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毎日練習する、ということ。【ヨガ本企画 1/100】

朝起きると、まずヨガマットに立つ。
寝ぼけたまま。朝食の前に、コーヒーも飲まずに。

胸の前で両手を合わせて、始まりのマントラを唱える。意味は習ったけど、忘れてしまった。かつて、満員電車に揺られながら、少しずつ覚えたサンスクリット語のマントラ。あれから10年ほどが経ち、今はスルスルと勝手に口から出てくる。

そして、太陽礼拝から練習を始める。ゆっくり4カウント、鼻から息を吸いながら、合掌した両手を頭の上に伸ばす。次の4カウントで吐きながら深く前屈。全て吐ききる。ゆっくりと吸って、吐いて。この呼吸を保ったまま、たっぷり2時間弱の練習をする。

体が重い日は、重力を強く感じる。呼吸をするごとに少しずつ体が軽くなっていくのを感じながら練習をする。ソワソワしているときは、呼吸が速くなってしまったり、慌ててポーズを取ろうとしてしまう。じっくり呼吸をすると、地に足がついてどっしりしてくる。

練習を終える頃には、すっかり体が整って、1日を始める準備ができている。さあ、朝ご飯の支度をして、コーヒーを入れて、1日を始めよう。


しかし、そんな完璧な朝は珍しい。週に一度、あったらいい方だ。
大抵の朝は、寝坊してしまう。

朝5時すぎから鳴り続けた目覚まし時計は、何度目かのスヌーズでスイッチオフにされている。慌てて布団を飛び出して、朝食の支度をする。その合間に少しでも時間があれば、ヨガマットに向かう。

疲れ果てて、どうしてもヨガをしたくない日もある。
「ある」というか、月の半分以上はそういう日だ。

嫌だ嫌だ、やりたくないよう
もっと寝ていたいなぁ
疲れてるから今日はやめておこうよ

そういう心の声をなだめながら、無理にでもマットに立って太陽礼拝を始める。

どうしてもヨガの練習をしたくなくて、フォームローラー(ぼこぼこした突起のついた筒のようなもの。筋膜リリースができる。筋膜リリースって何だ、と聞かれても困る。気が向いたらあとで書く)に太ももやふくらはぎを乗せてゴロゴロしながらウダウダすることもある。

それでも、最低でも太陽礼拝AとB(5〜10分くらい)、ほとんどの日はスタンディングポーズまで(30分くらい)をやる。

フルプラクティスやフルプライマリー(90〜100分くらい)をするのは、週末にスタジオに行った時と、平日5日間のうち、早起きに成功した1日くらい。

本当は週5日フルプラクティスをして、週に1度フルプライマリーをして、1日休むのが理想。理想というか、「そうしなさい」と先生に言われる。それが普通。それでこそアシュタンガヨガの練習生というものだ。

だけど、ヨガの練習は、あくまで「練習」だ。毎日練習できなくても、毎日練習するための練習をしている、というのだって、立派なヨガの練習と言えるだろう。

この前の、ある祝日のこと。普段なら朝からマイソールクラス(スタジオが空いている3時間の間の好きなタイミングに行き、自主練習形式で自分に与えられたポーズまでを練習する。要所要所で先生が来てくれてポーズを手伝ってくれたり、できないポーズを指導してくれる)がある日だ。

だけど、その日は変則でレッドクラス(先生のカウントに合わせて、全員が同時にプライマリーシリーズを練習する)だったらしい。わたしがスタジオに到着した頃には、もう練習がかなり進んでいた。いつもの練習仲間たちが、座って上体を捻るポーズをしながらいい汗をかいている。混み合っていて、割り込むスペースもない。

仕方ないので、廊下にマットを敷いて太陽礼拝を始めた。スタンディングが終わった頃に(アシュタンガヨガの練習は立位のポーズから始まって、後半は座ったり反ったりする。上級者は宙に浮くというウワサ。)「バァッグベ〜ンド」と、スタジオから聞こえてきた。フィニッシングポーズに入るっぽい。

フィニッシングポーズとは、最後のクールダウンのポーズ群。ヘッドスタンドなどの逆転ポーズが多く、まだヘッドスタンドができない初心者の時には「これがクールダウンとか、意味わからん!そもそもできないし!」と思っていた。

バッグベンド(ブリッジ)からフィニッシングに入るので、この辺からは、漏れ聞こえるカウントに合わせて動いてみる。

そして、あっという間にシャバーサナ。ほとんど練習していないけど、みんなと同時に終わることにした。体は全然物足りなさそうだけど、気分的にはガッツリ練習したような感じだ。迷ったけど、一応お金は払った。お布施、的な感じ?(後日、払わなくてよかったのに〜、と先生に言われたけど、そのままにしておいた)

汗だくになった仲間たちがひしめき合う更衣室では、「何してんの」と数人からつっこまれ、笑い話になった。

「ヨガを毎朝している人」というと鉄人みたいだけど、こんないい加減なヤツもいるんですよ。

ヨガをやったことのない人ほど、「ヨガスタジオでは、ちゃんとしないといけない!」と思うのではないだろうか。私はそうだった。

しかし、ある日気づいた。ヨガのポーズがいくら上手くなっても、特に何にもならないことに。

ダンス教室なら、上手に踊れるようになったら真ん中のポジションをもらえるかもしれない。柔道なら帯の色が変わったり、体操なら点数が伸びてメダルをもらえたりするかもしれない。

だけど、ヨガの目的は勝負ではない。進級もない。ヨガ講師の認定資格だって、ヨガの習熟度とはそんなに関係ない。上手にポーズができたら、先生や仲間に、たまに褒められるかもしれない。だけど特に何もコメントされないこともあるし、そういうことの方が多いはずだ。ポーズが上手だろうが下手だろうが、どうでもいいのだ。どうでもいいと気づいたら、あら不思議。いつの間にか、毎日ヨガをする感じの人になっていた。

ヨガの立ち位置としては、マッサージを受けるのに近いと言えるのではないか。マッサージ店で、隣の人より肩が凝っていることを気に病む人はいないだろう。ただ気持ち良くなって、それで終わりだ。インドからシャラート先生(アシュタンガヨガ創始者の孫で、総本山の継承者)が来た時には、ヨガの練習を歯磨きに例えていた。歯磨き選手権はないし、上手だからって特に褒められないけど、まあ、ちゃんとやったほうがいいよね。歯を磨かずに友達に会わないよね、一応ちゃんとやるよね、という感じ。

あるいは、座禅も近いのかもしれない。座禅はやったことがないけれど。インド発祥だし(雑)、ヨガは原始仏教徒の共通点もあるようなので、そんなに遠くなさそうな気がする。知らんけど。

だから、クラスの種類や時間を間違えようが、マットのひき方を間違えようが、腹肉がウェアからはみ出して恥ずかしかろうが、体を捻るポーズで自分だけ左右を間違えて隣の人と向かい合ったりしようが、後ろでんぐり返しをしたら後ろの人のマットにお邪魔しちゃおうが、自分だけポーズができてなくてヘンテコになろうが、大丈夫なのである。
※ここにあげたことは、全て実体験です。

今日できなくても、明日またやろうとしたらいい。
やろうとしてできなかったら、またその次の日にやろうとしてみたらいい。

隣にいたスタイル抜群の美女に、自分のはみ出た腹肉を「プッ」と笑われても(実体験)、なんかやらかして規則に厳しいタイプの先生に急に叱られても(これも実体験)、あなたの練習には、あんまり関係ない。

「こんな日もあるよなぁ」と、またやってみたらいいんです。だって、練習だもん。初めから上手くやれるなら、練習する必要がない。できないから、「練習」をするんです。できなくて当然。それでいい。

「じゃあ、やってみた先にどんなメリットがあるのか?私の貴重な時間を投資するのに値すると言える根拠は!?」とか、問われそうだな・・・・・・。

それを確認するには、「やってみたらいいんじゃない?」としか言えないので、今回はそろそろ逃げようと思います。

ヨガをやっていくと、たぶん今よりちょっと心地良くなるかもしれないよ。知らんけど。

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