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会ってみたかった人。

6章立ての博士論文の6章目を書いているところです。
世界大恐慌のとき、アメリカ政府はアーティストたちも「失業者」であるとして、彼ら彼女らの雇用を打ち出します。
それが、連邦美術計画でした。

油絵・彫刻・壁画・ポスター・民俗模様収集・地域での美術教室など、いろんなプログラムでアーティストを雇用しました。

出来上がった作品は美術館のように行きにくい場所でなく、
本当に路上に展示したりしました。

その根底には、美術は、
一部のお金持ちのための「高尚な」ものではなく、
アメリカ社会に生きるすべての人のためのものであるという考え方がありました。

自分が表現することを通じて、
人の表現を受け取れるようになるということは、よくありますよね。

こうした経験の相互交流でアメリカ社会をよみがえらせようとしたのです。

この連邦美術計画の長官を務めたホルガー・ケーヒル(Holger Cahill)について、いま書き進めているところです。

アイスランド出身の移民で、なかば親に捨てられ、少年時代から肉体労働を転々と続けてきた人が、

いろんな人と出会う中で「連邦美術計画」の長官にまでなったのですから、アメリカって面白いなと思うんです。

写真は、1938年にケーヒルがハーレムのコミュニティ・センターで話をしているところです。後ろに見えるのは、たぶん子どもたちの絵ですよね。

ケーヒルは、会ってみたかった人の一人です。

そして、わたしの論文の中で会いに行きます。


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