内にいる日は事務の先輩とクライアントから来る発注書を入力して納品の手配もしていました。

パンは月に一度の新商品会議で季節商品を決めて、POPや資材が必要なものはそのデザインを提案したりしていました。そこに関わっているパンのメーカーは5〜6社あったので、それぞれ何種類も提案商品が出てくるので、会議の日は20〜30種パンを食べるのはザラ。20年分はパン食べたと思う。笑

その新商品開発会議の議事録を書いたり、季節商品開発のために他のパン屋で新商品を買ってレポートに書いてまとめ、それ以外の時間は伝票入力をしていました。

毎月決められたリテールベーカリー5〜6店舗で新商品を購入し、レポート作成していました     (※写真はイメージです)

最初の頃は仕事を覚えるのに必死で、出張で初めてひとりで新幹線のチケットを手配したり、行ったことのない土地に行ったり刺激的で大変さもありつつそれなりに楽しんでました。

私がフードコーディネーターのスクールを卒業していたこともあり、別の部署で食卓や食材の写真撮影が必要となったときは借り出されて撮影のフードコーディネートもさせてもらいました。(こうした機会は片手で数えられるくらいの回数しかなかったけど)

5.仕事環境の変化

会社の仕事も慣れてきて2〜3年経った頃、同じ部署に新しい営業の男性が入ってきました。その人は前職も別のパッケージ制作会社に勤めていて、私よりも大先輩。

私の担当していた仕事も少し引き継ぎつつ、資料作りやリサーチの仕事は変わらず続けていたのですが、外へ出る営業や出張の仕事はほぼ新しく入った男性が担当することに。

そして事務にも新卒の子が入り、内勤の仕事も減りめちゃめちゃ暇になった私・・・私の居場所はいったいどこ?状態。(部署内はみんな良いひとで仲はとても良かったのだけれど)

何となくだけど、女性は結婚して出産もあるからずっとはいないだろう、という雰囲気が勤めていた会社にはあって、それも見越して営業には男性を入れたんだろうなぁという感じもあり、業界に通じてる人が入って営業の底上げもできて部署の売り上げは上がって行ったのでした。

反比例して暇になっていた私は「このままじゃダメだ!」という思いがとにかく強くて、このままここにいる必要ある?そもそも私がやりたかったのってスタイリングの仕事だよね?と自問自答をし始めます。

6.憧れの人との出会い

社会人4年目にも入り、とにかくこのままの生活では自分がダメになってしまう…!と焦っていた私。
会社内で自分の居場所を確立する、ということへの意欲が湧かなくなってしまったのと、本当にやりたかったことをもう一度考え直そう、とまず変化のない(むしろ堕落している…?)自分を変える為にやったことは

①やりたいことを棚卸し
②その道を進む人で自分の理想像に近い人を探す

この2つで新しい刺激を入れることに。
①は「スタイリングの仕事」とすぐ出てきて、プラスお菓子を作ることが好きで学生時代作って友達に配っていたりしたのを活かせるかな、と「お菓子+スタイリング」に絞ってみました。

①②をふまえて本屋さんへ行き、お菓子のレシピ本を色々見てマッチする人を探しました。私の場合は表紙の雰囲気で自分の好みだったらパラパラ見て良さそう!と直感で気になった人の本を買う、という流れ。

私の場合、好みがはっきりしていたのか②の作業はわりとあっさり出来てしまったな。

憧れのフードコーディネーターさんっぽく撮ってみた写真。

私が買ったレシピ本の著者は自分でレシピ作成からスタイリングまでを行っているフードコーディネーターさん。スタイリングのテイストがとても好きな雰囲気で、すぐに名前をネット検索。

ホームページを見て不定期でカフェをやっていることが分かり、直近のカフェに早速行ってみることにしました。
とにかく喋るのが苦手な私は人当たりの良い母を連れ、電車とバスを乗り継いで山梨にある山奥のカフェまで。

そこでの出会いが私の未来を大きく変えることになるのでした。

7.憧れの人と繋がる

山梨のカフェでiさんと初めてお会いして、まとっている空気感、声、話し方、そして作られたお菓子と全てに惹きつけれられてしまった私。
(ヒトメボレってこういうことを言うんですね、と実感しました。)

カフェもヤギが一緒に生活していたり、自然の中で日常と非日常の狭間を体験して、好きなことを仕事にしているiさんに憧れの感情を抱き、私もこんな生き方をしたい!と強く感じるようになっていったのでした。

それからカフェのイベントがあるごとに足を運び、
ちょうどiさんが自宅でお菓子教室を始めるとのことでお菓子教室へも通い始めました。
一回のレッスンは3〜4人と少人数なこともあり、通っている他の生徒さんやiさんともいろんな話が出来てとても楽しい時間でした。


お菓子教室で習ったキャロットケーキ

メールマガジンのように毎月、お菓子教室の案内をもらうのですが、そこに「今月は新刊の撮影があります」などiさんの近況も少し書かれたりしていて、私も「どんな本か楽しみです!」などお菓子教室の内容リクエスト以外にも徐々にメールでやりとりをすることが増えてきました。

やりとりの中で「私もカフェやイベント出店したり、本の企画書を書いたりしてみたいです」と書いたところ、「私でお役に立てるならご相談にのりますとも〜」ととても快いお返事が!

そのあとぜひ一度、撮影の様子をお手伝いしながら見てみたいです。と相談してみたところ、撮影の日程をいくつか教えてもらえ、平日休みが取れるタイミングでアシスタントとして手伝いながら撮影の様子を見せてもらえることに!

ついに念願の撮影体験ができる!
楽しみでいっぱいです。

8.会社員の副業

アシスタントに呼んでもらえることになり、もう内心ウキウキの私。
とは言っても、撮影はしょっちゅうあるわけでもなく、数ヶ月に一度くらいの頻度で声をかけてもらう程度でした。

撮影は基本平日に行うことが多いので、撮影のアシスタントに入る時は会社は休まなければなりません。
今後も時々撮影で休みが欲しくなることもあるから、と上司へ正直に相談してみることに。

撮影の仕事に興味があってフードコーディネーターさんのアシスタントに時々入って経験を積みたいこと、それに伴い平日休みを取る時があること、いずれアシスタント代として謝礼をもらう可能性があること、、など説明をして、上司からは一応承諾をもらえました。

一応というのは、本当は会社的には副業NGなので上司のところで話を止めておくからこっそりやってね!って感じ。笑

今は副業OKの会社も増えていると思うけど、その頃は副業やフリーランスで働くこともあまり多くはなかったからなぁ。

会社へ言わずにこっそりアシスタントに入るというのも方法として無くはなかったのだけど、会社は辞めてその道へ進もうと思っていたのでその方がスムーズかなと思い、私は話しておく選択をとりました。

このアシスタントの他、別の料理家さんが始めたワークショップがあり、週に一度会社が終わった後に料理と編集についての講座にも参加していました。

今思うと若かったのもあるだろうけど、この頃はエネルギーに溢れてたなぁ!
好きなことに一直線に向かっている時期で、ハードだったろうけど思い出しても楽しい日々だった記憶。

9.部署異動

会社員とアシスタントの仕事も時々しながらの日々が1年近く経った頃、上司から「ちょっと大事な話があるんだけど…」とカウンターだけのお高い寿司屋に連れて行かれました。嫌な予感しかしなかった…!笑

何の話だろう、、と不安を抱えつつ美味しいお寿司が続々とやってくる。
とりあえず食べ進める私…笑
雑談をしつつ少し食べ進めたところで上司から相談されたのが、「他部署の人員が減ってしまい、そこの部長からどうしても私に来て欲しいと言われている」とのことで、そのお願いの話でした。

ちょうどその頃、あと1年くらいで会社を辞めて料理撮影の仕事をメインでやっていこうと思っていたので、「もうすぐ辞めるつもりなんだけどな、、、」と思いつつ、その時いた部署の仕事も少し落ち着いてきていて違うことをやってみたい気持ちもあったし、新しい部署で楽しくやりがいを感じられたらもう少し続けてもいいかな、くらいの気持ちではあったけど引き受けることに。

ただ、撮影のアシスタントの仕事は続けていたかったので、部署が変わってもそれは続けられるようにしたいという話はしました。
上司も「オッケー!新しい部署の上司にも言っておくから!」と返事をくれたので、それならば安心…と思って部署異動をしたのでした。

後々これが問題となるのだけど…笑

10.新しい部署での仕事

新しい部署では主にコンビニスイーツのパッケージやラベルデザインをコンビニのバイヤーや製造会社さんとやりとりして作っていく仕事をしていました。

基本的な流れは以前いた部署とほぼ変わりなく、クライアントさんからヒアリングした要望を社内デザイナーに共有してデザイン作成をしてもらい、OKのでたデザインの製造発注をかける、というような営業担当。

ただ、コンビニスイーツは入れ替わりが激しく、新商品が毎週出るので仕事の流れる量やスピード感が全く違って、かなりストレスフルな時期を過ごしていた気がします。(そして上司や発注に関わる別部署の人も怖くて内心恐れおののいてた私…)

結構辛くて何回かトイレで泣いてたと思う。
クライアントの理不尽さに一度キレてしまって上司に対応してもらったり、負の感情の比重がとても大きくて辛かった時期だったな。

この頃はちょうど撮影のアシスタントの仕事も落ち着いていて、新しい部署での仕事に慣れるのに必死…!クライアントさんも多くて何とか少しずつ関係を築き上げていた期間でもありました。

仕事も少しずつ慣れてきてゆとりができてきた頃、iさんから久しぶりに撮影アシスタントのお声がけをもらい、上司へ休みの相談へ。

すると驚きの返事が…

私「今度撮影の手伝いがあって、お休みをいただきたいのですが、、前の部署の部長から話してくれると言ってくれてたのですが、お話聞かれてますか?」
上司「・・・は!?そんな話聞いとらん!てかアシスタントって給料もらうんじゃないのか?うちの会社副業禁止やぞ!」
私「(・・・え?部署異動のお願いされたときに伝えたのに言ってないじゃん!適当に返事したわー!あの上司。怒)・・・はい、まぁ少しだけですけど。。(もうダメかも・・退職かな。)」
上司「ちょっと確認してくる!」

そして前部署の上司へ事情聴取。「言うの忘れてたー!ごめんごめん!」と軽く終わる。えーーー!?笑

とりあえず説明してくれて、その時はアシスタントに行かせてもらったのだけど、その後は休みをとりたいと言いにくくなってしまいました。

有給取るのに理由言わなきゃ行けない風習なんて本当に嫌だ!と思いながら、やっぱり最初からアシスタントの話はせずこっそりしてた方が良かったのかな?とか悩ましくも思ったり。

その後、仕事が繁忙期に入りまた仕事集中期間だったのだけど、ついにストレスが爆発してしまい、一番忙しいクリスマス時期に全身蕁麻疹がでて会社を休むことに。

と言っても1日だけなのだけど、もうこのまま働き続けるのは無理だ!となって、辞める決意を強く持って年の瀬を迎えるのでした。

パンのレシピ本の1コマ。パッケージでもよく関わっていたパン

11.新しい一歩への出会い


クリスマス時期に体調を崩してしまったのは大変でもあったのですが、その頃iさんから年明けに撮影するTV収録のお手伝いの依頼が来ていました。
昔から放送されているみんな知ってるあの料理番組…!

もう1人、すでに活躍されている方をアシスタントにつけるので、プロの仕事が見られて勉強になると思うよ、と言われて、これは絶対行く!と決めて手伝いに行かせてもらうことに。
年明けは仕事も少し落ち着いていたのですんなり休めた気がします。

ここで少し話は逸れますが、当時SNSでよく利用していたのがmixiでした。
mixiでフードコーディネーターや料理家関係のコミュニティがあり、撮影のアシスタント募集などがときどき出ていて、会社を辞めると決意してからはiさんのアシスタントと並行して次に繋がる仕事を模索していました。

そこで「書籍のスタイリスト募集」というのが出ていたのが、会社を辞めようと決意した年末からちょうど年が明けた頃。
投稿していたのはカメラマンの方で、パンのレシピ本撮影でスタイリストが必要で募集をかけていました。

会社に入る前にフードコーディネータースクールは卒業していたものの、書籍のスタイリングの実績なんてまるでゼロだった私。(会社でパッケージに使用する食卓写真やお弁当のフードコーディネートとかをしたことあるくらい)

まだ20代半ばで怖いもの知らずで勢いがあったのか、「私がまさにやりたいこと思っていたこと・・・!」とすぐにメッセージを送りました。

詳細を聞くと、著者であるパンの先生はなんと私が通っていたフードコーディネータースクールで講師をしていた先生!…と言っても私が通っていたときと時期はずれていたので直接お会いしたことはなかったのだけど、その話も伝えて編集さんと検討してもらった結果、、スタイリングを担当させてもらえることに!!!

今考えると経験もない、HPもない(ブログもぽつぽつやってたかな?くらい)人によく任せたな、と思うけど笑、当時はもうやりたいことへの一歩が踏み出せることになった嬉しさで、仕事へのストレスから新しいことへのワクワクへ心の向きが大きく変わっていきました。

iさんにも報告したらとても喜んでくれて、「協力できることがあれば力になるから、なんでも相談してね」と言ってもらい、ひたすらに舞い上がってたなぁ。笑

アシスタントの仕事も少しずつ分かってきて、より高いレベルの人たちとの現場に声を掛けてもらえるようになったり、個人での仕事の一歩も掴んだので、辞めても何とかなるだろう!と最後はわりと楽観的な気持ちで辞めるのを決意して会社へも伝えました。

アシスタントで時々有給を取っていたのもあったり、書籍のスタイリングの話もしていたのですんなり受け入れてもらえました。
逆にあっさり過ぎて、私ってそんなに居なくても良かったのでは・・・?とも思ったけど、やりたい仕事に進める嬉しさでそんなことでは全く落ち込まなくなっていたな。

会社を辞めるって決意してからじっさいに退職するまでの間って、もう終わるからと思っているから?どう思われてもいいやと思うから?なのか、今まで気に病んでいたこととか全然気にならなくなるのはなんででしょうね。
年明けてからはほぼストレスフリーで働いてた気がするな。

会社での出社最後の日は、お世話になっていたクライアントさんからたくさん電話やメールをいただいて、母のように応援してくれたり他の人に変わるのが嫌だとまで言ってくれる方もいて、大変なことも多かったけど、優しい人にもたくさん恵まれていたんだなぁと改めて気付かされた出社最終日でした。
嬉しかったメールはわたしの個人メールに転送して今も残してあります。

そうして2011年の7月、26歳で丸5年務めた会社を退職してフードスタイリストとしてフリーランスで活動をスタートし始めました。

🍙🍙

フードスタイリストとして仕事を続けられています。

iさんのアシスタントをはじめ、他のアシスタント募集をしていた料理家さんのアシスタントをしたり、初めての書籍撮影でご一緒した編集プロダクションの方からまた声を掛けていただいたり、少しずつ繋がりが増えてありがたいことに今日までフードスタイリストとして仕事を続けられています。

初めての書籍撮影でご一緒した編集さんと再度一緒に撮影した書籍

振り返ってみると、スクールに通ってはいたものの、仕事にしていくには活躍している先輩方と繋がりを作ったり、経験を積める募集があればアタックしてみたり、多方面に働きかけて行動していたのかな、と思います。

行動すれば環境や見える景色は変わってくる、というのを体現していた時期だったのかも。

それが出来たのは自分がこれをやりたい!という強い意志を持てる仕事を見つけられたからでもあり、それはとてもハッピーなことだなと仕事を重ねていくうちにより感じるようになりました。


このnoteでは、これからフードスタイリストを目指す人、フリーランスで働きたい人に向けて撮影の進め方や仕事への取り組み方も少しずつ発信していけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いします。


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