まずは、自分が匂いを出す
今日はコルクラボ 文化祭でこちらのトークを聞いてきました。
登壇者は、soarの瑞穂さんと、noteやTwitter発信が有名なクッキー屋さんのサクちゃん、そしてコルクラボ1期で医師の鈴木裕介さん。
うんうん頷きすぎて首が筋肉痛になりそうなくらい、共感するとこだらけの1時間でした。
居場所ってなんだろう?
学校や職場は「通う場所」で、家庭は「帰る場所」だけど、自分の居場所として感じられるでしょうか?
特に「通う場所」については、居場所としてじゃない目的で行っているので、必ずしも居場所と感じられるものではないのでは。
疲れていても「会いたいな」と思える人が2人いれば、そこを居場所として感じられる」(鈴木さん)
居場所がないと、心がぐらつきます。そうすると、やりたいことに全力を尽くせないし、生きることが楽しく無くなっちゃう。
大人も子どもも、信頼できる人と、正直な自分をさらけ出して受け入れ合う、みたいなことが必要だなぁと思います。
わたしは、ヨガの練習仲間や学生時代からの友達と会うと、心から安心するし、気負わずそのまんまでいられる感じがあります。さらに、自分の知見を深めるとか、やりたい仕事に近づくとか、自分の拡張につながる場を求めて、気になっていたコルクラボ に入ってみました。これからどうなるんだろ。まだ模索中です。
居場所は、自分で選べる
居場所は、自分で選べるんですよ。どの親の元に生まれるかは選べないから、それは運が悪かったとしか言いようがないんだけど、居場所は後から選べる。子どもの頃の選べない感覚から抜け出せずに、苦しい場所に居続けがちなんですよね。(鈴木さん)
居場所って、選べる。
実は自分で好き好んで居場所を選んでいるんだけど、それに気づくのは自分を否定することにつながりやすく、なかなか難しい。親との関係も、つい子どもの時のままになりがちだけど、辛い関係だったら離れて別のところに居場所を見つけても全然良いんだよね。
それは、なかなか居場所を見つけにいけないタイプの場合の話。
わたしが今回話を聞いていて気づいたのは、居心地が悪いからといって、いきなり学校や会社を辞めたり、関係を断つ必要もないということ。
わたしは中学くらいからずっと「違うかも」と思ったら、すぐに断ち切ってしまうタイプでした。
だけど、それはもったいないことでもあるし、人との関係をON/OFF両極端でとらえていたんだな、と最近になって気づいて反省しました。
たぶん、人との関係は「距離感」が全てなんじゃなかろうか。疲れてても会いたい人とは近くにいたいし、合わない人とは距離をおけばいい。時間の経過によって価値観も変わるので、別に今の価値観で人間関係を絶ったりしなくてよく、ただちょっと遠ざければ良い、ということもあるのかな。また10年後には近づくかもしれないしね。惑星みたいに。
これは、子どもを産んで、たった2年でガラッと価値観が変わる経験をしたことの影響もあるかも。あんまり話さなかった人とも話しが合うようになったり、人との関わり方も変わるから。
人は、良い/悪いじゃない
人には、良いも悪いも、実はそんなにないんだろうな。瑞穂さんがこんな話をしていました。
やる気に満ちあふれた、高校でダンス部の部長をしていた時、やる気のない部員を“ダメだ”と思ってしまっていました。会社を立ち上げた時も、自分の決めた目標を達成するための手段として社員をとらえてしまい、失敗したことがありました。
という話を聞かせてくださいました。
わたしにも似た経験があり、お恥ずかしながら、「ダメなやつだ」と人を断罪していた時がありました。しかし、それは単に人を傷つけて、自分を追い詰めていただけの不毛なことでした。
その時は、自分がとっても苦しかった。
だから、同じ過ちはしたくないなぁと思います。
どうすれば居場所ができるのか?
soarのイベントでは、初対面にもかかわらず、身近な人に隠してる病気の話ができる人もいるほど、信頼関係のある居場所になっていると言います。
それに対して、サクちゃんは「だって、記事の文字数1万字だもんね。それを愛読して集まるから、共通するものを持ってるんだよ」と。
実は、鈴木さんにnoteを勧めたのもサクちゃんなのだとか。
まずは自分が匂いを出すんだよ。そうすると、その匂いが好きな人が集まってくるから。(サクちゃん)
まずは、自己開示をすること。自分を嘘なく、正直にさらしていると、それに合う人が集まってくるというお話をしてくれて、勇気が湧きました。
わたしはまさに「正直に書く」の練習中。どうしても、カッコつけちゃったり、嘘になっちゃうところがあるんだよね…。
どうせ誰も読んでないし、と開き直ってたくさん書くというサクちゃんの姿勢を、マネしていこうと改めて思いました。
▼工藤瑞穂さん
▼桜林直子さん(サクちゃん)
▼鈴木裕介さん