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ヨガは宗教なんでしょ?への答え※考え中

ヨガをしていると、「宗教でしょ?」と言われることがある。そう問いかけてくるのには、たぶん二つの意図があって、「あなた洗脳でもされてるんじゃない?目を覚ましたら?」というのと、「私は関係ないから、誘わないでね」と牽制してるのかな、と思う。

アシュタンガヨガ を習慣にしている、ただの練習生の1人として、今考えてることを書いてみよう。

インドは複雑

ヨガ自体は、インドで4000年の歴史があるものだし、インドは宗教と暮らしの距離がすごく近いから、宗教的な要素はあると思う。

日本でも、当たり前に修学旅行でお寺とか神社を回ったり、初詣に行くよね。子どもを産んだらお宮参りだのお食い初めだの、餅を担がせたりする。死んだらお寺の管理する墓に入る。そういう、生活と切り離せない宗教的なことってあると思う。インドはそれが、もっと濃厚濃密だ。生活と宗教が切り離せないほど入り組んで絡み合って融合している。

それに、インドはとても複雑な国だ。
「インドって貧しくて道で暮らしてる人がたくさんいるんでしょ?」「インドってマハラジャが豪華絢爛な暮らしをしてるセレブな国なんでしょ?」これが、どっちも正解なのだ。貧富のことだけじゃなく、あらゆるものがそんなかんじ。全てにおいて、両極端がいつも同時に存在する国、それがインド。

実際に旅行してみて、私も「インドみ」に辟易したり、同時にすごく愛おしく感じたりもした。想像力には限界があるので、インドについては、1度体験してみないとなかなかイメージがつかないと思う。わたしも、ちょろっと旅行しただけだし、全然分からないことばかりだ。

自分の呼吸と体と心を信じること

日本人にとってのヨガのイメージは、多くはLAVAのホットヨガかジムのヨガだと思う。それ以外は、なんか怪しいよね。

アシュタンガヨガは南インドの総本山的な教室に世界中から練習生が集まるほど、インドみの強めのヨガだと思う。うん怪しく見えるよね…笑 

アシュタンガヨガ は予約不要で身一つで行けば誰でもはじめられるくらい、比較的開かれたヨガだけど、思想の根本がインドから来たやつだから、ヨガに慣れてない人は「えー?」ってなることもあると思う。

まず、勇気を出してマイソールクラスに初めて行ったとしよう。だいたい朝7時くらいから行けることが多いかな。お金を払って、着替えて、マットをひく。呼吸と太陽礼拝の動きについて軽く教わって、「じゃ、やってみて」と言い残して先生は去る。いや、部屋にはいるけど、他の人の練習を手伝ったり、他の人をサポートしたりしている。

手取り足取りというよりも、自力で進めていくかんじ。

練習が進んでるかどうかで優劣があるでもなく、ただ、淡々と自分の練習を自力でやる。
使うものは自分の呼吸と自分の身体だけ。教えてもらえるのは最低限のこと。その中で、自力で練習を進めていく。

私がヨガで何か教わったといえば、「自分を信じる」ってことかもしれない。「怪しい宗教」と聞くとイメージするような、自分を否定してねじ曲げて矯正したり、誰かの考え方に染まることとは、真逆な気がする。自分で決めて、自力でやる。その結果、ありのままの自分を鍛えて、ありのままの自分を信じられるようになっていく。

変化の激しい時代だし、自分で答えを見つけて行く時代。自分らしい指針を持っておくのはいいことだと思う。それを見つける手段の一つとして、ヨガってのもありだよ、と控えめにおすすめしておきます。

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