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カメのち晴れ【1万字】



「きっと元気になるよ」

嫁はみんなを励ますように言った。

現実に感情が追いつかないぼくは、何を言い返すこともできなかった。

家についたのは、夜の10時を過ぎた頃だった。

リビングのドアを開けるなり、ぼくはコンビニで買った缶ビールを開けた。

飲みなれた発泡酒。本物のビールより味は劣る発泡酒。でも、これほどマズいと感じたのは初めてのことだった。



我が家にはカメがいる。1年と8か月ほど前からいる。

小5の娘がカメを飼うと言ったから。或いは、小3の息子への教育として、というわけではない。33歳のおっさんであるぼくが、ただただカメを飼いたかったからだ。

そのことを近所の居酒屋で、友だちの家で、ときには会社で言い散らかしていた。そしたらカメを譲ってくれる人を友だちが見つけてくれた。だから、我が家には今一匹のカメがいる。

夏と秋を行ったり来たりする9月のことだった。はじめて会ったとき、カメは500円玉よりすこし大きいぐらいの小さな小さなカメだった。

めちゃくちゃ可愛い。それが率直な感想だった。

てのひらにすっぽり収まるカメは、甲羅も、手や足も、まんまるな目玉も、何もかもがちょこんとしていて、会ったばかりなのにもう愛おしい。そんな、ただのおっさんが未知なる母性を開眼してしまうぐらいカメは可愛かった。

が、同時に不安も湧き出た。というのも、ぼくは今までカメを育てたことがない。むしろ生き物を育てた経験がほぼほぼない。このカメが何を食べるのかすら知らない。

でもまあ今更そんなことを言っても仕方がない。だからぼくは、ひとつひとつ学んでいく決意の意味も込め、カメを貰ってきてくれた友人に大事なことを尋ねた。

「これは何ガメなん?」

「イシガメって言うてたで」

「イシガメか」

「そう、イシガメ」

「男なん?女なん?」

「男って言うてたで。多分やけど」

「そうか。男の子のイシガメか」

カメを飼いたいと懇願していたぼくだけど、だからといってカメに詳しいわけではない。むしろ何も知らない。ぼくが貰ったカメは男のイシガメ。ということでぼくは、イシガメを飼うことになった。


その晩、いつもの発泡酒を飲みながら、色々なサイトを見てカメの育て方を学んだ。

【エサは人工のエサで構いません。ですが水は毎日、少なくとも2~3日に一回は変えましょう】

ふうん、なるほど。

【カメは健康のために日光浴が必要不可欠です。ですから紫外線を発するライトと温かい場所をつくるバスキングライトを水槽に設置するか、外に数時間だしてあげましょう】

へぇ、そうなんや。

【また、カメは非常にストレスを感じやすい生き物です。ストレスが原因で体調を崩してしまうこともあります。ですので、カメが安心できる隠れ家をつくってあげましょう】

ほーう、そら知らなんだ。

【さらにカメは自分で体温を上げることができない変温動物です。だから水槽内の温度や水の温度はしっかりと管理しましょう】

ふむふむふむ…



いやめんどくせえな!

カメ、意外にめんどくせえな!


カメを飼う。それは適当な箱を買って、適当に水を入れて、適当なエサを与えておけばいい。そんな風にどこか簡単に考えていたぼくは、生き物を育てることの難しさを少し知った。


あくる日、ぼくはさっそくカメハウス建築計画に着手した。昨日勉強したことを活かす。でもどうせ作るなら、それを踏まえた上でデザイン面も優れたスタイリッシュな水槽が良い!そう思いながらあれこれ考えた。

が、凡人であるぼくにエヴァンゲリヲンのような、新時代的で斬新な妙案など浮かぶはずもなく(シンエヴァ最高だったよね!)、ただただ時間だけが過ぎていった。

色々考慮した末、30cm×15cm程度の水槽に水を張ったタッパーをぶち込み、陸場に小さな餌入れと島的なやつを置くというシンプルな家を建ててやることにした。

「おい、カメ。お前は確かミニマリストだったよな?」

『はい!そうでやんす!』という一連の流れがあったこと。

また、はじめから高級老舗旅館さながらの設備を与えてやると、カメがそれを当たりまえの環境だと思い込み、どんなことがあっても生き抜くというハングリー精神が養われなくなると判断したからだ。

決して面倒くさかったからではない。断じて、断じて。

「おい、カメ。どうだこの家は。俺の完全オリジナル設計だ。きっと積水ハウスやヘーベルハウスが束になったって作れやしない代物だぞ。な、いいだろう?」

「はい!かっこいいでやんす!」

そう言いながら水槽に入れたタッパーの湖、通称タパ湖で、カメは手と足をパタパタと遊ばせはじめたのだった。

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それから一年が過ぎた。

特に何かあったわけではないが、いくつか知られざるカメの生態が分かった。

カメの首や足は我々の想像以上に伸びること。

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暖かいスッポリしたところで眠るのが好きなこと(我が家ではこの現象をスッポリはんと呼んでいる)。

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そしてこれは大阪育ちだからかもしれないけど、コケるときは吉本新喜劇みたいにズコーってなること。

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どれもこれも「だから何だ!」ということばかりだけど、「だから何だ!」ということがぼくは好きだ。だからカメをより深く知るは、ぼくにとってとても楽しいことのひとつだった。

かといってそこまで熱心に観察していたわけでもなければ、毎日欠かさずちゃんと世話をしていたわけでもない。水替えを怠った日も決して少なくはない。そんな感じで一年がたった頃、あるひとつの問題が浮上した。

それは「この水槽、もう小さくね?」問題だ。

カメがでっかくなっちゃったのだ。

育てはじめたときは優雅にタパ湖を泳いでいたカメ。でも、いまや泳ぐというより、水の中に居るという具合になってしまった。

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こうなると湖ではなく、もはや風呂だ。タパ湖は本日をもってタパ風呂に改名しなくてはいけない。また、これぐらいになると島は邪魔なだけなので速やかにバルスした。

仁王立ちを覚えたことも水槽の小ささを感じるひとつの要因だった。

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このままじゃいずれ脱走する。そう思っていたら案の定、カメは脱走した。

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網戸をよじ登るという、まさかの上方向に脱走。想像と違う脱走劇にとても驚かされた。もう少し頑張ればタートルズに入るのでは?という身体能力。こいつがカワバンガと叫ぶ日もそう遠くはないのかもしれない。

仕草や態度も随分と変わった。

昔は何をしていてもコミカルで、「ちょこちょこ」という表現しか似合わなかったのに、今や「のっそのっそ」とか、「でーん」という音の方がしっくりくる。

こちらがカメを見つめようものなら「ワテにぃ〜何かようでっか?」と、それはそれはふてぶてしい眼で見返してくるようにもなった。

とある日の午後なんて、人間の大人顔負けの哀愁を背負いながら、ひとり夕日を眺めたりしていた。

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「こんな小さな水槽でずっと生きていく。それは果たして生きてると言えるのでしょうか…」そんな声が聞こえた気がした。

しかし、それでもぼくは水槽を買わなかった。面倒くさかったからだ。明日でいいや。それが永遠ループゾーンに入ってしまったからだ。

が、カメも諦めなかった。度重なる脱走、哀愁を醸し出す攻撃に続き、次なる一手をカメは仕掛けてきた。そしてそのやり口は、今まで以上に狡猾なものだった。

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あろうことか、サンタにお願いしやがったのだ。子どもたちを巻き込む暴動に発展させやがったのだ。お前ではもう話にならないと言いたげなこの態度。気に食わん。せめてこっちを向け。ケツを見せるな、カメ。

クソが!と心で叫んだ。手に持っていた缶ビールを真っ逆さまにして飲んだ。喉が炭酸で締めあがるまで飲んだ。そして思った。

もう、水槽買おうと。


でも、ぼくは生粋の怠け者だ。それは古くから伝わる我が家系の資質みたいなものなのだ。ルフィが覇王色を持っている。大別すると、それと同じなのだ。そんなぼくが水槽を買ったのは、これから3か月くらい後のことだった。

そして、それが原因で絶望的な後悔を味わうなんて、この時のぼくはまだ知るはずもなかった。



新しい水槽は3月の二週目辺りに買った。

奮発して30cm×60cmの大きなやつを買った。「どこに置くねん!」と家に帰るなり嫁に叱られた。どこに置く?だと。そんなこと一切考えていなかった。ごめん。

二秒ほど深く反省したところで気を取り直し、次はどんな家をこしらえてやろうとあれこれ考えた。どうせ作るならレトロ感のあるオシャレな家が良い!そう思って色々考えた。

が、凡人であるぼくに煙突町プペルのような世界観など浮かぶはずもなく(映画最高だったね!)、とりあえず前の家をモデルに簡単な水槽をこしらえることにした。

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エサ入れのお皿は前の家のモノ。こうみると確かに大きい。いや、大きすぎる。どこに置こう。まあでも、カメは絶対に喜んでくれるだろう。だから小さいことは気にせず、ひとまずカメを水槽に入れてやった。

「おい、カメ。どうだ。随分と広くなっただろう?きっとこれはタマホームや大和ハウスが束になったとて作れやしない代物だ。見てみろ。今度の湖はタッパーじゃないぞ。しかも大きくなった。そうだ。この湖は日本一でかい琵琶湖にちなんで、ピワ湖と命名しよう!」

そう言ったぼくに、カメは何ひとつ答えてくれなかった。それどころか、心なし臆病な目を浮かべながら辺りをキョロキョロ目廻していた。

何だ…せっかく家を広げてやったのに。もっとはしゃいでくれると思ったのに!

ばあさんと必死で作ったパイの包み焼きを孫に渡したら「これ私嫌いなのよね」と言われてドアを閉められたキキみたいな気分になった。

そこから一週間が過ぎた。少し慣れたのか、広い水槽を歩き回る姿はとても楽しんでいるように見えた。しかし、気になる問題がひとつ浮上した。新しい水槽に変えてから、カメがエサを一切食べなくなってしまったのだ。

カメがエサを食べないことが珍しいわけではない。野生のカメは冬になると冬眠する。だからカメはご飯を数か月食べなくても生きていられる。でも、それは冬眠すればの話だ。

我が家のカメは基本室内。つまり暖かい環境にずっといる。ということは冬眠の必要がないからエサは食べなくちゃいけない。冬眠状態になっていないと、普通に消耗して餓死してしまうからだ。

見た目は元気だ。でも、なぜかエサを食べない。

「どうした?カメ」心の中で呟く。

そんなぼくの心配をよそに、カメは大きな口を開け、あくびをしていた。

さらに一週間が経った。依然、カメはエサを食べない。全く元気がないわけではない。水槽の中を歩き回っているし、水遊びもしている。でも、小さな水槽の頃と比べると、様子がおかしいのは確かだった。眠る時間も明らかに長くなっている。今も鼻提灯をつくりながらカメは寝ている。

「一回、病院連れて行った方がええんちゃん?」カメを眺めながら嫁は言った。

「そうなや。一回行ってみよか」カメを眺めながら僕は答えた。


あくる日、カメを病院に連れていくべく、ぼくは早めに仕事を切り上げ帰宅した。

「病院、子どもらも連れていく?」と嫁が言った。

「どっちでもええんちゃん」とぼくは返した。

すると息子が鼻息を荒げて言った。

「みんなで行くやろ。当たりまえやん。だって、家族なんやから」

感動的なセリフだった。一度も水換えをしたことがない、エサですら1、2度しかあげたことのない人間のコトバとはとても思えなかった。

もちろんそんな息子がカメを運ぶわけがなく、お姉ちゃんである娘がカメを箱に入れ、大事に抱えた。そしてぼくたちは家族4人と一匹のみんなで動物病院を目指した。

病院の診察室に入ると挨拶もそこそこに、先生は早速カメをいじくりだした。

カメの首と手の間ぐらいにググっと指を突っ込む先生。そんなところをぐりぐりして、カメは痛くないのかな。なんて思いながらふと嫁の方を向くと、自分がぐりぐりされているかの如く、嫁は顔をしかめていた。

診察が終わるなり、先生はカメの育て方をぼくたちに話しだした。

喋るのが苦手なのか、遠回しに説明するのがこの病院の掟なのか。話の内容がとても分かりにくい先生だったが、どうやらぼくたちの育て方が悪いから、カメはエサを食べなくなったのかもしれないということだった。

なかでも日光浴が少ない、というのが先生の気になる点のようだった。何となくそう思ってはいたが、我が家のカメは甲羅の形が悪い。それは、日光浴が不十分だからだと指摘された。

他にも水温や水槽内の温度をしっかり管理してくださいと色々言われた後、今まで以上に遠回しな言葉を繋げながら僕たちに話した。まとめるとこういうことだった。

カメの鼻提灯。それはカメが風邪か何らかの器官が炎症にかかったりして鼻水が出ているのかもしれない。そう考えると大きなあくびも鼻が詰まっているから、口呼吸しかできないというサインである可能性が高い。となるとこのカメは肺炎を患っているかもしれない。

仮に肺炎だった場合、助かる見込みは低い。



え、死ぬの?

トラックに轢かれたと思った。それぐらいの衝撃がぼくを襲った。

カメの生死を考えなかったわけではない。でもまさかな、と思っていたこと。それが現実に起こりうる可能性に、ぼくの脳みそはぐわんと揺れた。排気ガスを名一杯吸いこんだように胸が焦げ付き、吐きそうになった。

先生はそのあとも淡々と診察結果を告げた。

『水槽を変えるとストレスでエサを食べなくなることもある』

知るかよそんなこと。水槽を変える前に教えてくれよ。

『そのストレスで風邪をひいてしまったのかもしれない』

なんでやねん。広い方が絶対良いに決まってるやんけ。

『前の水槽に戻してやるのもひとつの案ですよ』

そんなもんもうないわ。捨てたわ。


あてどのない思いが、先生の言葉に反発するように浮かんでは体の中を駆けずり回った。先生が悪くないのは分かっている。むしろ悪いのはぼくだ。でも、心の中で悪態でも吐いていないと、自分を保つ自信がなかった。

「とにかく直すにはどうすればいいんですか?」

ダラダラ話す先生に苛立ったぼくは、先生の話を遮り尋ねた。が、返ってくる返答はやっぱり曖昧で、いまひとつ要領を得なかった。

先生の話を聞き終えたぼくたちは、ひとまずカメの生活環境を整え、もうすこし様子をみてみるという結論に至った。幸い、今すぐ死んでしまうような様子はないと先生も言っていた。

環境を整えて、新しい水槽に慣れたらまたエサを食べだし、元気になる可能性もある。その先生の言葉に希望を託そう。診察代を払い病院を出たぼくたちは、コンビニとホームセンターに寄ってから帰ることにした。


「きっと元気になるよ」

嫁はみんなを励ますように言った。

現実に感情が追いつかないぼくは、何を言い返すこともできなかった。

家についたのは夜の10時を過ぎた頃だった。

リビングのドアを開くなり、ぼくはコンビニで買った缶ビールを開けた。

飲みなれた発泡酒。本物のビールより味は劣る発泡酒。でも、これほどまずいと感じたのは初めてのことだった。



病院へ行ったその日から、ぼくたちはカメのために全力で環境を整えた。

水槽の設備を整えすぎるとカメのハングリー精神がなくなるとか、もうそんなことを言ってる場合ではない。高級老舗旅館に住まして元気になるならそれでいい。訳の分からん大義名分はゴミ箱にぶち込み、ぼくたちはみんなでカメの復活を目指し奮闘した。

そんなこんなで我が家のカメハウスは日に日に進化を重ね、最終的にはこのような仕上がりになった。

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なんということでしょう。

新しくライトを設置したことにより、いつでも柔らかな暖かさと、程よい紫外線を感じられるようになりました。その太陽の恵みを余すことなく受け取れるように、ライトの下には大きな石がひとつ。これで甲羅干し問題も解決でしょう。

さらに今回、匠は大胆にも芝生を全て撤去し、全面に水を張ります。するとどうでしょう。今まで人工的でしかなかった水槽が、まるで自然をそのまま持ってきたような、風情ある仕上がりに大変身したのです。

また、依頼者から「寝るのはいつも水の中」という情報を独自に入手していた匠は、水温ヒーターと水を綺麗にするフィルターを共に設置。

そのおかげで、いつでも温かく綺麗な水の中で眠ることができるようになりました。見栄えだけでなく、機能もしっかり考慮された、匠の優しさと技が滲みでる、素敵なリフォームとなったのです。

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・バスキングライト1800円
・紫外線ライト1800円
・ライトスタンド2500円×2
・水温ヒーター2000円
・水を綺麗にするやつ1000円
・温度計500円
・水槽棚3500円

総工費15600円。石を拾いに行ったときの車のガス代や駐車場代、その他もろもろを併せると20000円近い出費になった。我が家の家計からすると大打撃だ。

それでもカメが元気にさえなってくれたらと、ぼくたちは毎日カメの回復を願った。毎日カメのことを考えて過ごした。雨のときも風のときも、雪のときも夏の暑いときもカメを思った。

でも、復活する兆しは一向に表れなかった。それどころか、カメは日に日にぐったりしていった。息をするのが苦しいのか、以前より大きく口を開けて呼吸するようになった。口呼吸の回数もだんだん増えていった。

頼む、頼むから元気になってくれ。

水換えもサボらずにするから。エサも忘れずにちゃんとあげるから。カッコいい石が必要ならまたとってくるから。

病院へ行ってから10日ほどが経った。エサを食べなくなってからで言うと、もうすぐ1ヶ月になってしまう。途方にくれたぼくたちは、藁をもすがる思いで、もう一度病院へ行くことにした。


前とおんなじ先生やったら嫌やな。話分かりにくいし。と思っていたら幸いにも、今回は違う先生が診察してくれた。

そしてこれまた幸いなことに、新しい先生の話はどれもこれもが分かりやすくて、その上で今できる最良の治療はこれじゃないかな?という医者としての意見も同時に教えてくれた。非常に頼もしい先生だった。前の先生はクビにするべきだと思った。

先生の提案通り、一先ず肺炎の可能性をさぐるべく、レントゲンをとることにした。その間、ぼくたちは一旦待合室に戻された。ドラマでよく見る、家族が手術中のときの病院の廊下がふいに頭に浮かんだ。

診断の結果、肺炎ではなかった。

カメの肺炎は死に直結する病気。前回の診察時、そんな脅し文句を捨て台詞に投げられ震え慄いていたぼくたちは、風船の空気がぬけるようにそろって息を吐いた。良かった。本当に良かった。

でも、じゃあなぜカメはエサを食べなくなったのか。ぼくがそう思ったのと同時に、先生はカメのレントゲンにもう一度目線を向けた。

お腹の辺りが若干腫れているかもしれない。でも、何ともないと言えば何ともないようにも見える。正直、今の段階ではなにが原因なのか分からない、というのが先生の見立てだった。

また、これ以上調べるならこの病院の設備ではできなくて、もっと大きな病院に行って見てもらわないといけない。仮にそれをしたからといって、原因が100%判明するわけでもないことなど、今後取れるプランやその有用性も丁寧に教えてくれた。

あれこれ話した末、この日はカメの栄養となる薬と抗生物質を注射してもらい、またしばらく様子を見るということになった。

なぜ原因を探らないのか。

病院に通うこと自体カメにとっては大きなストレスになるから、という理由もあった。でも、最大の理由はお金だ。

今回の診察だけでも1万円は超えると言われた。大きな病院で検査するとなると、もっと費用が掛かるのは明白だった。また、それ以前にこの点滴を定期的に打つだけで1週間に5000円程度はかかるとも言われ、さすがにほいほい即決できる金額ではないと思ったからだ。

カメは人間と違い、症状がすぐに良くなることはない。場合によっては数か月とか、それ以上かかることもある。

点滴だけで毎月2万円がいつまでも飛んでいく。それはぼくたちにとって、簡単に頷ける金額ではなかった。週に一度病院に通わせる。その時間を割くだけでも大変なのに。

「これからどうする?」帰りの道中、嫁が言った。

「分からん。でもちゃんと考えなあかんなぁ」とぼくは答えた。

これ以上、家計を圧迫してでも診察をつづけるべきなのか。あるいはぼくの小遣いを減らして、ビールを控えて、生きる楽しみを大幅に削って対応するか。

正直、このときのぼくは、そこまでしないとダメなのか?という気持ちが少なからず芽生えてしまった。

それに我が家にはカメだけじゃなく、嫁と子ども二人がいる。ぼくの稼ぎだけでは、その三人を養うことですでに…という思いも湧き出てしまった。

勝手だな。

カメを飼いたいと言いだしたのは他ならぬぼくだ。その当人が、皮肉にもカメの命を救うことに躊躇している。カメの命とぼくたちの人生を天秤にかけ、迷わずカメの命を選べない自分がいる。

これはそんな、人間の本性が嫌でも露呈してしまう問いだった。どちらを選んでも正解じゃないような、答え難い問いだった。

「とりあえずエサを死に物狂いで食べさせよう」

カメが早く元気になるしか方法はない。家族みんなが幸せになるにはそれしかない。そのときのぼくにだせる回答は、その程度が限界だった。



二度目の病院へ行ってから3日が経った。いつも通り仕事を終え帰宅したぼくは、カメに何とかエサを食わそうとこの日も奮闘した。カメがエサを食べなくなってからもう一か月が過ぎてしまった。が、相変わらずカメはエサを食べなかった。

しかし、ここへきて一筋の希望を感じさせてくれる吉報もあった。点滴が効いたのか、苦しそうに大きく口を開けて息をする現象がピタッととまり、鼻で息をするようになったのだ。

元気になったのか?それなら、頼むからエサを食べてくれ。でないとお前、ガリガリになって死んじまうぞ。そう思いながら毎日エサを口元にもっていったり、水を綺麗にしたり、水温を確かめ適温に調整した。

事件が起きたのは、その数日後だった。

ある朝、二日酔いで腐った頭を何とか覚醒させながら、ぼくはいつものように水槽へ向かった。昨日の夜に入れたエサが、どうかなくなっていますように。そんな願いも虚しく、その日も水槽には、ふやけたエサがぷかぷかと浮かんでいた。

今日も食べてないかと、ため息が漏れる。本当に元気になるのだろうか。考えたくない未来が頭をかすめる。そんな思いを取り除くように、ぼくは古いエサを捨て、新しいエサを水槽に投げ入れた。そのときだった。

ここ1ヶ月見向きもしなかったエサに、カメがのそのそと向かっていったのだ。鼻で匂いを嗅ぎ、エサに興味をもちはじめたのだ。

興奮したぼくは、「おい!エサ食べるかもせんぞ!」と嫁に叫んだ。

「え?マジで?!」とつられて嫁も興奮した。

子どもたちを学校に送り出した後のリビングで、大人二人がじっとカメを見つめた。食べてくれ。頼むから、食べてくれ。

が、その視線に緊張したのか、はたまたいつも通りのあれなのか、そこからカメがエサを食べる、ということにはならなかった。

「もう時間やから行くわ」

「はい、いってらっしゃい」

数分後、ぼくはやりたくもない仕事をするために、重い体を引きずり自宅を後にした。

その日はずっと気が気でなかった。お昼に「エサ食べてない?」と嫁に電話した。「食べてない」と言われた。数時間後にもう一度電話して、また同じことを言われた。

帰宅したぼくは一目散にカメの元へ向かった。嫁がそう言ってるだけで、本当は食べたんでしょ?と淡い期待を抱きながら水槽を覗いた。今朝あげたエサは、一粒も欠けることなく水に浮かんでいた。

ふやけたエサをスポイトで取り除く。水質の悪化を防ぐ為のこの作業。はじめは吸い取るときにエサを粉々にして、余計に水を汚したりしたもんだ。でも、今では水を汚さず綺麗に吸い取れる。我ながら慣れたもんだなと思った。こんなこと、慣れたくなんてなかったけど。

全てのエサを取り除いたぼくは、新しいエサを水槽に投入した。このエサもまた取り除くことになるのだろうか。そう思うと沈んだ気持ちはさらに沈んだ。そのときだった。


「…パクッ…パクッ」

え?嘘やろ…

「…パクッ…パクッ」

マジかよ…

「…パクッ…パクッ」

か、カメがエ、え、エサを、カメをエサが食べた…

ち、違う!カメがエサを食べたのだ!!!

「た…食べた、エサ…食べた」

情けないおっさんの声が我が家に細く浮かんだ。

その途端、家族は一斉に水槽へ集合した。





Epilogue

その後、カメは順調に回復した。エサを食べなくなった原因は今でも分からない。でも、あの日からカメは、毎日少しずつエサを食べるようになった。

今では朝ぼくが目を覚ますなり、「はよ、エサ」と手招きしてくるほどの元気っぷりだ。あまりにも調子が良いので、エサを見せながら与えない、という意地悪をたまにしてあげている。

「元気になって良かったな。正味、もう無理ちゃうかて思ったもんな」と嫁が言った。

「ほんまにな。こいつの家改造するとき、こんなけお金あったら新しいカメの1匹や2匹買えるやん。その方がええんちゃんて、ちょっと思ったもんな」とぼくは言った。

「いやそれはあかん。命を命で代替えしたらあかん」と嫁は憤怒した。


カメを育てる。

それは、ぼくが思っていた以上に沢山のことを教えてくれた。

カメの生態だけじゃなく、生き物を育てる難しさやその上で必要な覚悟みたいなもの。今まで味わったことのない感情や、後はそう、無意識に目を逸らしていた自分の醜い部分とか。

幸い、うちのカメはそこまで手がかからずに回復した。でも、もしあのままカメの具合が戻らなかったら、それこそ年単位であの状態が続いていたら、ぼくはどうするつもりだったのだろう。

カメのために何かを犠牲にしたのか。はたまた、自分のためにカメを犠牲にしたのか。あるいは、その間のどこかに答えを見出すのか。

カメの命と自分の人生を天秤にかけたとき、ぼくは何をどのように選ぶのか。その答えは今もまだ出せずにいる。


ふとカメを見る。カメは石の上で甲羅を干している。

人の気なんて知らないで、今までなーんもなかったような顔をして、気持ちよさそうに甲羅を干している。

「元気になって、ほんまに良かった」と嫁が笑う。

そうだ。全てが解決したわけではない。でも、確かなことが二つある。

一つは、何はともあれ、今カメは生きてること。

もう一つは、ビールがまたウマくなったこと。

飲みなれた発泡酒。本物のビールより味は劣る発泡酒。でも、カメがエサを食べた日に飲んだそれは、どんな高級ビールだろうと絶対勝てない格別な味がした。

今はそのことに感謝しよう。

もう少しだけ、この幸せに浸ろう。


日向ぼっこに飽きたカメが、水の中へ飛び込む。

「元気になって、ほんまに良かった」

嫁がまた、同じことを言っている。








おしまい

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我に缶ビールを。