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自由になりたい


ピアノ弾きの私は、ステージ上でピアノを弾いているその瞬間自由でありたい、と思っている。それが自分の理想であり、憧れでもある。感覚的にそう思っていたが、ある時はたと思った。
ピアノを弾く上での、自由とはなんだろう?と。

いきなりの余談、しかも少し違う種類の“自由”の話になるけれども、成功するための〇〇!稼ぐための〇〇!みたいな物が巷に溢れているのも、本質的には、沢山の人が自由になりたいと思っているからのような気がする。選択肢がたくさんあったり、生き生きと何かを創造していたり、やりたい事を実現させているイメージが、思い描きやすいのだ。そしてそれは、なんだかとても自由だ。(実際のお金持ちが本当に自由かは、私は知らない。)

さて、何かの下で自由になるには、制約を乗り越えなければならない。私はクラシックが主のピアノ弾きなので、私の場合は楽譜の下で、ということになる。知らない人もいるだろうが、クラシック音楽というのは伝統芸能のようなもので、受け継がれてきた『型』のような物もたくさん存在し、何をどう選び、どう演奏するのか、何の考察もなければ支離滅裂に、あるいは傍若無人に聞こえるものだ。

自由を得るべく、全ての音符が自分の言葉になるように弾こうとしていた時期があった。それはそれで必要な段階だったと思うけれども、自分の中の違和感と向き合い、奏法を変え、より響きと共に楽譜と向き合ううちに、曲が求めているものを受け取ろう、という意識が芽生えた。

自分が求める曲にするのではなく、曲が求めるものと一体になること。これが私の、今思うところの、自由の正体だ。より音楽とお近づきになるために、知りたい事はまだまだある。そんな日々の気づきを、このnoteに書き留めていこうと思う。

原田英代著の『ロシア・ピアニズムの贈り物』という本の中に、大好きな一節がある。私が漠然と感じてきたものは、既に言葉になっていたのだった。

ステージの上、
ただ、無心にピアノと音楽に向き合うのみ。
培ってきたことも、すべて忘れ、
ただ、ひたすら音楽を愛し、響きに身を任すのみ。
〜中略〜
「私」がもはやいなくなったとき
音楽は自由な翼を得て
果てしなく飛翔する。
そして、そのとき初めて気づく、
心が響きの翼に乗って飛んでいることに。


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