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生徒の前では、ピエロになる

先生なんか、絶対ムリ。

そう思ってた私が、先生になりました。

生徒や親御さんから「先生!」と呼ばれることへの違和感もなくなり、すっかりこの「先生という世界線」の住人です。もう10年になろうとしています。

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小学生の頃は問題児。数々の先生に怒られました。中学生にはちょっと精神的に不安定になって多大な心配をさせ、高校では職員室にいりびたり、突然の進路変更(偏差値40からの早稲田)で先生を不安にさせたり。まあ、先生という職業の人たちには、長きにわたり大変お世話になってきました。

その中でも。
私が「こういう先生でありたい」と思っている先生がいます。

A先生といたしましょう。

自宅で個人塾を開放していたA先生の元に、私は中学から高校卒業するまで通いました。部屋に生徒席は二つだけ、真ん中にパーテーションが組まれています。基本的には先生が、大量の問題集・問題がプリントされた紙をもっていて、それをひたすら解くスタイル。ドリルに近いですね。しのごの言わず、解いて解いて、解きまくっていました。

A先生は長めの前髪をオールバックにしていて、美人で背も高かったので、まるで宝塚の男役みたいな人でした。それでいて、いつも「底抜けに」明るい。私に何か落ち込むことがあって、明らかに負のオーラを放って入室しても、毎回ニコニコ笑いながら「おはよう!どうだった、元気だった?」と話しかける。ちょっと関西のお姉様方を彷彿させるような、あまり他人の気持ちを察しすぎず、自分の明るさ常に一定に保っている人でした。

問題の説明も明瞭で、テンポ良く、それがとっても小気味良く、勉強というよりは、スポーツをしているような感覚でした。落ち込んでいて正直勉強どころじゃないと感じる時も、席に座るといつもきちんとゾーンにはいっていけたのを覚えています。あっという間に2時間半とか、経っちゃうんですよね。

私はその経験からか、勉強って「席に着く」「手を動かす」ことが大事だと思っています。

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A先生にも言いました。衝撃の一言を。

「私早稲田行きたいんですけど、いけると思います?」

高2の半ば頃だったと思います。偏差値は40台です。そしたら、先生はいつもの調子で「今から勉強すれば、いけるわよ♪」と明るいトーンでケラケラと言い放ちました。

その後、やはり思うようには成績は伸びず、E判定の状態で受験直前まで来てしまいました。高校の定期テストもしんどく、もう受験に不要な数学を勉強しないといけないことが本当にストレスで。それでも先生は、いつもと同じ調子で、根気よくみてくれました。先生が出向する塾にまで押しかけ、自習をさせてもらった記憶があります。

先生は最後の最後まで、私の前では常に前向きで明るく、あえてこの絶望的な状況に淡々と臨んでくれていました。私は受験前当然ながら、だいぶ精神的に不安定に。それでも先生は最後まで明るく、同じ調子で振る舞ってくれました。

私は後から知りましたが、あの明るい、一見何も考えてないように見える先生は、事前に「今の成績だと合格厳しいです。浪人は覚悟しておいてくださいね」と両親にはキッパリ伝えてくれていたそうです。

先生の仕事と責任を考えれば当然のことですね。スポンサーである親には、現状をきちんと伝えないといけません。だいぶ後になってそれを聞いた私は「先生の嘘つき!やっぱり無理だって思ってたじゃん!」とはならず、むしろ、先生ありがとう、と思わずにはいられませんでした。

私は。
A先生が最後の最後まで、あのひょうひょうとした明るさ演じきってくれたことはお見事だなって思っています。まがりなりに先生業に携わっている今、余計にそう感じます。並大抵のことではないのです、現実を知りながら、自分の役を演じきること。リードしていく側から、たった少しの不安の色を見つければ、ついていく生徒は当然不安になり、足が止まります。

いつも同じでいる、というのはとても難しいことです。

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生徒の前でも、他の先生の前でも、A先生のスピリットがいつも背中にいます。常に明るく、あまり深刻になりすぎず、できるだけシンプルで正直に、ピエロを演じ続けたいと思っています。

みなみ


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