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「女性の働きやすさ」を考える ー不妊治療を経て更年期に立ち向かう:前編

こんにちは、株式会社iCAREのCustomer Success部(CS部)部長の南です。3月は国際女性デーなどもあり、女性としての役割・立場・権利・義務などなど、色々なことを考えさせられる機会が多い月ですね。iCAREでも2月末に「働く女性の健康支援と健康経営の実態調査」のプレスリリースを出していたり、「女性の健康・働きやすさ」をテーマにした衛生委員会を実施したりと、社員なら男女問わず「女性の健康と働きやすさ」について触れる機会が多かったと感じます。

 私は今「働きにくい」と感じたことはないのですが、iCAREの年長組女性(45歳)として、これまで女性だったから経験したことと、今後についての「私の考え方」を共有したいと思います。きっと長くなるので、今日は前編(独身〜妊活期)を書きます。時間がない方は、太字だけ読んでください。


ライフステージ1:独身時代

 独身時代は、仕事のしやすさについてあまり男女差は感じていませんでした。生理痛はかなり重い方でしたが、私はそれを自分の個性だと思っていたので、「女性だから大変」という考えは持っていませんでした。

 なぜ、個性だと思っていたかというと、同じ女性でも全く生理痛のない方もいるからです。私は学生時代に「生理痛が重いといって休むなんて、ズル休みだ」とクラスメイトの女子に言われた経験があり、(体育会系のツヨツヨ女子あるある?)それ以来、生理痛で休んではいけないんだと思って、産婦人科へ相談に行き、早いうちから薬で対処する方法を身につけていました。今思えば、なんと厳しい学生時代だったのかと思いますが、大体大事な部活の試合とか、入試とかが生理にぶつかることが多く、生理痛だからといって入試を受けないわけには行かないので、社会人になる頃には慣れてしまっていたんだと思います。また、男性でも緊張するとお腹を下す人いますよね。それと同じ体質だと思っていました。

しかし、意識における男女不公平さは感じていました。私は一生懸命業務に取り組んでいるだけなのに、「女のくせに生意気だ」という扱いは、男性の年上社員から何度も受けたことはあります。でも、反対に女性であることを利用して、「生意気」と言ってくる方々より遥か上の役員や顧問の方々と仲良くなり、食事に連れて行ってもらい、モノの見方を学ばせてもらったと思っています。(こういうところが、生意気なんでしょうねw)しかし、こうした上司に気に入られて育ててもらうことは、男性上司と男性若手社員でも頻繁に起こっていること。女性が気に入られると「女のくせに」が発動する、なんとも厄介な・・・これは男性側の「意識」なんだと思います。
 
 29歳で結婚退職するまでは、特に待遇についても差がない状態でしたが、新卒で勤めていた会社では今でも女性の管理職の割合が低いと聞いていますので、意識が更新されずに固定化されていたり、給与差も大きいのではないかと思います。

ライフステージ2:結婚と姑問題

 結婚を機に転職をしました。2社目でも、独身時代と同じ「女のくせに」「女だから、気に入られているんだ。実力じゃない」の考えをもっている男性が周りには複数いました。でも、本当に大変だったのは会社の人間関係ではなく、家庭の嫁姑問題でした。

 私は、結婚しても働いていたかった。より多くの他者に貢献することで、自分の存在意義が感じられる、そんなタイプであるため、結婚を理由に仕事を辞めようとは思っていませんでした。しかし、転職で仕事を選ぶ際に気をつけたことはあります。(下記)

第1優先事項:子供ができても働き続けたい
→働く時間を自分でコントロールできるようにしたい
→何か、手に職的なスキルを活かそう
→留学時代に使っていた英語を活用しよう
→海外とのやり取りなら、時差があるためリアルタイムでない前提=コントロールしやすいはずだ

第2優先事項:好きなことを仕事にしよう
→いくら英語を活かせる仕事でも辛いことはあるだろう。それでも続けるには、「好き」を原動力にしよう

 こうして、「働く」ことを考え「職」を選びました。また、女性はライフステージで生活の優先順位が変わるため、いつでも選べる状態でいたかった。だから、若いうちに1社目とは全く違う英語というスキルをビジネスで使っておいて、将来の選択の幅を広げておきたかったという意図もありました。

 こうして転職をして働き始めたのですが、仕事もプライベートも同時に全く新しい環境へと変化をしたため、最初の3年間は心身ともに辛い状態が続きました。特に、夫の母とは結婚当初から同居をしていたため、水回りのあれこれや、細かい習慣の違いで神経をすり減らすことが多く、仕事から帰ると食卓で姑の座る側の耳が聞こえなくなった(ストレス性難聴発症)時期もありました。この時期は「これは私の忍耐力を鍛えるトレーニングだ」と思うようにしていました。

 回復してきたのは、結婚して3年が過ぎた頃。仕事では、立ち上げから関わっていた海外への輸出事業が軌道に乗りはじめ、売上があがるようになり、年上男性社員からの理不尽な扱いは減りました。また、プライベートでも「あなたの理想の嫁にはなれません」と、割り切って義母と接し始めた頃だと思います。その心境の変化は、同じく結婚している女性が入社してくれたことが非常に大きかったと思います。(TMちゃん、ありがとう!)それまでは、事業所内に結婚している女性が私1人でしたので、だれにも自分の話を打ち明けられずにいたのですが、同じ立場の女性同士として悩みを共有するだけで、心が楽になっていきました。つまり、働き続けるには、社員の多様性と同時に、誰かが一人ではないことも重要なのだと思います。

ライフステージ3:妊活期(不妊治療)

 不妊の可能性があることは、結婚した直後2社目の会社の健康診断の際にわかりました。2社目の会社では、女性社員が多いので婦人科検診の費用が会社負担となっており、結婚したこともあって受診したところ発覚しました。その時点では、妊娠が難しいかもしれないという状態でしたが、私は当時の上司(フラットな組織だったので社長が上司)へそのことを伝え、「治療のため、少し休みがちになるかもしれません」と言いました。2008年頃(29歳)だと思うのですが、当時は「妊活」という言葉はまだなく、「不妊治療」を始めました。
 上司に「不妊治療」を伝えるのを躊躇う方もいます。上司との関係性や置かれた状況によって様々な事情があるので、その気持ちわかります。私の場合は、結婚している女性が事業所内で私だけという状況だったので「私が言わないと絶対に伝わらない。後に誰も続かない」と感じ、勢いだけで伝えました。当時50代後半?の社長は、あっさりと「わかった」とだけ返事をしてくれましたが、今思えばどんな言葉をかけるべきかわからなかったのではないかと思います。

辛い時、辛いことから逃げてみた

 しかし、上記にも書いた通り、結婚してからの3年間は心身ともに辛い状態で、そこに不妊という厳しい現実が重なり、私の精神はかなり崖っぷちの状態でした。そこで私は、不妊治療を一度諦めることにしました。当時、結婚生活自体が義母の影響でうまく行っていなかったので「子どもができたらこの状況が変わるかも?」という期待と、「なんのために子どもを持つのか。離婚するかもしれないのに!?」という絶望感の板挟みになっており、考えるのに疲れ果てていました。

安定してきたので、再開する

 仕事とプライベートが安定してきたのが32~33歳頃。不妊治療を本格的に再開することにしました。ちょうどその頃(2011年頃)「妊活」という言葉が流行りはじめたのですが、不妊の治療ではなくて、妊娠のための活動という言葉によって、不妊治療がポジティブなもの、女性が選べる活動であると捉え直せるようになったことも影響があると思います。(妊活という言葉の生みの親、ジャーナリスト白河 桃子さんに感謝)まずは情報を収集し、自分に合った不妊治療とはなんだろう、と考え始めました。

不妊治療と妊活:私の解釈

不妊治療:妊娠できないマイナス(ネガティブ)な状態を、治療して0に戻す
妊活:妊娠するというポジティブな状態を目指して、活動すること

 その頃、よく読み、そしてお世話になったのが放生勲医師(こまえクリニック)の本です。産婦人科医ではなく、内科の医師なのですが、ご自身も夫婦で不妊治療をした経験を持ち、医師ならではの視点でいろいろなことを教えてくれる本を多数執筆されていました。この本の内容に勇気づけられ、狛江へ通って漢方薬処方とタイミングを取る方法を試しながら、様々な検査を経て不妊の原因を探していきました。

妊活の最重要項目

 ここで突然ですが、妊活をする際に、最も重要なことはなんでしょうか。私は夫が同じく妊活の主体者となってくれることだと思います。女性側が精神的に辛い時に、話を聞いてくれるのはもちろんですが、一緒に活動の主体となってくれるかどうか、が重要です。

 妊活をしている皆さん、男性側に不妊の原因がないかをちゃんと検査していますか。私は友人・知人から妊娠の悩みを相談されることが多いのですが、全員にまず最初に確認するのがこれです。私の周りのほとんどの夫婦・カップルが男性側の検査をしていないと回答します。私たち夫婦の場合も、夫に調べてもらうまでに数年かかっています。

 なぜ、男性側の検査が重要なのかというと、男性側に原因がある場合、取るべき治療方法が変わります。より妊娠する可能性の高い治療方法を知らないまま(原因を明確にしないまま)なんとなく妊活をしていては、時間の無駄です。妊活は、毎月減っていく卵子との戦い、時間との戦いなのです。1日も早く正しい検査結果によって、不妊の原因を消去法で明確にし、自分に合った方法を知る必要があります。本当に子どもがほしい男性は、すぐに検査へ行ってください。なぜか、妊活は女性がするものと思っていませんか。相談を受ける女性側からよく聞くのは「私の夫は、自分は大丈夫だと言って検査に行ってくれない」という言葉。もちろん、行きたくない気持ちはわかります。自分の生殖能力が明確になるわけですから。一方で女性側は、子どもができないと全て自分のせいにしがちです。「私は妊娠できない、女性として役立たずなのでは」という思いを抱えてしまいます。私もそうでした。
 
 この意識の差は、どこから来るのでしょうか。日本の教育でしょうか。今思うのは、この意識も女性の働きやすさに大きな影響を及ぼしているということです。仕事でストレスを抱えているから妊娠しないのではないか。仕事の量を減らさないといけないのではないか。仕事を続けている私が悪いのではないか。そう考え、仕事に全力投球できない日々がありました。

高度生殖医療に取り組む

 再開後の妊活期間はおよそ3年間でした。最終的には、高度生殖医療の顕微授精を何度も繰り返し、1度の流産を経て、やっと娘を出産することができました。顕微授精をしている期間は、毎月薬でホルモンをコントロールし、体内から卵子を採り、体外で受精させ、培養するの繰り返しです。月に3~4回仕事を休んで(半休)病院に行かねばなりません。培養までうまく行き体内に戻せる確率は、時間の経過とともに低下していき、体内に戻しても成功しないことが続き、毎月結果を知るたびにオフィスのビルの非常階段で泣いていました。この頃の精神状態は毎月ジェットコースターのように浮き沈みが激しく、今でもあまり思い出したくない時期です。(よって、詳細は割愛!)

 この頃、海外出張が年に6~7回あり、タイミングを合わせて病院へ行くことも難しくなってきていました。この卵を体内に戻したら、最後にしよう。子どもは諦めよう。フランス出張から帰ってきて、妊活を最後にする覚悟で臨んだ移植で、なんと妊娠することができました。この時36歳。しかし、一度そこまでいき、心音まで聞こえていたのに流産をした私は、安定期に入るまでも様々なトラブルを体験し、またその後ひどい悪阻(つわり)を経験し、それでも出産予定日の約1ヶ月前まで働いていました。

高度生殖医療の実態

 顕微授精を行う場合、女性側は月に3~4回病院へ行く必要がありますが、男性は半年に1回程度。男女の体の役割が違うのですから仕方のないことですが、明らかに女性側に身体的・精神的・時間的な負担がかかります。私には幸いなことに、放生医師の本を読んで心を入れ替えた(?)夫がいたので、乗り越えられたんだと思っています。また、今は補助金がいろいろあるようですが、私の時には使える補助制度がなく、数百万の金銭的負担もかかりました。なんのために働いているのかと、虚しく感じることもありましたが、それでも働くことを諦めたくなかった。この頃は、働くことの大変さや辛さも全てひっくるめても、面白さが優っている状態でした。海外輸出事業が着実に成果を出していたのです。

まとめ(中間締め)

 当時上司だった社長から、妊娠報告後にかけられた言葉でとても印象に残っている言葉があります。「南が最初に『妊娠するために治療をする』と言った時、自分は治療すればすぐにできるんだろうくらいに思っていた。しかし、先日NHKで不妊治療に取り組む女性のドキュメンタリーを見て、こんなに精神的に辛いものだったのかと初めて知った。辛い思いをしても妊娠に至らない女性もいる。南がこんな思いをしているとは全く感じさせないくらい働いていたから、自分は全く気づいていなかったが、本当に辛かったんだろうね。妊娠してよかったね。」と言ってくれた時、私は社長室で泣いてしまいました。その時は、理解してもらえて嬉しい気持ちでしたが、今振り返ると、私はその辛さをずっと隠して働いていたのです。

 周りに理解してくれる人が1人いるだけで、話を聞いてもらえるだけで、私たち女性の働きやすさはグッと楽になります。今回、このnoteを出すのも、もし私の周りで女性特有の問題で働きにくさを感じている人がいるなら、いつでも話を聞くよと伝えたいから。1on1でもランチでも、お酒飲みに行くでもなんでも大歓迎なので、DMください。

こんな部長のいるiCAREのCS部では、「プライベートも仕事もどっちも充実させたい!」欲張りで成長意欲の高いメンバーを募集しています。気軽に話を聞きにきてくださいね。







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