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田舎にいると「生と死」が近い

田舎にいると、「生と死」が近いなと思います。

今は、母ちゃんは今一人暮らし。とうちゃんは入院中。姉ちゃんは結婚して岡山。なので私がカナダに戻るこの夏まで、私と母ちゃんで二人暮らしになりそうです。齢67、仕事は自営業の電気屋さんを数年前に引退して、現在は民生委員。それも18年やってるらしい。すごいですね。委員会の会計もしているので、慣れないエクセルの前でよく発狂しています。

民生委員の仕事は多岐に渡っていて、とにかく近所のお世話係で、おばあちゃんのおうちとかまわったり、町内のイベントのお手伝いをしたりします。

帰国してから、母ちゃんの話を毎日聴くわけですが。やっぱりこの片田舎も高齢社会が極まりつつあって、街を歩けば高齢者で溢れかえっています。

出てくる話題は、〇〇さん家のおばあちゃんの話とか、病気の話とか、介護の話とか、入院したのとか、亡くなっただの、とかそういう話ばかり。

民生委員だって、仕事や主婦業を引退した人の集まりだから、まあまあみんないい年で、いつだれが病気になるのか、わかんないわけです。

本当に死が近い場所だな、田舎って。

人生の岐路を半ば過ぎて、終わりゆく存在にだけに囲まれていると、あとはどう終わりを迎えるか?に思考がフォーカスされます。

逆にいうと、死が近いから、余計にフレッシュな生の存在がリスペクトされ、一気に空気が明るくなります。

よその家に子どもや孫が生まれると、それだけでその家は明るい希望に包まれます。未来があるものの尊さ。だから田舎で「子ども」の話題は尽きないのでしょうね。

そんな状況を思うと「子どもはいないの?」と聞かれても、私はさほどオフェンシブに(それは人を傷つける言い方だな、と)は感じません。終わりゆく生命が多いこの田舎で、新しい生命の話は、とても大事な話題で、じじばばたちの貴重な生きる希望です。

私も35を迎える年になりました。以前noteにも書きましたが現在も子どもをつくる予定もなく、フレッシュな生命の話を提供できずに両親には申し訳なさを感じるくらいですが、その分地域の活動にはできる範囲で参加して、地域のじじばばたちや、子どもたちのお役に立てればいいのかなーと、思っているのでした。

完全なる、自己満足ですけどね。

みなみ先生

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