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初めてのことを、してみる。|17|手紙を書く

私はどうもラブレターを書き過ぎる。その過去はともかく、娘のちょっと切ない手紙のエピソードから思うところがあったので、書き残してみる。



小学2年生(もうすぐ3年)の娘が、去年の12月から何やら手紙を書き始めた。夜な夜な折り紙をしたり何かを書いてみたり、夕食が終わってから22時頃まで机(我が家の居間には工作好きの娘専用の机がある)でせっせとやっている。何をしているのかと聞くと、「クラスのみんなともうすぐお別れだから、全員に手紙を書いている」という。「だってあと3ヶ月しかないんだよ!間に合うかなぁ〜?」と。

いやいや、あと3ヶ月もあるんでしょ!でも、全員に!!?

色々ツッコミたかったけど、あらためて娘が取りかかっている作品を見ると、どれもに驚いた。まず封筒。これは22名いるクラスの全員に好きな色を聞きとり調査して、その色の折り紙で折ったという。封筒買ってもいいんだよ?と提案してみたけど、本人は自分で作りたい、と。次に封筒についている「Thank you」と書かれたピンクのハートと、パンダ。これも一つずつ折り紙で作られていた。ハートは昔からできていたけど、パンダはYoutubeを見ながら私には不可能なレベルの細かな作業を経て一体ずつ作っていた。

そして一番驚いたのは、手紙。一人一人に向けて、その子が好きなもの(野球とかキャラクターとか)の絵を添えて、一緒にすごしてくれたことへの感謝やその子のいいところや楽しかった思い出などが綴られていた。丁寧に書かれたそれを見て、胸が熱くなった。これは確かに3ヶ月かかるかもね。しっかり仕上げるタイプの娘は、これらのことを名前、封筒、手紙などリスト化してできたらチェックを入れながら進めていた。修了式に渡すのが楽しみだね、そんな気持ちで見守っていた。

そして三月、2年生の修了式が近づいてきたので、娘に例の手紙のことを聞いてみた。
私「あのお手紙、みんなに渡さないとね。もうできたんだよね?」
娘「ん、うーん…」
あれ、なんだか浮かない顔をしている。まだお手紙を書いてない子もいるし…うーん…と色々質問してみてもはぐらかされる。

なんとなくピンときて、聞いてみた。
「手紙渡すの、ちょっと勇気がいる感じ?」
すると娘はコクンと小さく頷いた。
「そっかぁ〜。そしたらどうしようか。…あ、ママ閃いた!ちょっとしたお菓子を入れてみる?それなら少し勇気出るかな?」
娘の表情が明るくなった。あ、それいいね!あと、お手紙は全部書き直そうと思って。これからやっちゃおうかな!

そして机に向かって、1時間から2時間くらいで書き直しの手紙は出来上がった。チラッと盗み見させてもらったら、前に書いていた手紙の四分の1のサイズのメモ帳(私の実家の秋田で買ったかわいいナマハゲのキャラのもの)に、

「〇〇くんへ。少しだけどおやつだよ。1年間ありがとう!三年生でもがんばって。Yより」

と書かれていた。心の距離の近い子には「三年生でもよろしくね」と少しアレンジされたりしていたけれど、おおよそがこの定型文で書かれていた。絵もなく、鉛筆でささっと書かれた、それこそおやつに添えられた「メモ」のようなお手紙。一方、女子の特に仲良くしている子たち向けには、便箋サイズの長いお手紙があった。前に書いたお手紙は?と聞くと、え〜全部捨てちゃったよ、と。そして新しいものが、例のパンダとハートのついた封筒に、私が買ってきたぷっちょと個包装のミニクッキーと一緒に封入された。娘はそれらをまた菓子折りの空き箱に丁寧に並べて入れて、その箱はいつものランドセルの置き場所の隣に置かれた。

娘が捨てたという熱い方の手紙を、私はなんでゴミ箱から探し出して取っておかなかったかな、といま後悔している。いや、手紙は本来そういうものではないのかもしれない。娘がはじめに書いていた「ラブレター」は、極めて個人的なものだ。個人完結的で、でもだからこそ、すごくピュアな想いの詰まったもの。

きっと娘は、手紙を書き始めた時期から3ヶ月経って、少し大人になったんだろう。「これを受け取ったら、相手はどう思うかな?」と客観的に考えるようになって、相手の反応が怖くなったんだよね。わかる、すごくわかるよ。でも何か感謝の気持ちは伝えたい…それが「文字の手紙」でなくて「おやつと添えられた一言」というのが、今一番ちょうど良いバランスなんだよね。

でもね、人生をあなたより長く生きてきたママは思うのですよ。「ラブレター」は悪くないよ。もちろん、あれ無かったことにして!燃やして!と顔から出た火でそれ焼いてしまいたいくらい恥ずかしいラブレターも何通もある。でも、誰かからもらった「想い」の詰まった手紙が、私の世界をそれこそ薔薇色に染め上げたり、風景の解像度をぐんと上げるほど自分の感度を高めてくれたり、することがあるよ。何より、自分の内側から湧き起こる"あたたかい気持ち"を誰かに伝えたいと思って、表現することは、言葉が使える人間ならではの尊い大切な行為だと思うの。受け取る相手のことを思いやるのはとても大切。でもそういう客観的な力を突き破って溢れて止まらないことも、あるからねー。ピュアな言葉であればあるほどいい場面もあるし、少しオブラートに包んだ方が相手に届きやすい時もある。とにかく、あなたは私に似て、言葉の人みたいだから、言葉がきっと、人生を応援してくれる。言葉に悩みながら、救われながら、大切に扱っていこうね。

と、このお話には続きがあって、3月の修了式では理由は忘れたけど渡せなかったので、じゃあ最後の離任式でと準備していたら、大雨の影響で離任式が中止になってしまった。あんなに時間も労力もかけた手紙たちを渡せずじまい…?と親がショックを受けてつい提案した。じゃあ…始業式にクラス離れちゃった子も探してみんなに手渡しする?娘は中止のニュースに「えー!」と驚いて、そうだね、始業式にしようか〜と軽く答えていたけれど、明日が始業式という日になって、手紙のことはもう忘れている気がする。手紙ってそういうもんか。「熱い想い」が乗っかってるうちが手紙なんだな。一人一人の友達の顔を思い浮かべながら、封筒を折り、パンダを折り、言葉を綴ったことで、娘が大好きだったクラスのみんなへのあたたかい想いは、すでにほぼ天に昇華しているんだろう。娘にこんな想いをくれたクラスのみんなに、私からも感謝したい気持ち。手紙書こうかな(笑)。

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